デモ、テロ、革命、戦争などの騒乱のニュースと言えば中東と言う事になるが、中東事情に詳しい日本人は多くはいないと思う。日本に限らず、欧米でも中東事情に詳しい人は少ない。もし多ければ方向性の定まらない政治混乱を、『アラブの春』と命名する事は無かったはずだからだ。
世界史を勉強し、解説記事を読んでいれば、シーア派、スンナ派、ジハードなどの用語には詳しくなれると思う。しかし、それらの言葉がいつどのような経緯で出来たものか説明できるようにはならない。そして、単語を断片的に知っているだけでは、中東事情を理解するのには、心もとない。
1. 中東のムスリムを中心に語る歴史の本
日本人の中東に関する知識が断片的なのは、どうしても日本との関わりを基本に他国の歴史を俯瞰してしまうためであろう。古代、中世、近世で、やはり中国や欧州の影響が大きい。外国の歴史知識はどうしても限られてくる。これは欧米でも同様で、中東史はほとんど教育されていないらしい。『イスラームから見た「世界史」』は、こういう状況を変えようと、中東やイスラムを中心に世界史を叙述すると言う意欲作だ。
2. 銀河英雄伝説風の中東イスラム史
本書は読み物として優れたものとなっている。文化圏として中東に一つのまとまりがあるので、中東を中心とした史実には一体感があるためであろう。記述も妙な堅さは無く、銀河英雄伝説風の中東イスラム史の本に仕上がっていて、銀英伝のファンは気に入ると思う。人物と社会が交互に記述されていて、歴史的な人物の性格や生涯と、歴史的な事件の関連が描写されている。時系列的に、小説家の田中芳樹氏に中東史が直接・間接に影響したのだと思うが、エピソードも似ている。イスラム教過激派分派組織が、十字軍に結束して抵抗しようとする指導者を暗殺していき、イスラムの内部分裂を招いた所などは、地球教団を連想せずには要られない。肥満を理由に王位を剥奪されたが王様が減量の上、復位するような微笑ましい(?)エピソードが紹介されるところも、そう極端ではない著者の解釈がそれと分かるように付け加えられている所も銀英伝風である。
3. 説明されているのは中東の政治思想のルーツ
本書は楽しい歴史の本であると同時に、政治の本でもある。実は著者はムスリムが信じている歴史を叙述することを目的としていると宣言しており、訳注がかなりついているが、史実については正確性は少し劣るかも知れない。だが、精確性は著者の本題ではないのであろう。現在の中東に息づく政治思想が、どのような経緯で生まれてきて、どのように発達してきたかを述べることで、欧米流の民主的/非民主的と言った紋切り型の政治思想が中東に当てはまらない事を指摘するのが目的だからだ。著者はシュメール文明の前から湾岸戦争あたりまで記述される600ページ以上の歴史物語を前フリに、単純化しすぎる議論を叩き切っている。話が長い議論は得意ではないのだが、ここまで長いとヤスリで木を切るようで、もはや清清しい。
4. 中東情勢を理解したい人は読むべき本
読み物として楽しいので明確な目的をもって読む必要も無いのだが、中東情勢に興味があって、トルコ人、アラブ人、ペルシヤ人の違いが分からない人はぜひ読むべきだと思う。またTwitterなどでドヤ顔したい人は、次に中東で何か起きたときに薀蓄を語るために、事前知識を入れておくことを怠ってはいけない。本書は歴史学者が書いたものでは無いので、あくまで歴史を俯瞰できる程度だが、一冊の本でそれが可能なのは重宝する。著者のタミム・アンサーリーは世俗主義を自認するものの、欧米型の極端な政治思想に心酔するわけではなく、またナショナリストでも無いため、叙述が淡々と進んでいくのが、その目的にあっている。
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