2014年5月14日水曜日

経済学で考えても、労働規制と雇用慣行は区別すべき

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労働問題の専門家の濱口氏が「労働時間法制への基本的な勘違いについて」と言うエントリーで、圧倒的大部分の経済学者や評論家は、労働基準法の労働時間規制と就業規則との根本的な区別がわかっていないと批判しているのだが、それが難癖だと思う人もいるようだ(ask.fm)。政策判断に影響しないのであれば、どっちだっていいだろうと思うらしい。しかし、理論的に規制と慣行は大きな違いがあり、その差が政策にも影響する可能性は低くない。素朴に考えても、規制されていないモノを規制されていると言うのは藁人形論法だし、規制されていないモノに規制緩和が何かをもたらすとは考えづらい。

経済学的にも両者は区別しておいた方が良いように思える。規制は外生的で、慣行は内生的だからだ。慣行と言っても規制に対応するための慣行の可能性があるから規制と独立な慣行を考えるが、経済学者が大好きな合理的な経済人を考えると、政府が定める外生的な規制は不合理な可能性が少なく無いが、合理的な経済人がとる内生的な自発的行動は、(誰のためかはともかく)何らかの合理性がそこにある可能性が高くなる。そして慣行が問題なのであれば、その処方箋は規制緩和ではなく、規制強化か(行動経済学的に何らかの誤謬がそこにあれば)ナッジ政策と言う事になる。

濱口氏が取り上げている『労働時間の経済分析―超高齢社会の働き方を展望する―』の主要部分にはほとんど影響しない部分だとは思うが、事象の原因が規制か慣行かで政策的には方向が逆になるわけだから、やはり見逃すわけには行かない。断片的な情報から、勝手に想像力を働かせる経済評論家もこの世にはいる。だから難癖とは言えないし、わざわざ指摘してくれるのだから、拝聴すべきだ。特に理論や計量が好きな経済学者は細かい社会制度の把握を怠る傾向があるので、分野横断的な批判は歓迎するべきだと思う。今回のエントリーはそうではないが、もうちょっとマイルドな言い方の方が受け入れやすいと思うときがあるけれども。

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