2014年4月29日火曜日

金融危機と金融行政の歴史

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The Economistで第一合衆国銀行設立から大恐慌までの金融危機の小史を紹介していた。南海泡沫事件やリーマン・ショックは省略されている事になるが、興味深い。金融危機は永続的ではないが繰り返し発生する災害で、その度に金融機関の保護が強まる傾向があるそうで、現在ではそれが過剰になり、金融機関が暗に政府援助に依存するようになっているそうだ。現代の金融事情はさておき、列挙されている歴史的事実は興味深い。小史をさらに圧縮しようと言うのに無理があるわけだが、内容をざっと紹介してみたい*1

現代的な金融機関が出来た後を意識したのか、始まりは南海泡沫事件ではなかった。1792年に、先物取引が過熱し銀行融資が急激に拡大したところに、William Duerの詐欺事件が発覚し、さらに第一合衆国銀行が通貨供給を狭めて危機に陥った。これは米国最初の財務長官のAlexander Hamiltonの果敢な金融機関の救済策で収まるが、先物取引の禁止と言う再発防止のための金融規制の強化に繋がったそうだ。

1825年には独立後間もない南米諸国の国債が英国を中心にブームになった後に、存在しない国の国債を売るというGregor MacGregorの詐欺事件もあって、バブルが弾けた。南米諸国は徴税能力が低く、借りたお金が返せなかったらしいが、旧宗主国スペインの敵である英国が助けるであろうと言う楽観論があったらしい。この金融危機は中小銀行を統合した大銀行の出現の契機になったようだ。

今でもそうな気がするが、19世紀には10年に1度のペースで金融危機は生じていたのだが、1857年には金融危機が世界中に拡散するようになったようだ。米国から英国、そして欧州に危機が拡散している。米国の将来性を見込んだ鉄道ブームや、英国の割引会社(discount house/wholesale discount bank)の競争加熱などが原因のようだ。なお、BOEは割引会社Overend & Gurneyの救済を拒むことで、その後の金融危機の発生を抑制できたと見なされているそうだ。

1907年には英国と違って緩やかな金融規制であった米国でマネートラスト(trust company)がバブルと金融危機を引き起こし、その対策として緊急で公的資金が出せる法的準備がされ、National Monetary Commissionによる金融制度の研究により連邦準備制度が設立された。しかし、1929年には金融機関の健全性が高かったのにも関わらず、株式バブルの発生と崩壊から大恐慌が発生している。これを受けて、金融機関の業務範囲を制限するグラス・スティーガル法が成立した。また、預金保険が整備され、取り付け騒ぎを抑制するようになっている。

Alexander Hamiltonは金融システムが政府を安定させ、公債の消化を助けてインフラや軍事支出を低利で支えることを望んでいたそうだが、金融危機に対応していくうちに出来た金融システムは、政府が金融システムを支えるためにコストを払うものになってしまった。金融危機時に金融機関を救済する事で、金融機関のモラルハザードを誘発するようになった。IMFの最近の推定では、2011年~2012年に世界の巨大銀行は6,300億ドルの間接的な援助を受けていたそうだ。

最後の民間金融機関にリスクを負わせて、政府のコストを削減しようと言う論調は色々と異議がありそうだし、1990年代からの金融自由化の是非については何も言及されていないが、網羅的でなくてもケース・スタディは重要だ。少なくとも、いつの時代も金融危機の前に何かバブル的な現象があって詐欺師が闊歩していることを、実例をもって理解できるようになる。

*1かなり議論を省いているので、本文を読むことを推奨。週刊誌あたりでそのうち全訳が掲載されることを期待したい。

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