2018年10月31日水曜日

オタクの皆さんにも、公共空間はどうあるべきかを考えて欲しい

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ちょっと無理のある萌え絵批判が編集者の岩渕潤子氏からされている。その主張の問題点はネット界隈のオタクの皆さんが指摘していて概ね正論なのだが、岩渕氏の主張を上手く拾えていない気がする。萌え絵を見るとイタリアでのキャットコールを思い出すと言う話や、萌え絵の女性の身体特徴は整形手術を行なう風俗嬢と同じく客に媚びていると言う話*1に、思いやりの原理を過剰に働かせて、岩渕氏の萌え絵批判の論点を整理してみたい。

1. 萌え絵は公共空間に相応しくないは一貫する主張

萌え絵は公共空間に相応しくない。岩渕潤子氏の主張はこういう事だと思うし、一貫しているこれを主張したように思える。道を歩く女の子を冷やかすキャットコールと言うセクハラ行為が、公共空間に相応しくないと言うのは多数からの支持が得られるであろう。萌え絵の女性の身体特徴は整形手術を行なう風俗嬢と同じと言う説明も*2、性風俗の看板や客引きも公共空間に相応しくないとされ、なんだかんだと規制されていることから考えれば、主張したい事は同じである。そして長い長いネットの論争なのだが、その共通点を辿るとマンガやアニメとは直接関係の無い場*3に萌え絵が用いられている、もしくは用いられていると誤解したことが発端になっており、岩渕氏の議論の原点も同じだと思われる。

2. 人々が不愉快に感じない空間が求められる

公共空間に相応しい、相応しくないはどのように判断されているであろうか。人々の生命や身体に危害があるものであれば、もちろん相応しくはない。現代社会では公害として厳しく取り締まられる。だが、それだけでは不十分だ。キャットコールに身体的な害はないが、やはり問題とされている。公共空間は、そこにいる人々が不愉快に感じないようにしなければならない。創作物の絵柄で不快になる方がおかしいと思うかも知れないが、グロ画像や蓮コラが苦手だという人は少なくないし、それが手塚治虫の画であっても、ラッピング車両に居心地の悪さを感じを受けた事のある人は多いのではないであろうか。

3. 少数の人の不快感も考慮すべき理由はある

人によって好き嫌いが分かれるのだから、少数の人が嫌いと言うだけでは不十分だと思うかも知れない。しかし、好きな絵を見る楽しさと、グロ画像や蓮コラを見せられた不快感のどちらが、その後の10分間の心理に作用するかを想像して欲しい。こういう分けで、公共空間はなるべく多くの人々が違和感を感じないものであるべきだ。すると、無機質な造形なものか、古風で保守的な造形なものが相応しいとなる。同じ裸体でもギリシャ彫刻はよくて、萌え絵のやや煽情的な絵がいけない理由も、芸術作品として認知されている裸婦像は多くの人々が見慣れているので問題ない*4が、萌え絵は必ずしもそうではないからと説明がつく。水着や下着の女性をつかった広告も、多数が見慣れてしまったからと言う理由で、萌え絵の後に回される。

4. 保守的な価値観ではあるが間違いとは限らない

岩渕氏の主張をつなぐとこういう事になると思う。リベラルな価値観ではなく、保守的な価値観に基づいている事に驚くかも知れないが、風俗嬢や女性の絵師に対する職業差別的な物言いとも合致する。

保守的な価値観に基づく主張だからと言って、差別的発言の部分はともかく、その主張の骨子が間違いとは限らない。少なくとも功利主義的には、間違いだとは断定できない*5であろう。「響け!ユーフォニアム」はお気に入りの作品だが、京阪電車のラッピング車両*6には違和感を感じなくもないので、少なくとも私は心情自体は理解できる。「響け!ユーフォニアム」は名作なので、岩渕潤子氏にも観て欲しいなと思っていたとしてもだ。

公共空間といっても種類は色々とあるし、実際に公共空間の萌え絵に抵抗がある人がどの程度いるかは分からない。(これは岩渕氏ではない人の話だが)欧米では…と事実誤認の出羽守論法をされたり*7、実証的根拠がないジェンダー・ロールの固定化効果などを主張されたり*8しても困惑する。しかし、ある種の絵柄を駅などで見たくないと言うのは、頭から否定すべき話でも無いように思う。

追記(2018/11/02 05:00):他の、どこかの誰かにとって目障りなモノと比較するコメントで、すべりやすい坂論法のような誤謬推理になっているものが散見される。それらについても功利主義的に、それらが存在する利益と、それらを目にする不利益を比較し、規制の有無を考えて欲しい。

  1. ムスリム女性の服装ニカーブ、ブルカなどについては個人特定が不可能にするための潜在的な警備上のリスクが公共の場から排除すべき理由にあげられているので、萌え絵と比較するには不適切である。
  2. 障害者については、障害者が街を歩く障害者の利益が圧倒的に大きいこと、また自分や家族が障害者になるリスクまで加味すると健常者の多くにも潜在的な利益があることから、規則功利主義的に許容すべきと言う結論が得られるであろう。
  3. 性的少数者(LGBT)は街を歩いていても見分けがつかないので、比較には不適当であろう。装いと不釣合いな体格からトランスジェンダーは見分けがつくかも知れないが、じろじろ見る必要がある。ただし、レインボーカラーなどのそれをアピールする服装については、議論の余地はある。
  4. 高層建築物の景観権などは、その建築物からの景観に関わらない部分の利益の大きさが問題になるので、萌え絵よりは排除しづらくなる。ただし、この利益を超えて、東欧の旧市街のように景観を重んじる立場、そして京都タワーを解体せよという立場もあり得る。
  5. ハロウィンの仮装自体が不愉快と言うのはあり得て、英国のコミケではコスプレで会場まで移動しないように呼びかけているそうだ。渋谷のハロウィンの騒動については、仮装による結果ではなく、痴漢や器物損壊などの犯罪行為は仮装した人々の振る舞いが問題なので不適当な比較である。また交通の混雑なども、不快感と言うよりは、実害である。
  6. Twitterのアイコンやツイート、オタク向けのブログなどネット上の表現については、見る側が選択の余地が大きいので、公共空間であっても公共性は低くなる。仮に話題だったNHK NEWS WEBのページのキズナアイが不快なものであったとしても、害の程度は低い。歴史上の人物の容姿を確認しようと人名を入れて画像検索すると、艦コレの萌え絵が画面いっぱいに並んだりするが。ただし、見る側で選択が難しい広告については害が大きくなる。
  7. 島根県奥出雲町の公園のダヴィデ像が裸体であることを問題にする人がいたことを挙げている人がいたが、ダヴィデ像がもたらす便益が少ないとして、その公園では撤去すべき理由にはなりえる。ただし、日本の公園や通りには裸婦像が多すぎると言う指摘があるが、長い間問題になっていないので、気になる人は本当の少数であろう。
  8. 「価値観の多様性を認めるのならば…」と言うコメントがあるのだが、ここでは道徳相対主義の立場はとっておらず、功利主義的に見ているので価値観の多様性は認めていない。{萌え絵がある事による不快感}×{不快に感じる人数}と、{萌え絵がある事による便益}の大小を比較している。なお、不快感は大きい不の効用ではない、不快感の大小比較を客観的に行なうべきと言う批判などを排除する事はしていない。
  9. みんなが萌え絵に見慣れてしまえばよいと言うのは、みんなが見慣れてくれる限りにおいて一つの方法ではあるが、キャットコールなどむしろ規制が厳しくなるものもあるので、それらと萌え絵の違いを説明できるとより説得力が増す。
  10. ヘイトスピーチも不快に思う人がいると言う理由で規制されることになると言う議論があるが、既に社会的にはその理由で規制されている(e.g. アカウント凍結, 広告抑制)。ただし、脚注*5で言明済みだが、政治活動を抑制するリスクがあり、萌え絵規制よりもさらに濫用しやすい規制になるであろう。
  11. 「価値観の自由競争(市場)」なる独自の概念を持ち出している人がいるが、商業的に成功していることは、ただちに少数者が不快な思いをしないことを意味しない。ヘイトスピーチ本が売上げランキングの上位に来ることから、ヘイトスピーチは不愉快ではないとは言えない。ポルノなども同様であろう。

*1露出過多の写真を広告に使うキャバ嬢/風俗嬢と言うほうが、現実に即しているようには思えた。

*2絵師に対する侮辱だと言う見解も多く、確かにその通りなのだが、商業的にやっている絵師はある程度は消費者の好みを意識しているので、完全に間違いとも言えない(イラストにも流行がある!プロイラストレーターが意識する絵柄のトレンド | いちあっぷ)。

*3萌え絵がアイキャッチになる、若年層に親しみやすくなるなどの狙いはあるのだが、大概のケースでは萌え絵である必然性は無い。

*4以前、ギリシャ彫刻を肯定していたのに、なぜ萌え絵はダメなのかと批判されていた(Twitter)。

*5表現規制を道具に政治活動を規制するリスクを考えると、規則功利主義的には問題があるなどと論証することも可能ではあると思う。

*6京阪電車で「響け!ユーフォニアム」のラッピング車両や等身大パネル - おまけ的オタク街 アキバやポンバシの情報発信基地

*7関連記事:海外の女性キャラクターの露出度規制論争

*8関連記事:炎上しているのはキズナアイでは無くフェミニスト主張の根拠の無さ

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