2018年7月8日日曜日

ネット論客が用いがちな19の詭弁

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ネット界隈での議論では、誤謬推理と言うか詭弁を弄する輩は多い。素人談義だから仕方が無いと思うかも知れないが、評論家や大学教員などが相手を言いくるめるために弄しているのを見ることがある。

詭弁術に詳しくなくても何となくおかしいと思う事が多いであろうが、毎回どうおかしいか説明するのは手間暇がかかるし、議論が横道に逸れてしまう。よくある詭弁、誤謬推理には名称がついているので、ずばっとそれを指摘してあげよう。

1. 人格攻撃(Ad Hominem)

主張ではなく、主張者の人格を非難するのは議論とは言えない。しかし、主張を批判されると侮辱されたと感じて、我を失う人も少なくなく、ネット界隈では良く見かける。間違いを指摘されると、ツイッターなどで指摘した人の性格や能力を根拠不明な中傷する経済評論家や、現代思想を専門とする大学教員を想像するかも知れないが、あれである。

2. 権威を笠に着る(Appeal to Authority)

著名な学者が言ったから、それは正しいと言う主張。専門家の意見は素人のそれより正しい可能性は高いが、議論としては中身を理解していないと意味が無い。有名な書名をあげて、そこに書いていない事を主張しだす経済評論家や、昔の偉人の名前をあげて、その人が主張していない事を言い出す社会学方面の人もいるが、これらもこの分類に入る。

3. 衆人に訴える(Bandwagon fallacy)

「みんながこう言っているから、こう」と言うお子様論法、ラテン語でArgumentum Ad Populum。大多数の人が信じることには、それなりの理由があるものが多いが、例外も数多くあるので議論の上では役に立たない。お子様論法のままでは見かけないが、「世論調査で○○○に反対している人の割合が多いから○○○は間違っている」「10万人がデモに参加して反対したのだから○○○は間違っている」と言う主張もこの部類に入る。

4. 語義曖昧論法(Equivocation)

一つの単語がもつ複数の意味を、ごちゃごちゃに使ってしまう誤謬。辞典の例文では自明な誤謬だらけだが、実際は文脈によって定義が変わる単語を使い巧妙に弄される。「~は罪になる」と主張していた人が、法的には罪に問えないと指摘されて、「~は道義的な意味で罪になる」と弁解するようなのが典型例*1。派生や発展も多いが、どれも言葉の定義をしっかり考えて表現を選べば防げる。

5. それは本当の…ではない論法(No True Scotsman)

「日本人は納豆が好き」「オレは日本人だが嫌い」「君は帰国子女だから、本当の日本人ではない」と言う感じの、何かの集団や属性に関する主張をしたが、反例が持ち出されて否定されたときに、その場限りで集団や属性の定義を変えて反論を封じようとする詭弁で、負けを認められない老害がよく使う。関連して、言葉の現在の意味を無視して、もともとの出典における意味を根拠に結論を導く発生論の誤謬(Genetic fallacy)にも気をつけよう。

6. 早まった一般化(Hasty generalization)

「富士山も、浅間山も、桜島も火山なので、全ての山は火山である」と主張するような誤謬。こういう誤謬が自明な例では「エベレストは?」とすぐに反例を投げつけられて終わるが、(国家)公務員の話をもって、(地方)公務員を非難するような人々は少なくない。米国のトップ大学のトップ研究者への好待遇を参照して、米国の大学全ての平均的な待遇のように言っている大学教員の弁もこれに含まれるであろう。

7. 無知に訴える(Appeal to Ignorance)

「否定されていないから、肯定される」と言う論法。否定も肯定もされない状態を理解しない。例えば「幽霊がいない事は証明されていないから、幽霊はいる」と言ったものになる。偽科学や公害問題などで、この種の論法を使う人は多い。相手に存在しないことを証明しろと迫る悪魔の証明もこの部類である。

8. 循環論法(Begging the Question)

「聖書は神の言葉だ。聖書にそう書かれている」といった論法。論点先取、トートロジーとも言われる*2。さすがに明確な形では見かけることは少ないが、他のサイトの説明で見かけた「どうやって彼が馬鹿だと知ったかって? ─ 彼はあらゆる事に無知なんだよ」と言うような言い回しは良く見る。具体的に彼の愚かな言説や行為を例示すべきところで、馬鹿と言う単語の意味を説明してしまっているので誤謬である。

9. 誘導尋問(Loaded Question)

思い込みもあるので良くやってしまうと思うが、間違った事、相手が同意していないことを前提に質問を行うのは正しい論法ではない。犯行を否定している被疑者に、どうやって被害者を殺したのか聞くのは間違っている。こう書くと術中にはまる人は少ないように思うが、「身体に悪いのに、どうしてウナギを食べるの?」と聞かれたら「美味いから」と答えてしまい、ウナギが身体に悪いと言う命題を肯定してしまう人は少なくないはず。

10. 根拠と主張の乖離(Non sequitur)

前提から演繹できない結論を主張する支離滅裂な主張、理由になっていない理由も良く見かける。例えば「原子力は危険である。再生可能エネルギーは有望である。」と言う言説を考えてみよう。原子力は危険であることから演繹できるのは、原子力が見込みがないと言う事だけである。他のエネルギー源については何も言えない。つまり、誤謬である。

11. 誤った類比(False/Bad Analogy)

議論の対象を他の何かに例えた後、両者の相違を忘れて結論を導いてしまう誤謬。「若い女性は気まぐれなものであり、猫のようなものである。よって、関節はとても柔らかい」を真に受けてストレッチ補助を女の子に行なうと、人間関係に致命的な亀裂を招く事になる。性格が似ていても、肉体が似ているとは限らない。そう明確な誤謬は無いが、経済を生き物に例えたり、財政を家計に例えたりするような言説は多いので、騙されていないかは気をつけよう。

12. 話を逸らす(Red Herring)

論点すり替え論法(Ignoratio elenchi)の一種。夫婦間、またはSNSで最も良く見かけるタイプだが、主張が通らないと分かると論点を逸らしていって議論を有耶無耶にしてしまう人は多い。家計の使い込みの話が隣家の夫婦仲の話にかわったらすぐわかるが、現在の太陽光パネルの収益性の話が未来の収益性の話にかわっても気づかないかも知れない。論点を見失わないように、時折、振り返ろう。

13. お前だって論法(Tu quoque)

誰かの罪を指摘する主張者が、何か同様の罪を犯していたと主張することで、罪の指摘を有耶無耶にしようとする論法。偽善を指摘する論法(Appeal to hypocrisy)、そっちこそどうなんだ主義(Whataboutism)とも言われる。中国の海洋進出を非難する日本人の主張を、戦前の日本の拡張的領土政策をもって、日本人に中国を非難する資格は無いと言い張るような行為が例としてあげられる。どっちもどっちだが、両方の罪が相殺されて消える事はない。

14. すべりやすい坂論法(Slippery Slope)

勝手に状況がエスカレートすることを当然としてしまう議論。他サイトの紹介例では、「一度、この銃規制法案が通ったら、全ての銃器を没収する他の銃規制法案も通ることになる」と言うのが例に挙げられていた。日本人としては、戦前の東條英機大将の「米国ノ主張二其儘服シタラ支那事変ノ成果ヲ壊滅スルモノタ、満州国ヲモ危クスル更二朝鮮統治モ危クナル」と言う主張を思い出す。

15. 藁人形論法(Straw man)

誰かの主張が批判されているときに、問題とされている主張が捏造・改編されたものである事は少なからずある。これを藁人形論法と言う。「ヒトとチンパンジーは同じ祖先から進化してきた」と言う主張を、「ヒトはチンパンジーから進化してきた」と誤解釈して反論する詭弁。存在しない事象についての批判もこれに含めてよいであろう。理解力不足の批判者は、かなり頻繁かつ無意識にこの問題を引き起こすし、政治目的のある人も同様の行為を行う傾向がある。

16. 文脈無視の切り出し論法(Quote mining)

文脈を無視して主張の一部分を切り出す行為、詭弁。「女媧が人間をつくったという中国の伝説は疑わしい」と言う文の中から、「女媧が人間をつくった」を切り出し、それが元の文の主張だとするような行為。特に「雨天の場合は、中止です」を「中止です」と誤解するような、限定条件を忘れてしまうのはSecundum quidと呼ばれている。

裁判の判決文などの一部分を切り出す論法があるが、あれである。法政大学の上西充子氏が、安倍政権の答弁が「朝ごはんは食べなかったんですか?」「(パンは食べたが)ご飯は食べませんでした」と、質問の一部分を切り出し曲解した“ごはん論法”なるものとなっていると批判しているが、これも亜種として入るであろう。

17. ~は…だから…あるべし問題(is–ought problem)

実証(~は…である)と規範(~は…であるべし)を取り違える誤謬。事実と規範の混同。人の世に諍いはつきものだが、人間は争うべしとは言えない。夫婦喧嘩は絶えないが、夫婦喧嘩はしない方が良いのだ。ムーアは、自然主義的誤謬(Naturalistic fallacy)と呼んだ。実証的命題から規範は導けないことは、ヒュームの法則、ヒュームのギロチンとも呼ばれている。本当に誤謬にあたるかは議論されているが、この論法に説得されるべきとは言えない。

追記(2020/07/20 02:13):ムーアの自然主義的誤謬の理解が誤っていたので取り消しした(「生物学者は「自然主義的誤謬」概念をどう使ってきたか」を参照)。

18. 前後即因果の誤謬(post hoc ergo propter hoc)

偶然、順番に生じた二つの事象に、因果関係を見出してしまうような誤謬。「この呪文を唱えていたら、赤だった信号が青に変わったから、この呪文には信号を青にする魔力がある」と言うようなモノである。信号は時間式か何かで、呪文に関係なく青になったのだが、それには考察が及ばない。反ワクチン運動など、擬似科学方面からよく出てくる。過去の増税の悪影響を言う人々も、コレに陥っていることがある。

19. 擬似相関(Spurious correlation)

偶然、相関関係が見出される統計から、因果関係を主張してしまう誤謬。共通する真の原因が別にある場合、因果関係はあるが因果の向きが逆のときも使われる。悪意が無くても陥ることの多い誤謬だが、結論が先にあると信じ込みやすいようだ。なお、統計学的手法で因果を判別しようとすると、ランダム化比較実験を行なうか、自然実験を利用した特殊な因果推論を用いるする必要があり、専門家でも困難なときが多い。

終わりにと言うか補足

非形式の誤謬ばかり、4年前の「万人が知るべき10のよくある間違った論証方法」に、9つ追加した。これでネット界隈でよく見かけるものを網羅したつもりだが、他の誤謬推理や詭弁を見かけることもあるであろう。必要と十分を混同するものや、逆や裏を真とするもの、対偶が真になることがわかっていない人も良く見かけるが、形式的誤謬になるので割愛した。

追記(2018/07/19 01:38):「誤った類比」と「お前だって論法」を追加して19にした。

*1この例は単に語義曖昧なだけではなく、明らかに間違いになる定義を、弁解できなくもない定義に摩り替えているので、モット・アンド・ベイリー論法になっている。

*2修辞学上の同義語反復とは異なる概念だが、連想して循環論法をトートロジーと呼ぶことがある。RationalWikiにも、One particular kind of tautology is "assuming the antecedent", also known as "circular logic"とある。circular logicは、Circular reasoning/begging the questionの同意語。ただし、両者の違いはFAQで、違いを説明する回答も多く、循環論法はトートロジーと呼ばない方が望ましいであろう。

1 コメント:

Unknown さんのコメント...

ネット界隈に留まらず、現実の論じ方にも詭弁として提唱すべきだと感じました。

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