2024年9月7日土曜日

映画「ダーティハリー」のキャラハン刑事がミランダ警告を発さなかった理由

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武蔵大学の北村紗衣氏の映画「ダーティハリー」評*1が𝕏/Twitterの映画ファンから批判されている。見かけた範囲ではニュー・シネマの特徴とされる要素が無いのに、ニュー・シネマ的にどうなのか議論されていて、ニュー・シネマの議論としてどうなのかと言う批判があった*2のだが、他に北村氏の作品理解に疑念があるので指摘したい。他の人が指摘してくれるかと思っていたのだが、ツッコミを見かけなかったので。

ミランダ警告とは、取調べの前に被疑者の法的権利を通告する警察官や検察官などの法執行官が負っている義務だ。映画やドラマなどで、逮捕時に「あなたには黙秘権がある。あなたの供述は、法廷であなたに不利な証拠として用いられる場合がある。あなたは弁護士の立会いを求める権利がある。あなたは弁護士の立会いを求める権利がある。あなたはいつでもこの権利を用いることができ、質問に答えず、また供述をしないことができる。」と言う説明の途中までが写される事もある。

北村紗衣氏の映画評論の問題箇所はここ。

ただ、たぶんミランダ警告をしなかったのって、別に積極的な政治行動としてではなく、単に警告しなかっただけに見えるんですよね。警察官なので「逮捕するときはこういう手順でやりなさい」って訓練されているはずですよね? それをしないのって留置所に鍵をかけないのと同じレベルでおかしいわけじゃないですか。職務怠慢ですよ。「警察なんだからちゃんと仕事しろよ」って思っちゃいました。実はスコルピオと同じでハリーもわりと無能なんじゃないですか?

誘拐事件で警察が捜索中の人質の場所を自白したら、犯人である強い証拠になる。日本では被疑者の供述どおりの場所から遺体が出てきたりすると、犯人しか知りえない情報を知っていたとして、被疑者への殺人事件への関与が強く疑われることになるのだが、同様の状況だ。ミランダ警告を行って法的権利を入れ知恵すると、犯人は黙秘に徹する可能性が高まる*3。法的手続きよりも人質の安全確保を優先しているキャラハン刑事としては、ミランダ警告をしないのが合理的となる。連続殺人犯が人質の安全に配慮している可能性は低いからだ。

製作者は法的手続きと人質の安全確保と言うトレードオフをつくって、主人公のキャラハン刑事の価値観を表現しているはずなのだが、どうしてそんな作品理解に。それとも祖父ではなくておじいちゃんと表現する成人女性は、フェミニストと言うよりはフェミニンな印象を与えているよねと思ってしまう私が深読みし過ぎなのであろうか。

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