税で貨幣を回収することが、貨幣価値を維持し、貨幣の流通を促進しており、何かの実物資産の本位制である必要も、支払手段の強制も必要がないと言う租税貨幣論*1が、古代日本の貨幣によく当てはまると言う話を見かけた。しかし、検討してみたのだが当てはまりは悪い。税と無関係に流通していた私鋳銭もあり、政府貨幣も絹布や麻布との納税時公定交換レートが通貨価値を定めており、支払手段の強制もされていた。
1. 古代日本にも交換や価値保存のための貨幣需要が存在
古代日本の政府貨幣の代表は和同開珎で、これ以降の銭貨が納税に用いることができたことは広く知られている。しかし、古代日本には税制に関係のない貨幣需要があった。和同開珎が発行される前の日本では、重量調整の痕がある商品貨幣の無文銀銭が流通していたと考えられているが、納税に使われていた痕跡はない。流通していたかは謎だが、富本銭、中国から輸入された五銖銭、商品貨幣としての鉄鋌も同様だ。古代日本にも交換や価値保存のための貨幣需要があったと考えられる。
2. 和同開珎の価値保証政策は税以外にも多様
708年に発行された和同開珎の価値も税収のみで保証されていない。709年、710年、711年に無文銀銭他私鋳銭を禁止している*2ということは、民間の貨幣供給をなくすことで、政府貨幣の需要を増やそうとする行為になる。711年には米と銭貨の交換レートを定め、712年に調庸の布の代わりに銭貨での納税(調銭)をする場合の交換レートを定めているが、これらは税収を通した貨幣量の調整ではない直接の価格操作である。798年に廃止されたわけだが、711年の蓄銭叙位法も納税以外の貨幣需要の増加策だ。
3. 商品の納入義務との兌換性が古代貨幣にあった
調庸の布の代わりに銭貨での納税(調銭)と言うことは、絹布麻布本位通貨制度になるわけで、商品貨幣論の説明に説得力があると言うか、貨幣価値の保証に兌換性が不要と言う意味の租税貨幣論に沿っていない。721年に布と銭貨の市中レートにあわせて調銭の交換レートが変更されているが、銭貨の価値にあわせて調庸の布の量が変更されているわけではない。なお、逐次、交換レートを更新していたら、市中の貨幣量をうまく調整できた可能性があるので、タイムトラベラーの人は元明天皇に奏上してみて欲しい。
4. インフレーションを説明するための情報が不足
銭貨での納税(調銭)が銭貨の交換価値を高めていたのは間違いないが、どの程度の効果があったかは分からない。供給開始時点で和同開珎の10倍の価値とされた万年通宝、万年通宝の10倍の価値とされた神功開宝が、激しいインフレーションを招いたことが知られているが、朝廷(政府)の歳出と歳入の変化が良く分からないので、租税貨幣論の説明力は計算できない。役人の給料の銭貨分は額面10倍になった一方、調庸の布の量は維持されたような話だと考えたくなるが、実質価値での歳出と歳入が一定でもインフレーションになりうる。つまり、一文あたりの貨幣価値が高くなりすぎ貨幣の交換機能が落ち、旧貨の貨幣価値が唐突に減ったので価値保存機能が低く評価され、貨幣需要が減ってインフレーションになった可能性も捨てきれない。
5. 租税が新貨と旧貨の公定レートを定められていない
租税貨幣論で説明できない現象もある。779年に和同開珎・万年通宝・神功開宝の通貨価値は同一とされているのだが、この事象は納税(調銭)によって公定レートを維持できていないので租税貨幣論が成立していない。租税貨幣論が成立していれば、納税時に和同開珎・万年通宝・神功開宝の価値が異なることを人々が認識し、和同開珎・万年通宝・神功開宝の取引レートを変えるはずだが、銭貨を紐でくくってまとめて使う差し銭の習慣があったので、そんなことは無理だったと言われている。
6. 末期に銭貨の受け取りが拒絶されている
984年に銭貨の受け取りの拒絶が問題になっているが、必ず納税で通貨需要が生じる租税貨幣論では説明が困難だ。物納ができることが、租税貨幣論との乖離を生んでいる。なお、運搬が困難なほど銭貨の価値が下がったわけでもない。皇朝十二銭の時代(708年~963年)を通じて(和同開珎換算の額面価値ではなく)一文あたりの貨幣価値は1/10から1/20に落ちたに過ぎないそうだ。1人あたりの納税額が9文(5.1g×9=45.9g)から90文(2.5g×90=225g)になったからと言って、利用困難になったとも言えない。なお、987年にお寺に銭貨の流通を祈祷させているが、すぐに銭貨の流通はほぼ途絶えたと考えられている。
7. まとめ
労働者に一日一文払われた和同開珎が、労働力と布の納税義務を交換する取引の債務証書としての機能を実質的に果たしていたと言うような説明がされるので、古代日本の通貨制度は租税貨幣論でよく説明できる気がしてくるのだと思うが、私鋳銭の製造で得られていた貨幣発行益を政府が独占しようとした側面もあるし、制度的にも商品貨幣的な性質が強く残っている。制度的には典型的な租税貨幣論の世界とは言い難い。実質的にも、歳入と歳出が貨幣価値に与える影響を評価するだけの情報が無いので、租税貨幣論がよく説明するかも分からない。むしろ租税貨幣論で説明できない事象もある。
*1俗に言う主流派経済学の文脈で出てくる用語ではなく、非主流派経済学のMMTで主張されており、ネット界隈でよく言及されている議論である。ただし、主流派経済学の物価水準の財政理論(FTPL)も似たようなコンセプトになっており、こちらは納税以外の貨幣需要も認めているが、発想自体がトンデモと言うわけではない。
*2租税貨幣論に関連した債務ヒエラルキーの議論では、政府貨幣が私鋳銭に負ける理屈は無いのだが、実際には負けていた。東アフリカとアラビア半島の一部で1780銘のマリア・テレジア銀貨が長らく流通していたこともあるのだが、貨幣の流通性は一概に定まるものでもない。
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