2024年9月12日木曜日

映画「猿の惑星」で、猿が英語を話していた理由

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武蔵大学の北村紗衣氏の映画「猿の惑星」評を見かけてしまったのだが、北村氏の作品理解に疑念があるので指摘したい*1。𝕏/Twitterで「今回は映画のことなので、本気でやっています」と宣言していたが、読解能力に疑念が出てくる作品理解となっている。映画が公開されてから半世紀。多くの人が指摘してきたであろうことを、指摘したい。

猿含めてみんなが英語を話している時点で無粋な突っ込みかもしれないんですが…ただ、こういうストーリー上の矛盾やおかしなところを「プロットホール」といって、そこに注目すると映画を見る際に脚本の問題点などに気づいたりできる…英語の話をしたので、ついでに無粋な突っ込みを続けると「言語の設定」も重要になることがあります…言語でコミュニケーションを取れないことが作品の中で重要になったり…この言語の設定がけっこう英語中心的であることも昔のSFだなぁという感じですね。

と、映画「猿の惑星」において猿が英語を話していることの重要性が分かっていない。

映画「猿の惑星」の世界では、猿たちは人類の文化を継承したから英語を話している。英語でなくてスペイン語などでも良さそうだが、自由の女神像が倒れている場所なので、北米である。 むしろ、英語以外を話していたら話の展開にあわない。

原作では独自言語を話していることになっているそうだが、映画版では英語を話すことになり、そして話の結末も原作と異なるものになった。だから、製作者も猿が英語を話と言うことがどういう事なのかを考えて作っているわけで、この設定は重要である。

猿の使う言葉にも関連するので、北村氏の最初の疑問に答えておこう。

テイラー一行は何のミッションで宇宙に行ったんですか? 何をしにこの人たちは宇宙に行ったのかが全然わからなくて。

猿の惑星の宇宙船は植民目的であったことが示唆されている。北村紗衣氏は「スチュアートが宇宙船に搭乗していたのは「新しいイブになってもらうため」」と言う台詞は掴んでいたわけだが、植民と言う発想に結びつかなかった。アポロ計画(1961年~1972年)の時代、1968年の映画である。宇宙に行く、月まで行く。技術的可能性を示すこと自体に意義があった時代の作品なので、なぜ宇宙殖民をするかは考えてはいけない。現在も片道切符で火星に殖民する計画が夢想されている。

物理学の時代でもあり、一般相対性理論が示唆する物理現象がクリエイターの興味関心を集めはじめた時代でもある。だから1972年出発で2673年帰還というウラシマ効果による現象が設定されている。ウラシマ効果はアニメ『トップをねらえ!』(1988年)からので広く知られる言葉だが、小説1963年、映画1968年の「猿の惑星」が最初期の利用例になると思う。

この映画は最後に、テイラーたちが不時着した惑星は実は地球だったということに気が付くんですけど、気づきませんか!?

と言うところは、一般相対性理論からのウラシマ効果で辻褄があうことになっている。2000年も経てば世の中は大きく変わり、きっと同じ世界に思えない(と製作者は考えた)。そして猿に遭遇するまでの地球探索に時間を割き、現在とは大きく異なることを映像で示している。

閑話休題。

北村紗衣氏は「ミステリ好き」を自認しているのだが、映画「猿の惑星」の受け手に事実を誤認させると言う意味の叙述トリックに引っかかってしまっているし、最後まで見ても叙述トリックであることにも気づいていない。映画「猿の惑星」は、映画の登場人物は英語を話すのが当然と言う(北村紗衣氏が説明した)当時の常識を逆手にとっている。猿が英語を話している時点で地球だと分かるわけだが、映画の流儀としてそんなもんだと観客は疑問に思わない。しかし、最後まで見て気づくわけだ。猿が英語を話している時点で地球だと分かるだろうと。よくよく考えるとミステリー的な要素も詰め込まれているわけで、やはり名作。

追記(2024/09/22 05:40):観客ではなく登場人物のテイラーが、猿が英語を話しているのを見て宇宙船が不時着したのが地球だと気づかなかった件だが、おかしい所ではあるが、辻褄があっていないと断定もできない。

テイラーは(寝ていたので)不時着する惑星の全体を見ていないし、宇宙船の喪失で記録を確認できていないので、地球だと言う確証を得ていない。猿が英語を話していることは、猿の惑星が地球だと言うことを強く示すが確証にはならない。亜光速で宇宙探索が可能な世界なのだから、テイラーたちよりも先に猿の惑星に到達した人類がいるかも知れない。だから、猿が英語を話す意味は分かっていたが、ランドマークを見るまで確信が持てなかったと言う説明がつく。

テイラーが合理的に推論すべきかも分からない。未知の惑星に不時着したと誤った固定観念を持った場合、それに反する情報を高く評価しない確証バイアスが生じてもおかしくはないからだ。情報整理して考察するシーンは無く、惑星が地球ではないと強く主張したりもしていない。奇妙な状況の夢で足掻いていたが、目が覚めて辻褄があわないことに気づくこともある。

作中で細かく説明されないし、細かく説明していたら叙述トリックにならないから、この辺は観客に解釈は任されている。

追記(2024/09/22 17:08):スクリプトを確認すると、「あなたたちの言い方で、私の部族は、遠く離れた惑星系の異なる惑星に住んでいる。」と言うテイラーに、猿(ZAIUS)が「それでどうやって我々は同じ言葉を話すのだ?」言うシーンがあり、製作者が理由も無く猿に英語を話させているわけではないのが分かる。ただしカットされた箇所で映像には無いそうなので、傍証と言うことで。

追記(2024/09/24 22:37):宇宙移民は無理があると言う指摘があった。確かに男3名女1名で男女バランスが悪く、また遺伝的多様性が十分ではない。しかし、必要な遺伝的多様性についての科学者の言及は2002年まで無かったようなので、当時は遺伝的多様性はそう重視されていなかったようだ。逆に、宇宙移民を考えていないとすると、台本にあるスチュアートの死に対するランドンの反応や、非常事態なのにやたらスチュアートと繁殖を結びつけて発想するテイラーの発言の説明が難しくなる。なお、現在の議論では血縁関係のない100名で49組のペアで遺伝的多様性は確保でき、何ならばヒトの胚を数百持ち込むと言う方法も思案されている。

2 コメント:

雪那 さんのコメント...

いや…言語のことを度外視して話が作られてるからこそラストで自由の女神の廃墟を見て「ここは地球だったのか」というオチが成り立つわけで、言語が英語であることが物語内で意味を持ってたら猿が英語喋った冒頭で「ここ地球だったのか」と分かって話終わるだろ

uncorrelated さんのコメント...

>> 雪那 さん

それに関して最後の段落に書いておいたのですが、最後まで読まれませんでしたね。
なお、私の独自意見と言うわけではなく、映画評論家の町山智浩氏も同様の説明をしていると言うか、町山氏の昔の説明が回りに回って私の耳に入ったのだと思います。

https://x.com/TomoMachi/status/1837358601297625171
https://x.com/TomoMachi/status/1837362670153986253

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