2018年12月1日土曜日

渡辺真由子のマンガ・アニメ・ゲーム内の性的描写規制論を振り返る

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ジャーナリスト/メディア・コミュニケーション学者の渡辺真由子氏が、著作の第6章が丸々が無断転載で剽窃にあたると批判されており*1、出版社が絶版・回収にいたることになった。渡辺氏はマンガやアニメにおける児童ポルノ規制を積極的に訴えることでネット界隈のオタクの皆様から敵視されており、また渡辺氏が剽窃を認め謝罪していないこともあり、容赦のない非難が浴びせられている。

剽窃したことを反省しているように思えない弁*2が気になるのだが、今日はあえて、マンガやアニメにおける児童ポルノ規制における渡辺真由子氏の主張を振り返ってみたい。剽窃行為の方でねちねちと非難が浴びせられていくのだと思うが、論争としては自明でつまらない部分なので追い討ちをかける気にはなれないからだ。

1. マンガ・アニメ・ゲーム内の性的描写が犯罪を誘発する説

渡辺 (2011)「ネット上の性情報に対する規制とメディア・リテラシー教育のあり方の国際比較」を拝読すると、「アニメやゲーム,漫画では,子どもに性行為や性的虐待,拷問を加える描写が野放しになっている。これらは見る者の性的欲望を刺激し,罪悪感や理性を麻痺させないとも限らない」と書いてあり、これが主な主張と捉えられる*3

マンガ・アニメ・ゲーム内の性的描写が犯罪行為を誘発するかが鍵だが、同論文ではその根拠を十分に示せていない。『女児へのわいせつ行為などで逮捕された加害者たちは,「アダルトコミックやアニメからアイディアを得た」と供述している』とある*4が、そのようなメディアも無い開発途上国の女児でも性的暴行の被害にあっていることは良く知られているので、メディアが無くとも同じ発想に行き付いた可能性がある。

2. 暴力的な実写ポルノであっても、その影響は明確ではない

渡辺 (2012) 「性的有害情報に関する実証的研究の系譜~従来メディアからネットまで」を参照すると、ポルノが男性の女性への加害性を増進する事が、先行研究をもとに主張されている。しかし、参照している研究の限界をよく吟味しているようには思えない。

以下が渡辺論文での説明で、これだけ読むといかにも危険性が示されているように思える。

大渕が報告したのは、主にDonnerstein (1980)やDonnerstein & Berkowitz (1981)による、暴力的ポルノグラフィー(男性が女性を武器で脅して強姦する映像)の視聴が女性への攻撃行動を促すかどうかを調べた実験である。実験では、非暴力のポルノグラフィーを見た被験者は女性に対する攻撃を増加させなかったが、暴力的ポルノグラフィーを見た被験者は、女性に対する攻撃を顕著に増加させたことが明らかになった。

暴力的ポルノグラフィーに多く見られる物語パターンは、「強姦された女性被害者が、最後には性的快感を示す」というものである(大渕)。そこで、このパターンの影響についてもDonnerstein & Berkowitz (1981)が実験を行なった。女性被害者が強姦されている間中苦しみ続ける映像と、やがて快反応を示す映像とを男性被験者に見せたところ、女性被害者が快反応を示した内容は、被験者による女性への攻撃を増加させた。

これらを含む様々な研究によって、性暴力を女性が受け入れるポルノグラフィーは、 「女性は強姦されたがっている」という誤った信念(強姦神話)や、性暴力を肯定する価値観を男性に持たせ、性犯罪の発生を促す恐れがあることが指摘された10(大渕)。

しかし、参照論文を読み込むと、加害性の増進の十分な論拠になっていないことが分かる。Donnerstein & Berkowitz (1981)*5、女性への性暴力は分析していない。要約を読むと、この論文では二つの実験を行なっているのが分かる。一つは、男性もしくは女性の実験者が、男性被験者に嫌がらせを加え怒らせた後に、4種類の映画(非ポルノ, 非攻撃的ポルノ,攻撃的×女性が喜ぶ〃,攻撃的×女性は喜ばない〃)のうち1つを見せて、さらに電気ショックを実験者に加えることを許可するもので、攻撃的ポルノ2種類のうち1つを観た男性被験者は、女性の実験者に電気ショックを加えやすかった。一つは、被験者を怒らせないで、女性実験者が4種類の映画のうち1つを見せて、さらに実験者に電気ショックを加えて良いと許可したもので、攻撃的×女性喜ぶポルノのみが被験者の攻撃性を増した。

なるほど、ある種のポルノ視聴で攻撃性が増すと言えるのかも知れないが、許可されて電気ショックを加えると言うのは、性暴力でも無いし、犯罪行為とも言えないので、ポルノが犯罪行為を助長すると言うのには物足りない。

また、「これらを含む様々な研究」の根拠となるサーベイ論文大渕 (1991)は、確かにポルノが暴力や性暴力を増長させる可能性を見い出しているが、よく読むと結論を否定する部分も含まれている。Malamuth & Check (1981b)は、大学生の男女146名に攻撃的な映画*6と非攻撃的な映画のチケットをランダムに配り、チケットの種類と視聴前後のレイプ神話受容尺度(RMA)の変化を分析したが、統計的に有意な増加が無かったと記されている*7。この論文は、大渕 (1991)の議論の中で、性的暴力があるポルノと男性の性的暴行に関する考え方の関係を、相関ではなく因果で示すという意味で大事な議論である。厳密に解釈すれば、ポルノは性行動どころか男性の性的暴行に関する考え方に与える影響も軽微と言うことになる。

他に参照されているフィールド調査では、暴力的だからポルノを好むのか、ポルノを好むから暴力的になるのかと言う問題が残る。Paolucci, et al. (2000)は実証研究46本のメタ分析だが、分析対象の論文にある因果関係が特定できない問題はそのまま取り込んでしまう。Ybarra et al. (2011)はメタ分析ではないが、同様である。

3. 選択的接触理論は逆の因果だけの可能性を排除しない

渡辺 (2012) では、全般的に、その研究が相関を見ているのか、因果を見ているのか、注意を払っているようで十分に注意を払っていない。

メディアの影響研究が示すのは、因果関係ではなく相関関係である。よって、「暴力的なメディアを見た人は攻撃的になる」と解釈出来る一方、「もともと攻撃的な人が、暴力的なメディアを好んで見る」とも解釈出来る。後者は「選択的接触理論」と呼ばれる。選択的接触理論とは、自分の意見を反論から守りたいために異なる情報への接触を避け、自分の意見が承認されることを期待して、意見が一致する情報を選んで接触することである(Slater et al., 2003)。(中略)「もともと攻撃的」な人が、暴力的なメディアを好んでみることによって「更に攻撃的」になる

一行目では、因果関係が逆になるケースを認識できているように振舞っているが、読んでいくとメディアが暴力性を増す因果と、メディアと暴力性に相互に因果を持つケースしかない事になっている。暴力性が視聴するメディアに影響するだけで、メディアは暴力性に影響を与えない可能性も残るのだが、実は良く分かっていないのかも知れない。

4. 現在のマンガ・アニメ・ゲーム規制が忘れ去られている

因果関係どころか相関関係も示せていない*8マンガ・アニメ・ゲーム内の性的描写が犯罪を誘発する説の根拠が薄い事は自覚しているのか、渡辺 (2015)「子どもポルノをめぐる国際動向と人権」では『仮想描写物の子どもポルノに対し、「予防原則(Precautionary Principle)」の考え方を取り入れることを提案したい』とあるのだが、現在でも性的描写が強い作品はゾーニングされている。現状ではこれこれと言う理由で不十分とも書いていないのだが、すっかり忘れていないであろうか。

5. まとめと感想

全般的に論が粗いし、参照している論文の読み込みが足りないように思える。何はともあれ、マンガ・アニメ・ゲーム内の性的描写が実写ポルノと同様の心理的影響があるかは分からないし、心理的影響があったとしても実際の犯罪行為に影響するかは分からない。予防原則で規制強化するにしろ、現状のゾーニングで不十分な理由は説明すべきであろう。さらに、犯罪行為に与える影響評価はうまい自然実験でもないと研究困難なので酷ではあるが、心理学的実験は先行研究を踏襲する形でできると思うので、規制強化の前に試して欲しい。著作活動を続けられればの話になるが。

*1渡辺真由子”「創作子どもポルノ」と子どもの人権 ”関係/文献

*2渡辺真由子「メディアと人権」研究所: 拙著『「創作子どもポルノ」と子どもの人権』につきまして

本書には、出版社側との編集過程における齟齬により、一部に無断転載と受け取られる記述が存在していたことが明らかになりました。当方と致しましては、無断転載の意図は一切ございません。

*3渡辺 (2015)には「実在する子どもが登場するか否かに拘わらず、あらゆる形態の子どもポルノは子どもの尊厳を傷つける」ともある。児童ポルノに関するリオデジャネイロ宣言を受けたものではあるが、根拠の解説などは無かった。尊厳の意味を具体的に解説して欲しいのだが。

*4渡辺 (2011)には参考にした事件名が明記されていないが、渡辺 (2015)の4.3節には2004年~2012年の幾つかの事件の新聞記事を参照している。なお、渡辺 (2015)に「犯罪報道の多くはいわゆる警察発表に基づいており、その扱いには特に慎重であるべきである」ともあるので自覚はあると思うが、判決文を参照しているわけではなく、獄中の加害者にインタビューを行なったものでもないのは、調査方法として問題があるかも知れない。犯人の供述が正確に報道されているとは限らないからだ。

*5Donnerstein (1980)は、男性もしくは女性の実験者が、男性被験者に嫌がらせを加え怒らせるか、特に何もしないでおいた後に、非ポルノ、ポルノ、攻撃的ポルノを見せ、電気ショックを実験者に加える機会を与えるものだが、どのような機会であったのかはっきり分からなかった。

*6ゲッタウェイ(The Getaway)。夫に殴られても自業自得な女性と、性的暴行をした男に惚れ込む女性が出てくると説明されている。

*7パートナーへの暴力的態度への受容度を示す指標(AIV)の男性のスコアは統計的に有意に高いが、自分のパートナーに暴力的に接したくなったと言う話ではない。なお、AIVには「男性が妻を殴ることは、決して正当化されない」と言う項目があるのだが、映画に出てくる主人公の妻は殴られても当然の振る舞いをしているので、暴力的になったと言うよりも、女性への認識を改めた可能性もある。また、AIVは「多くの女性に・・・」「・・・である時もある」「多くの場合・・・」とやや曖昧で、(少なくとも1980年代は)違法性が明確ではない質問項目が並んでいる一方、RMAの方は「ヒッチハイク中の女性がレイプされるのは自業自得だ」のような犯罪受容的な質問項目がある。影響されるにしろ、既知の社会規範を覆すほどではないとも解釈できる。

*8性犯罪者がある種の性描写があるマンガ・アニメ・ゲームを観ていたと言う報道は示しているが、非性犯罪者が同様の作品を見ていないことは示せていない。

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