経済学は誤解されやすい学問で、よく人文科学系の人々から批判されている。
合理的な個人を仮定し、効率性を議論する所を疑問視されるのだが、合理的や効率性の意味が良く理解されていない事が少なくなく、合理的選択理論の限界について経済学者が議論していることも知られていない。
こんな勘違いな批判者が続出するのは、経済学で使う言葉の意味が理解されていないからだ。言葉の意味が知られていない理由は、二つあると思う。一つは、経済学が数学を用いて体系化した学問であって、人文科学系の学者にとっつきにくい。一つは、経済評論家が理解できていない経済用語を振り回し、それから誤解が広まっている。
1. 勘違い非難を打開する救世主が現われた!
どうしようも無い状況だが、救世主が現れた。イツァーク・ギルボアの『合理的選択』は、数学を使わず経済学を理解する上で必要な単語のコンセプトを説明する本で、ひたすら読む理論経済学と言った趣の本だ。
必ずしも形式的ではないが、通常のテキストであれば、あっさり記述しそうな言葉の意味がこってりと書いてあるのが特色だ。代わりに数学的な部分はオンライン配布の付録に追いやり、より厳密な議論は最初に他の教科書を紹介する形になっている。
- 第一部は最適化が説明されている。合理的な個人が最大化するであろう効用にどのような性質が必要なのか、効用を最大化すると言う行為がどのように解釈が可能なのかが議論される。経済学嫌いの人文科学系の人々が読めば、意外に許容範囲の広い概念である事に気付くはずだ。なお、第2章のバーバラとアンの姉妹の小噺に面食らったのだが、著者のギルボアの授業スタイルが想像できて興味深い。
- 第二部のリスクと不確実性では、期待効用の最大化問題に議論が発展される。リスクをどう考えているのか、リスクの評価の歪み(プロスペクト理論)がどう影響するのかが説明される。第5章の確率と統計の議論が統計学の範囲にまで飛び出している気がするが、もはや経済学では確率・統計は常識になっているし、確率・統計での有意性と、合理的な個人にとっての意義の違いを説明する必要もあるのであろう。
- 第三部の集団選択も、丹念に概念とその限界が説明される。第6章の選好の集計では、効用の個人間比較が不可能であること、それを前提に社会選択理論がどのように発展しているか、経済学で言う効率性がどのような意味を持つかが説明される。第7章のゲームと均衡では、ナッシュ均衡の意味する所や限界、どのような均衡概念を用いるべきか、常識などがゲームにどう影響するかについて説明される。第8章の自由市場も、それが意味する事と、それが機能するための完全競争、完全情報、完備契約などの条件が丹念に説明される。なお、社会選択論→ゲーム理論→自由市場の順番は、一般のテキストの流れとは逆で、著者のコダワリを感じる。
- 第四部の合理性と感情は、合理的選択と感情、幸福度の関係が紹介される。感情の存在自体は整合的であること、幸福度をどう考えればいいのかが議論されている。
経済数学やもっと厳密なゲーム理論による説明に頼らないと体系として経済学は理解できないと思うが、経済学のコンセプトを理解するには、十分充実している。経済学の感覚を掴むのに凸集合と分離定理を勉強する必要は無いはずだ。
『ひたすら読むエコノミクス』や『ヤバい経済学』と比較すると、より経済学単語の概念に対する説明に重点が置かれ、トピックが絞られているせいか、数式が無い割にはガチンコ感がある。
2. 個人的に気になった微細な部分
私の勘違いなのかも知れないが、読んでいて危うい説明も細部にはあるようには感じる。第5章でコホート分析などテクニカルな手法が立証に必要になる喫煙の害を例に出したのは妥当なのか、第7章でミニマックス定理を説明しなくていいのか、第8章で厚生経済学の第二基本定理が出てくるが説明は足りているのか、必ずしも問題ではないとされる児童労働をアンフェアと言い切っていて問題ないのか。
3. 経済学が気になる貴方にお勧めできる良書
経済学の土台部分を見渡すと言う意味で、本書が優れている事は揺るがない。経済学を批判したくてたまらない哲学者、思想家、社会学者、経済学を知っているふりをしたい経済評論家に是非お勧めたいしたい逸品だ。経済学部の学生には、原著の方をお勧めしたい。実際のところ、ページ数もそう多くは無い。斜め読みでもしなければ、経済学への理解が深まると思う。
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