2018年1月17日水曜日

タリー・スティックは中世イングランドでも貨幣として流通していない

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非主流派経済学の信奉者の間で、中世イングランドでタリー・スティック(tally stick)が貨幣として流通していたと言う話が、真しやかに話されている。政府債務が貨幣として流通したから、政府債務を増やしても大丈夫だという議論なのだが、確認したら色々と誤解がある事がわかった。タリー・スティックは納税証明書もしくは手形として機能しており、原理的には割引価格で売買されうるが、実際に広く売買されていた記録は無いそうだ。

タリー・スティックだが、意外に徴税に使われた事を示す以上の具体的な利用法の記述は少ない。しかし、デヴィッド・グレーバーの「負債論 貨幣と暴力の5000年」の記述*1、大英図書館のウェブページ*2、アメリカ数学協会の解説ページ*3、Unusual Historicals*4の内容を総合すると以下のことは分かる。

タリー棒自体はハシバミの木の枝に債務者と金額を書き込み、それを縦に割って2つにし、債権者と債務者が一つづつ保有すると言う仕組みだ。債権者が債務者に借金を取り立てたときに、債務者は自分が持つ一方と、債権者が持つ一方の木目が一致するかを確認し、請求が適正なものであるかを確認する。台帳を代替する仕組みで、借用書。理屈から債権に譲渡性があったと考えられている。なお数字は使われておらず、ポンドは膨らんだ大麦の粒の大きさの刻み目、ペニーは木を削り取らない程度の傷として記録されていた。もっと大きい単位もあり、男性の手のひらサイズの切り取りは1,000ポンド、親指サイズは100ポンド、小指サイズは20ポンドだ。刻み目が一致しない場合は、タリーが変造されたと分かる。

下画像は106ポンド8ペンスの債権者側のタリー・スティック。2つに割るといっても、債権者のが長く、債務者のが短い。

ヘンリー1世は徴税にタリー・スティックを利用したと知られる。彼の大蔵省(Exchequer)は納税記録にタリー・スティックを用いた。大蔵省は額面から割り引いてタリーを売る事で、前倒しで税を払ってくれる人の税金を軽減した。納税者は納税時、現金などの代わりにタリーの片方を出す事で納税の代わりにしたわけだ*5。納税証明書。償還されないが納税に使える国債と言っても良いであろう。大蔵省に残す片方をフォイル(foil)もしくはスタブ(stub)と呼び、納税者が手元に置く方をストック(stock)と呼び、スタブは半券、ストックは株券として今でも英語に意味が残っている。

大蔵省のタリー・スティックが貨幣として流通していたのかが問題なのだが、現代の国債や手形と同様に割り引いて現金化できたこと推測される一方で、19世紀はじめまで使われていたのに決済手段として流通していた記録は無い*6。19世紀に大蔵省が保管していたタリー・スティックは何千本と言った程度らしいし、タリー・スティックは分割して額を小さくする事もできないので、そもそも貨幣として流通させるには向かない。やはり江戸時代の藩札のように、債券よりも流通を考えた形態にしないと決済には扱えず、貨幣とは言えないであろう。なお、藩札は兌換性を維持する必要があり、非主流派経済学の信奉者が望むように無制限に発行できたわけではない。

非主流派経済学の信奉者の元ネタは「21世紀の貨幣論」の「歴史学者の間では、中世イングランドの財政の大部分がタリーを使って運営されていたにちがいないとの見方が一般的であり、貨幣交換もタリーを使って行なわれたと推定されている」と言う記述だと思うが、歴史家の記述と整合性がないのでかなり胡散臭い。「21世紀の貨幣論」は、他にもヤップ島の石貨についてもかなり不正確な記述をしており*7、少なくとも歴史考証においては参考にしない方が良い。どうしてこういう本の内容に飛びついてしまうのか。

*1原著P.48を参照した。

*2https://www.bl.uk/collection-items/tally-sticks

*3Mathematical Treasures - English tally sticks | Mathematical Association of America

*4Unusual Historicals: Money Matters: The Tally Stick System

このページの著者は歴史小説家だが、数字の刻み方について詳しく書かれていた。

*5税務監査時に証明として見せたような記述もあるのだが、タリー・スティックに納税年度に関する情報が書かれていないので、大蔵省が税の代わりに回収していたと思われる。

*6What tally sticks tell us about how money works - BBC Newsに、"We don't have a good sense of whether tally sticks were in fact widely traded or not,"とある。タイトルと内容に乖離がある釣り記事であった。

*7『21世紀の貨幣論』のヤップ島の話の胡散臭さ

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