2014年5月10日土曜日

池田信夫はソロー・モデルの理解からして間違っている

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経済評論家の池田信夫氏が「マルクスは正しかった」と言うエントリーで、ノーベル賞経済学者のソローのピケティ"Capital in the Twenty-First Century"の書評*1の誤読を枕に、ソロー・スワン・モデルの間違った解説と、マルクス経済学のプロパガンダを展開しているので、問題点を指摘してみたい。

1. ソローのピケティ評

ソローはピケティの議論を詳しく紹介しつつ主張を検討しており、資本収益率が成長率より高いのは当然で、所得・資産格差が広まっていると言う指摘は理解でき、経済全体には良いが衡平性には良くないであろうとしている。ただし、米国にいる経営陣など高額給与所得者の議論がほとんど無いと指摘し、将来も格差拡大傾向が続くかは分からないし、資産課税なんて米国では政治的に無理すぎとあるので、正しいと言うのもかなり限定的なもののようだ。

ピケティの主張の核になる部分は、資本収益率が成長率より高いことだ。ソローはこの理由を次のように説明している。まず、定常状態に至る前は資本不足であろうから、資本収益率が成長率より高くなる。次に、定常状態に至った後も、賃金は経済成長率から人口増加の影響を除いた率でしか増えず、逆に生産から賃金を除いた資本収益は経済成長率を上回る率で増えることになる。恐らく資本の希釈化による労働生産性の低下と解釈してよいようだ*2

2. 池田信夫氏のソロー・モデルの妙なところ

池田信夫氏はソロー・スワ・モデルの有名な図らしきモノを示しつつ、ソローの解説をマルクス経済学的に解釈している。しかし、新古典派経済成長モデルを良く理解できていないので、おかしい事になっている。まずは図から見ていこう。

池田氏が示した図は横軸が資本になっているが、ここからおかしい。資本K、労働人口N、労働人口増加率n、一人あたり資本k=K/N、生産物Y、貯蓄率s、生産関数f(k)にしなくてよいのであろうか。通常は以下のような図を書く。

念のために説明しておくと、労働人口が何かの拍子で増えた場合は、一時的に一人あたり資本kが低下し、すぐに資本蓄積されて元に戻る。

労働人口増加率nが増えた場合は、恒久的に一人あたり資本kが低下する。

注意して欲しいことがある。ソロー・モデル自体は貯蓄率sが内生的に決定されないので、動学マクロ経済学のモデルとしては不完全だ。マルクス経済学方面の人は新古典派経済成長モデルの代表として参照するが、そんな事は全然ない。ソロー自身の議論もこれに依拠しているかは分からない。

ソロー・モデルを見直すと、労働人口Nがとても重要が概念だと分かる。労働人口Nが増加すれば、賃金wが同一だとしても、総賃金はN・wになるので労働者たちの取り分は増える。成長による産出量の増加をΔY*3として、「賃金が一定だとすると、ΔYは資本家がすべて取る」なんて事は無いのだ。

続けて「所得から要素価格を引いた外部性の利益を資本家がすべて取ることだ。これは限界生産力ではなく」も色々な意味で間違だ。「所得から要素価格を引いた」は「生産から賃金(=賃金率×労働人口)を引いた」、「外部性の利益」は「残りの利益」と書くべきであろう。そして、この残りの部分は「限界生産力ではなく」と言えるかは議論の余地がある。

ソロー・モデルは貯蓄率sが内生的に決定されないが、完全競争市場を考えれば、資本の要素価格、つまり金利は資本の限界生産物に一致するはずだ。他の新古典派経済成長モデルでも、貯蓄率sが内生的に決定されるモデルを見れば、資本家の利益は資本の限界生産物×資本量になっている。

3. 池田信夫氏のHart(1995)の説明の妙なところ

「ハートのいうように、資本家は労働者の使う物的資本を所有するがゆえに労働者に対して支配力をもつという残余コントロール権」と言うのは、Hart(1995)を良く読むと書いていない。リンク先に脚注5の邦訳版の部分的な引用があるのだが、前後を隠して読者をミスリーディングさせる気のようだ。脚注5を全て引用してみよう。

Given its concern with power, the approach proposed in this book has something in common with Marxian theories of the capitalist-worker relationship, in particular, with the idea that an employer has power over a worker because the employer owns the physical capital the worker uses (and therefore can appropriate the worker's surplus); see e.g. Marx(1867:ch.7). The connection between the two approaches has not so far been developed in the literature, however.(拙訳:その権力に対する関心を考えると、この本で提案されるアプローチは資本家-労働者の関係のマルクス理論と少し似た所がある。特に、雇用主が労働者が使う物理資本を持つと言う理由で、労働者に対して権力を持つ(ゆえに労働者の余剰を着服できる)ところがそうである。資本論第7章を参照。しかしながら、二つのアプローチのつながりは、今までの文献では研究されてこなかった。)

マルクス理論の「資本家は労働者の使う物的資本を所有するがゆえに労働者に対して支配力をもつ」と言う所が、Hart(1995)の所有権アプローチと似ていると言っているわけだ。しかし、Hart(1995)の議論で雇用主が労働者に支配力を持つには、労働者の転職が自由でないこと、就業前に契約によって支配力が制限されないことが条件になるから、マルクス経済学の主張を支持しているわけではない。

4. なぜ池田信夫氏は労働者が窮乏すると言いたいのか

「所得分配については、資本蓄積にともなって労働者が(相対的に)窮乏化する」と主張しているのも誤りで、ソローの議論では「人口増加にともなって」であろう。そもそも経済学の教科書を読み返せば、資本蓄積にともなって労働の限界生産物、つまり賃金が増加し、資本の限界生産物、つまり資本収益率が低下する事が分かり、これは労働者の相対的な取り分が増えることを意味する。

新古典派経済学の解釈上の間違いはさておき、池田信夫氏は普段は新自由主義的な政策の信奉者のはずだが、「労働者が(相対的に)窮乏化する」ことを狙ってそう主張して来たのであろうか。経済学が良く分からないからマルクス経済学に還りたいのかも知れないが、マルクス経済学が池田信夫氏の主張をサポートしてくれるかと言うと、そういうことでも無い気がしなくもない。マル経はほとんど知らないので、間違っているかも知れないが。

*1"Thomas Piketty Is Right: Everything you need to know about 'Capital in the Twenty-First Century'"

*2数理モデルが提示されていないのではっきりした事は分からないのだが、資本ストック自体がすぐに、もしくは同時に増えるはずなので、労働生産性の低下がどの程度発生するかは良く分からない。

*3△Yではなくて⊿Yだろと言うツッコミをしたくならなくも無い。

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