2018年7月11日水曜日

社会構築物としての“自然科学”の例は、微積分ではなく優生学であるべき

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連続で話の種になってしまって申し訳無いのだが、稲葉振一郎氏の著作『経済学という教養』の中で、ポストモダン人文系知識人の認識的相対主義について、稲葉氏流の解釈を行なっている箇所にツッコミ所があったので記しておきたい*1

そこではポストモダン思想家を全面的に否定するのではなく、「科学外的な世間からの圧力が、科学を歪めてしまう」例があって、それで「自然科学は…『これが真実だ』と人々に思いこませることによって世界を支配している」と言うトンデモな結論に行き着いたと言う話がされている。

この指摘自体は間違いとも思わないのだが、例として出されているのが微積分なのがよろしく無い。優生学かルイセンコ騒動あたりにして欲しい。

1. 実用目的の数学研究もあるが、知的好奇心の寄与が大きい

問題部分はネットで公開されているが、引用する。

科学の社会的非制約性について極端な例を挙げれば、古代ギリシアやインド、あるいは中世イスラムでは数学がかなり発達したが、微積分の概念には到達できなかった。

微積分はニュートンとライプニッツが独立して発明したと言われるが、微分の概念と積分のアイディアは中東やインドにも既に存在していて、この二つを接続させた事が二人の功績とされている。書かれているのは「微積分の概念」なので間違いではないが、誤解を招きそうである。

微積分の開発が近世ヨーロッパで行なわれたのは、弾道計算などの世俗的、実用的なニーズとの関連が大きい――といった感じだ。

ここでの「開発」は、同じ段落の概念への到達の同意語と解釈できるので、発見や発明と理解されるが、弾道計算が微積分の発明を促した形跡は無い。微積分を用いて体系化されているニュートン力学が弾道計算に役立つのは間違いないが、中世の王族や貴族が軍事目的で数学者に出資などをした形跡は調べた限り無かった*2。また、大砲(や投石器)の運用は欧州だけではなく、中東や中国や日本などでも行なわれていたので、欧州だけに弾道計算のニーズがあったわけではない。

つまり、科学は研究者の純粋の知的探究心によってのみ動かされているわけではないのである。

ルネッサンス以降の中世や近世の数学者は、弁護士だが趣味で数学をやっていたフェルマーや、風車で粉挽きをしながら独学で数学を研究していたグリーン、何者なのか説明すると長くなりすぎるフーリエのように、知的探究心を追求していた偉人が多過ぎるし、だんだんと物理学と乖離した発展を見せるようになるのでひっかかるのだが、「のみ」なので、一つでも事例があればこの宣言は真であり、実際に『数の大航海―対数の誕生と広がり』によると、ケプラーとかブラーエは航海術に関連して貿易商からお金を貰っていたと言う話があるそうだから貿易圏が拡大するとともに天測航法の精緻化の必要性から、商人たちや王室が天文学の研究にも財政的な援助をするようになった(pp.40–41)ので、間違いではない。しかし、稲葉氏の主張のサポートとしては十分ではない。

2. 邪念で結論が歪んだ事例の方が、認識的相対主義の例にあう

ポストモダン人文系知識人の認識的相対主義は、動機だけを問題にしているのであろうか。動機によって結論が歪められるケースが問題なのであって、出資者がいたからと言って普遍的真実に辿りついてしまった事例は不適切であろう。アカポス狙いで数学を研究している人もいるであろうが、研究成果は価値中立的で認識的相対主義の例にならない。邪念で結論が歪んだ事例の方が望ましい。

代わりに適切な例を考えると、やはり優生学がよいであろう。1908年にはハーディー=ワインバーグの法則が発見されて、人間のような巨大雑系集団では遺伝子頻度は容易に変化しない事が示されたのに、人間集団の遺伝的改良と言う思想に取り付かれた人々の思想である*3。実際にナチスの所業もあって、ポストモダン思想家に影響を与えたと言われる*4

政治を考えれば、ルイセンコ論争がよい例であろう。獲得形質の遺伝性を主張する学説にスターリンが肩入れをし、批判者をシベリア送りにした。獲得形質の遺伝については、今でも説として上がることはあるが、ルイセンコが主張するような大きなの影響は観察することができず、擬似科学の代表例とされる。どういう理屈でメンデルの遺伝説がブルジョワ的なのか理解ができないが。

数学にこだわりたいのであれば、ピタゴラス教団が最右翼だ。何故か数の神秘性を崇拝する宗教集団になり、無理数の存在に気づいた弟子を暗殺したという伝説を持つ。ピタゴラスの定理をつかったら、直角二等辺三角形の斜辺の長さが無理数になるのはすぐに分かったと思うので、謎が多い。キリスト教徒に暗殺されたヒュパティアの話など、古い時代の方が科学と宗教の分離ができておらず、妙な騒動が多いようだ。

ところでこの話、経済学に関係あるのであろうか?

*1稲葉氏にはTwitterで内容の半分は指摘済みでエントリーをあげるか迷ったのだが、他の意見も出るかも知れないので挙げてみる。

*2弾道学の創始者タルタリアは数学者である一方で、当時の数学研究がそれの解決を目指していた気配がない。ガリレオは軍事コンパスを売って儲けたらしいのだが、これは角度を測る道具で微積を使っていない。

ただし、ナポレオンの時代には士官学校で微積分を使った弾道学は必修であったようである。当時の砲撃方法をみると仰角と装薬量による射程の変化を記したチャートを用意しておいて、あとは夾叉法で調整して当てるようなことになっている(図説 武器 WEAPONS OF THE NAPOLEONIC WARS)が、弾道計算でチャートを作っていたのかも知れない。

追記(2019/06/21 23:00):ニュートンとライプニッツがそれぞれ独立して微積分を発明した後、フリードリヒ2世をスポンサーとしていたオイラーが、ベンジャミン・ロビンズの『砲術の新原理』をドイツ語に翻訳し、誤りを訂正し、弾道の数理的分析をさらに発展させるときに解析学を用いたのが、微積分の弾道計算への応用の始まりになる(但馬(2009))。よって、時系列的に弾道計算が微積分の発明に寄与したとは言えない。

*3関連記事:「優生学と人間社会」を読んで左派のレッテル貼りを検証したら

*4なぜ科学を語ってすれ違うのか――ソーカル事件を超えて』に、そんな話が書いてあった記憶がある。

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