2013年9月18日水曜日

税の発生過程の一つが分かる『贈与の歴史学』

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権力基盤が弱かったせいかぱっとしない室町幕府のせいで、今まで室町時代好きの歴史マニアの気持ちがよく理解できなかったのだが、『贈与の歴史学 儀礼と経済のあいだ』を拝読して、その面白さが少し分かるようになった気がする。

本書では贈与と言う一見素朴な行為の発展と限界が紹介されているのだが、特にそれが高度に形式化した室町時代に重点が当てられている。贈与と言うと、経済システムの中では狭い人的ネットワークの中で行われる補完的な何かに思うかも知れない。現代社会ではそうかも知れないが、中世社会まではそうでは無かったらしい。なぜならば贈与と税金の境界が曖昧だったからだ。

日本においては、米を収める租や繊維製品や貨幣を収める調と言う税金は、神にたいする贈り物(初穂)が古代社会において転化したものだそうだ。これらの多くは「官物」と言う地代に統合され税に発展する*1が、中世社会においても初穂は「上分」として残ることになる。中世社会でも諸大名が臨時で賄っていた守護出銭の初期は、税ではなく諸大名から将軍への贈与と見なせる。室町幕府では全員一致型の意思決定プロセスが取られており、諸大名から将軍へ申し出ると言う形で守護出銭は賄われており、検地などの詳細に負担配分が無いからだ。金貸しに対する税金である土倉役は富裕税であり、金持ちに寄付を要請する倫理感をその背景に強く持つ。

税に発展していった事からも分かるように、贈与は好意で行われていたわけではなく、社会的な規範を背景に持つものだった。例えば役人への謝礼は、それが役人の生活を支えている側面もあり、実質的な公共サービスの手数料として支払いや受取は当然とされていた。また習慣的な贈与は常識として規範化する傾向があり、当時の人々も不用意に先例を作らないように注意している事例もある。

こう考えると贈与と税の違いは不明瞭になってくるが、収入を贈与と言う形態に依存してしまうと、やはり社会は成り立たないらしい。室町時代では贈与された品がさらに贈与されるだけではなく、「折紙」を用いて贈与の先渡し契約やその相殺取引も行われた。しかし折紙は実物を回収できない事もあり、さらに折紙の譲渡は例外的な事例に制限されたために、その取引コストは少なくなかったようだ。

室町流の贈与システムに無理があったのは間違いない。贈与と言う形態をとっていると、債権発生やその回収時期に大きな曖昧さが残るために、収支計画が立たないからだ。将軍家などの家計が政府機能と直結している事を考えると、政府機能の低下をもたらす。そもそも徴税能力が無いのがいけないのだが、贈与慣行に依存して支配者層の家計が傾いたことも、室町幕府の権力基盤を弱めるのに貢献していた気がしなくも無い。

混沌とした時代には面白みもあるのだが、混沌とした状態を知っても室町幕府がぱっとしないのは変わらないようだヽ(´ー`)ノ

*1領主の領民保護への対価、領主の観農行為(種子・農科の投入)への対価と見なす事も紹介されていた。

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