2014年4月30日水曜日

あるマルクス経済学者のプロパガンダ(6)

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マルクス経済学者の松尾匡氏の連載の続き『なぜベーシックインカムは賛否両論を巻き起こすのか――「転換X」にのっとる政策その1』が出てきた。今回はやや趣向が変化しており、社会保障分野の中でも特定化されたベーシックインカム(以下、BI)について議論している。話題になっているので取り上げているのだと思うが、社会保障としては重要な視点が議論から抜け落ちているので指摘したい。

1. ベーシックインカムとは

BIは、金持ちであろうが、困窮者であろうが、全員に一定の金額を給付しようと言う制度だ*1。たまに生活保護を騙し取ろうとする詐欺行為が報道されるので広く認識されていると思うが、健常者が困窮者のフリをする事があり、生活保護の給付には審査が必要になる。しかし、役所が適切に審査する事ができず、困窮者が死亡するような事件が起きている。BIは国民全員に配ることで取りはぐれをなくす制度だ。高所得者にも配るのでナンセンスに思えるかも知れないが、高所得者は所得税率が高いので、BIを貰っても税引き後所得はそんなに増えない。

2. 松尾氏はベーシックインカムを評価

松尾氏はこのBIを肯定的に評価している。勝手に整理しなおすと、その理由は三つあげられている。一つは、行政担当者の裁量権を無くせる事だ。担当官は原理的に困窮者のニーズを把握できないと、現行の措置制度の問題点を厳しく批判している。一つは、人々が負うリスクが低減される事だ。失敗可能性のある人生選択が容易になるし、そこにはブラック企業からの退職の容易化なども含まれる。一つは、消費平準化機能があるので、景気の自動安定化作用があるかも知れない事だ。細部で気になる点もある*2が、論理としてはそうおかしくはない。

3. 衡平性の観点がすっぽり抜けている

この松尾氏の議論からは、衡平性の観点がすっぽり抜けている。最低所得があるから事後的な平等は確保されているから衡平だと思うのかも知れないが、そうとは言えない。同じ失業者でも、足が不自由な人と、身体は自由に動く人で生活コストは変わってくる。足が不自由な失業者が、そうでない失業者と同様の“最低限度の生活”を送るには、車椅子などを買う余分なコストが必要になる。BIではなく障害者手当でカバーすべきと言う事なのであれば、「誰にどれだけ分配するかについて、行政担当者が何も決めなくていい」とは言えない。母子家庭でも、0歳児を持つ場合と、3歳児を持つ場合で状況は異なるであろう。持ち家などの資産によっても、状況は大きく変わってくる。

4. 役所が把握できるニーズもある

氏が指摘するように、困窮者ごとの状況を正確に把握する事はできない。資産調査は困難な事が少なく無いし、考慮しない方がよいかもしれない。しかし、子どもの年齢や数を数えるのは容易だし、身体障害の程度がひどければ外的に確認できるであろう。工夫もできる。車椅子や補聴器などを転売不可で実物支給するのであれば詐欺行為は行っても無駄だ。つまり、担当官が把握できる困窮者のニーズもあり、把握することで衡平性を高めることもできる。衡平性が高い方が、より少ない社会保障費で、より高い主観的な社会的厚生を高めることができるであろう。BIの導入で役人の裁量権を全て無くせと言うのは、議論が粗雑に感じる。

5. ベーシックインカムは銀の弾丸では無い

現行制度で役所の判断が不適切なケースがある事は確かだ。BIや負の所得税を導入してしまえばこの問題は無くなる。しかし、共通番号制度の導入で審査プロセスの所得トレースを強化できるであろうし、生活保護費の地方自治体の負担率をなくして市役所が給付をためらう理由をなくしたりと、改善できそうなポイントは幾つもある。BIだけの制度を導入すれば市役所が何も判断しない、間違いの起きない世界が実現されるであろうが。

現行の措置制度の代わりに導入されるのがBIだけの制度であれば衡平性に大きな問題を残す可能性があるし、他の制度を共存すれば役所の判断は残る。BIに関する議論が広まっているものの、社会が衡平性をどう担保していくべきなのかと言う難しい問題を忘却してしまっているものが多い。このような状況で学者が議論に参加するのであれば、ある種の問題を解決できたとしても別の問題は解決できないことにも注意喚起するのが、良心的な姿勢では無いであろうか。

*1生活保護制度とベーシックインカムと負の所得税の違い」を参照。

*2例えば「労働と所得は切り離されていません」とあるが、賃金の限界効用が逓減し、労働の限界不効用が逓増する以上は、“ほとんど”をつけないと不正確であろう。

1 コメント:

松尾匡 さんのコメント...

また早速フォローいただきありがとうございます。
今回のご指摘はその通りだと思います。

3.の問題は、現代的議論の創始者のヴァン・パリースの頃からすでに指摘されていることで、彼の『ベーシック・インカムの哲学』のセン派の訳者も違和感を表明しているところだと思います。これに対してパリースは自分の考えはこうした立場の議論をクリアしているのだと言っているようなのですが、難解でよく理解できていません。セン派の議論自体ちゃんと理解できているか心もとないので、今後ちゃんと勉強したいと思っています。

自分の今の所の考えとしては、4.はその通りで、ほとんど確実に役所が把握できる情報もあると思うので、それについては、条件ごとの対応をあらかじめ決めておけば、役所が対応して問題ないと思います。
それゆえ、3.の問題にはその原理が適用されて、小沢修司さんが「ベーシックインカムと社会サービスは車の両輪」と言っている「社会サービス」の方で対応することが正当化できるのだと思います。
この点、出版の際には、補足を検討したいと思います。ありがとうございました。

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