2020年6月5日金曜日

普遍化可能性がありえる主張は、“反転可能性テスト”をかけても抑制できませんよ

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ネット論客の青識亜論氏が、お笑い芸人の岡村隆史氏の失言とタレントの室井佑月氏のデマに対する非難に問題があり、“反転可能性テスト”を行えばそれらの非難が生じなかったと主張している*1のだが、それら非難の道徳的な問題は普遍化可能性に関してではないので、反転可能性テストをしても無駄なことを指摘したい。

著名人の社会的に望ましいと思われない言動に対して、厳しい制裁(や自身の主義主張の流布)を求めて、自分が非難を行うだけではなく周囲にも非難を行うように促した事例が取り上げられているわけだが、反転可能性(普遍化可能性)が無いとは限らない。非難を浴びせている人々に「オレが著名人だったら失言への非難や制裁を受け入れるよ」と言われてしまったら、反転可能性はあることになる

青識亜論氏は以前も“反転可能性テスト”と言いつつ錯乱した主張をしていた*2が、せめて批判対象を整理して「ある状況にある人物がある行為をする(or される)ことが道徳的である」と言う形式に整えてから、具体的に人物を入れ替えて検証するようにするべき。今回の場合は、「失言をした著名人の(   )に対して、仕事が干されるように集団で非難を浴びせることは道徳的」の(   )に、非難をされている人、している人の名前を入れてみよう。

普遍化可能性と言う概念、直観的でごく普通の道徳律である一方で、何を人々が置かれた状況に含めるかによって結論がまったく変わってくるところがあり、“反転可能性テスト”は実は大して使えない道具である事には注意して欲しい。これで済んだら、倫理的立場が色々と出てくるわけがない。議論されている事件では、過失に対して求める制裁が大き過ぎることなどが問題なわけで、他の道徳的観点から批判すべきであった。

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