社会学者の卵の中村香住氏の「「オタク」であり「フェミニスト」でもある私が、日々感じている葛藤」と言うエッセイを拝読したのだが、細部が色々と気になったので記しておきたい。主旨については把握でき無かったと言うか、特に無さそうであったので言及しないと言うか、できない。
「フェミニストは基本的に、表現について法規制を求めてきたわけではない」としているが、声高に非難されるほど有害であるが、規制は不要と言うのは一貫した態度に思えないので、説明が要る。なお、米国のラディカル・フェミニストは反ポルノグラフィ公民権条例の実現を目指していたし、日本でもジャーナリスト/メディア・コミュニケーション学者の渡辺真由子氏が、法規制の必要性について研究・言論活動を行ってきており*1、ネット界隈では渡辺氏は代表的なフェミニストだと見なされていることにも注意して欲しい。
「性的客体化」(sexual objectification)の説明がよくない。「女性を(男性の)欲望達成のための手段・対象として道具化するなど」とあるが、道具化(objectification)の意味を知らないと理解できない。人格をモノのように粗雑に扱うことをモノ化(objectification)と言うことを説明しよう*2。なお、愛の告白を受けた女性がモノ扱いされたとはいえなし、金銭目的で積極的に売春をおこなった女性はモノ扱いされてはいるが「受け身」とも言えないので、「受け身」の話は忘れた方がよい。蛇足だが、創作物のキャラクターは最初からモノなのでモノ化しない*3。創作物の中の性的モノ化についての議論もあるが、非直観的なので注意深く追いかける必要がある*4。
思想系の社会学者の議論は語義曖昧なことが多いのだが、「消費」の意味が把握できない。「コンテンツを消費する」であれば視聴や読書によって楽しむことを意味すると分かるが、「オタクである私たち」の「女性性の消費、パーソナリティの消費、女性同士の関係性の消費」における「消費」は、何を意味するのであろうか。「女性同士の関係性(を描いた作品)を視聴や読書して楽しむ」と言う意味であったら、罪悪感を抱く必要は無いように思える。「ひたすら女性が虐待されている作品を視聴や読書して楽しむ」であるとすると、女性が虐待されている様子が楽しく感じる己の本性に罪悪感を感じてもおかしくは無いが*5。
創作物の描写にどのような道徳的な問題があるのかは、もっとはっきり具体的に言及する必要がある。性的モノ化の場合は、AV視聴者がAV女優に粗雑な態度を見せる場合でもないと当てはまらない。少なくも今まで言及されてきた、暴力的な創作物が、女性への男性の態度を変容させる説の他、メディアのポルノ化(pornification)が、女性の自己モノ化を促進し、精神的・肉体的健康を疎外して、認知能力や進路に悪影響を及ぼすと言うような説には触れるべきであろう。他にも、ある種の創作物の描写が許されること自体が、女性の尊厳を傷つけることになると考えている批判者も多い気がする*6。また、創作物の内容について作り手の裁量に入る部分なので、「消費」仕方、つまり愛好者の態度の問題とするのは論点がずれているように感じる。愛好者が好むコンテンツが供給されるようになるので、愛好者は態度を変えるべしと言う話であろうか。もっと議論を詰めて欲しい。
現代人は資本家に洗脳されてポルノを消費して搾取されている~と言うマルクス主義フェミニズム的な方向に議論がいかない事を祈りたい。
*1関連記事:渡辺真由子のマンガ・アニメ・ゲーム内の性的描写規制論を振り返る
*2江口 (2006)「性的モノ化と性の倫理学」現代社会研究, 9号, pp.135–150
*3関連記事:過去のフェミニズムの議論からは、性的モノ化された萌え絵が有害の可能性は低い
*4関連記事:主題「スザンナと長老たち」で比較する、性的モノ化された裸婦画とそうでない裸婦画
*5帰結主義であれば大きな問題はないが、カントの義務倫理ように人間の内面を問題にする倫理もある。
*6関連記事:エロ可愛い格好は女性に有害
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