2021年10月14日木曜日

明治維新のドタバタ感が面白い『氏名の誕生 — 江戸時代の名前はなぜ消えたのか』

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尾脇秀和氏の『氏名の誕生 — 江戸時代の名前はなぜ消えたのか』が評判だったので拝読したみたのだが、中盤からツボにはまる面白さがあったので紹介したい。

本書は現在の日本人の名前(氏名)の構造がいつどのように定まったかを、江戸時代からの変遷を追いかけて説明する本だ。こう書くと歴史マニア向けっぽい感じがするのだが、一般の日本史学習者にとって本当は重要な教養であると同時に、開発途上国の行政改革の理解という意味でも重要な逸話の紹介になっている。

1. 江戸時代の名前の構造

著者が悪いわけではないが、前半は門外漢にはストレスフルな記述が続く。江戸時代の貴族と武士と平民が{称号(苗字)}{官名/通称}{姓}{カバネ}{名(実名・名乗)}という構造の名前を持っていたとか、それぞれの部分にどういうものが使われていたとか、武士と平民が実際にはどういう運用をしていたとか言う話があるのだが、慣れない上に同義語が多い上に現代語と意味が異なるので混乱してくる。通用した誤称がリストされているのだが、江戸時代に生きていける自信がない。ここを抑えないと何がどう変革されたかわからないし、貴族と武士で同じ部分を違う読みをしていた史実があるので、同義語が多いのは仕方が無いのだが。苗字(個人の居所を示していた称号が、十四世紀前半頃から一族の名として使われるようになったもの(p.114))と姓(古代擬制上の父系血族集団が共有する一族の名(p.108))の違いをはっきり理解していなかったので、ファミリーネームが2つだなと思っていたのは告白しておきたい。

2. 名前は職業や身分といった情報を内包したデータ

何はともあれ、現代の名前は不完全に個人を識別するデータでしかないが、江戸時代の名前は職業や身分といった情報を内包したデータであったことがわかる。{称号(苗字)}が役所の書類に載るかで地域社会での地位がわかり、{官名/通称}の部分で身分や職業や商売がわかる。職業や商売と紐づいた通称の場合、職業や商売を譲渡するときに名前も譲るという大相撲の年寄名跡(親方株)の世界だ。もっとも必ずそうだと言う話ではなく、そういうときや地域もあると言う話で、統一感が無いのが江戸時代。なお、平民は苗字が無い場合もあり、姓・尸・名は無い場合が多かったようで、{屋号/職業}を別につけて{通称}を名乗ることが多かったそうだ。ただし江戸時代の官名は形骸化しており、身分の情報であって役職とは関係ない。武士と貴族は{称号(苗字)}{官名/通称}、ただし官名が変わりやすい上に{称号(苗字)}が被りやすい貴族は、{名(実名・名乗)}を用いることも多かったそうだ(pp.114–115)。

3. 官名と役職の対応を取り戻そうとした結果、名前は単なる個人識別情報になる

上記の江戸時代の名前のルールは、官名が役職を意味しないことを除けば、それなり機能しているものであった。しかし、明治維新が来て官名が役職を意味するように復古しようとする動きが起き、混乱が引き起こされる。ここからが面白い。制度改革でどう名乗ればよいかわからなくなるとか、官名がなくなるから通称を名乗と同じにしたら繰り返しが入った名前が書類に書かれたとか、冗談のようなことが起きている。平民も苗字を持てる(というか公式書類に書ける)ようになったと言うような単純な話ではまったくなかった。当事者たちの困惑を想像すると抱腹絶倒。すごーく投げやりに短期間にドタバタと制度変更していて(pp.301–302の年表にまとまっている)、これ、世界でも類を見ないのではないであろうか。ドタバタやっているうちに、そもそも名前に役職や身分の情報を入れる必要がないことに明治政府は気づく。{官名/通称}が{通称}になり、{姓}{カバネ}が廃止になり、{通称}と{実名}を統合して{名}として、最後に{苗字}{名}の氏名ができて今に至る(図表6–5; p.253)。こうして大隈 八太郎 菅原 朝臣 重信さんは、大隈 重信さんになった。

4. 明治維新のノリならば、どんな制度改革も可能

原則として変更を認めない氏名の制度になったのは、徴兵の都合で戸籍の管理を用意にする必要があったかららしい。本書で言及は無かったが、国民国家になった感。しかし、氏名も被るし国民の管理として十分に機能しないことは、年金記録の記載漏れの騒動で分かっている。明治維新の改革は21世紀では不十分だった。しかし、明治維新のノリでいけば、どんな改革の断行も不可能ではない気がしてくる。もうみんな法律を変えて個人情報保護を緩くして、個人番号で呼び合おうぜ(゚∀゚)

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