2016年12月13日火曜日

『優生学と人間社会』を読んで左派のレッテル貼りを検証したら

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ネット界隈の左派が自明の禁忌としているものの一つに優生学があり、生命倫理や介護医療などで気に入らない言説に優生学だとレッテルを貼って回っているところがある。ナチス・ドイツの行なった障害者の安楽死計画と同じだと言いたいようなのだが、それにしては広範囲に適用し過ぎなところがあるし、彼らは妄信的かつ短絡的な議論しかできないので、その理屈を汲み取るのは難しい。そこで『優生学と人間社会』を読んで、優生学が禁忌とされる事情を確認してみたら、もっと大きな倫理的な話題が議論されていた。

本書は優生学と優生政策の歴史を俯瞰することから、近年の生命科学の発達における倫理的問題に示唆を得ようとする本で、イギリス、アメリカ、ドイツ、北欧、日本について詳細に記述されている。分類すると生命倫理の本になるであろう。四人で章を分担して執筆しているがまとまりはあり、関連する科学や社会での各種現象に広く触れている。著者の間で主張が完全に一致していないためか結論に煮え切らない部分もあるが、過去の優生政策を振り返るだけではなく、今後の生命倫理に必要な議論の整理にも成功していると思う。さて、本書を読んで分かる事は、過去の優生学とそれを背景にした優生政策に二つの点で問題があったことだ。

1. 問題点:疑似科学に基づく優生政策

優生学は十九世紀自然科学主義、社会ダーウィニズムの影響を強く受けたもので、科学の発展に強く影響を受けているが、それを受けた優生政策は非科学的な面が多々あった。十九世紀後半、細菌学が発展してくると、病原菌に感染しても生活環境や遺伝による体質の違いによって発症しない事があることが知られるようになる。グロートヤーンは、病気の予防や克服のために、個人を対象とした保健だけではなく、生活環境を改善する社会衛生学と、遺伝的な虚弱体質の広まりを阻止する優生学の必要性を説いた。戦争や資本主義で“優秀”な血統が逆淘汰されたり*1、福祉政策・医療/公衆衛生・相互扶助で“劣等”な血統が保存・増加していると危惧していたらしい。

こういう風に書くと理屈が通っているように感じるが、当時の医療技術や公衆衛生で克服できない問題を、遺伝的問題のせいにしてしまう傾向があり(pp.59–62)、生物学の知見から乖離した犯罪傾向・反社会的といった遺伝因子を想定したり、安易な人間解釈を行なうことが行なわれていた(pp.269–270)。また、1908年にはハーディー=ワインバーグの法則が発見されて、人間のような巨大雑系集団では遺伝子頻度は容易に変化しない事が示されているが、取り入れられる事はなかった(pp.25–26)。また、血統と“優劣”の関係は科学的に良く示されていなかった。さらに、ナチス・ドイツや米国では粗雑な研究を引いて、差別の正当化に用いられる事もあった。昔の優生政策は擬似科学であったと言えるであろう。

2. 問題点:政府などによる断種の強制

優生学の信奉者は、主に避妊手術による障害者の断種もしくは中絶を優生政策として提案していた。すぐに浸透したわけではないが、社会福祉の充実とともに米国、北欧で導入されることになる。大恐慌の影響で福祉予算削減を求める声が支持したこと(p.90)が、背景に挙げられるであろう。遺伝学者のヨハンセンは、遺伝的改良云々は信じていなくても、障害者に育児能力が無いと言う理由で優生政策自体は支持した(p.112)。日本でも国民優生法、優生保護法が存在した。フランスでは断種法自体はなかったが、不妊手術の無法状態であったため(p.164)、保護者や医師の意向で障害者が断種される事があった。第二次世界大戦後、法に明記されたか、もしくは法運用で生じる強制性が問題視されるようになり、優生学が悪と言う認識が広まったわけだが、それは1970年以降になる。

3. ナチス・ドイツの優生政策

ネット界隈の左派はナチス・ドイツのアーリア人至上主義(人種主義)と障害者の安楽死計画こそが優生学と言う認識を持っているようだが、それは誤りのようだ。優生政策はナチス・ドイツ以外でも広く行なわれ、ナチス以前の政権与党である社会民主党でも議論されていた。ナチスの政策は、優生学から支持されるものとも言えない。優生学者の多くは断種で十分なので安楽死計画に反対しており、協力した唯一の優生学者のレンツも第一次世界大戦のドイツでは社会が困窮する中で障害者が餓死することが起きた事を念頭に、優生学とは別の観点から安楽死計画を支持したようだ(pp.101–106)。ナチスの行為は優生学と言う枠にはまっていたのかは疑わしい。

4. 科学に基づく無強制な優生政策:出生前診断と中絶

実のところ、強制性と擬似科学的な要素を排除したら、優生学と言う思想の実効性がなくなると言うわけでもない。むしろ、生命科学の進歩によって、初期の優生学の主唱者の一人であるプレッツがかつて望んだ(pp.69–71)ような、出生前診断による胎児の選別によって、遺伝病の抑制が現実的にできるようになった。英国では胎児の二分脊椎症を羊水穿刺で検知し、患者数を抑制した。キプロスでは当地に多いβサラセミアというメンデル劣性*2の遺伝性貧血を抑制するために結婚許可証を採用し、毎年60人前後と計算される遺伝的疾患者数を、1988年以降は発症数をゼロに抑える事に成功した。米国でも東欧系ユダヤ人に多いテイ・サックス病を出生前鑑定で押さえ込むことに成功した(pp.246–247)。一部の左派が言うように、これらが優生学的と言うのは確かなのではあるが、だからと言ってこれらが悪とは決め付けられないであろう。

5. まとめ

メンデル劣性の遺伝子の発現を防いだり、ダウン症候群などの突然変異を弾く出生前診断が、孫の代以降まで考えると遺伝的な改良になっていない気もするので、出生前診断と中絶はダーウィニズムに基づく人為的な自然淘汰とは異なる気もするが、遺伝子組み換え技術の導入も現実的になるかも知れないし、その範囲も病気予防に限られないかも知れない。何はともあれ、優生学のもともとの発想自体は死んでおらず、むしろ生命科学の進歩によって現実にできるようになりつつあるそうだ。本書は終章で、このような生命科学の世紀に倫理的な準備が十分整っておらず、体系的な懐疑や批判が必要だと議論している。商業主義などの問題を考慮していないそうだ。

*1シャルマイヤーは、戦争は徴兵可能な肉体を持つ人間を死亡させるか、負傷によって子孫を残す事を防止し、資本主義は屈強な労働者が子を儲けるには蓄財で時間がかかる一方で、軟弱な資本家はさっさと子供を作るので、人間集団の血統が悪くなると思っていた(pp.63–64)。優生学と帝国主義的拡張政策は結びつかない事が分かるが、結びつけて考える人がいるのは、統計学者ピアソンが「科学の視点から見た国家の生命」と言う演説で、戦争を人種間の不可避の淘汰原理と見なしたためらしい(p.22)。

*2片親だけではなく、両親が因子を持たない限り発症しない。

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