2013年9月17日火曜日

産業革命と奴隷貿易の弱い関係

このエントリーをはてなブックマークに追加
Clip to Evernote
Pocket

経済評論家の池田信夫氏が「グローバル資本主義という暴力」で、「イギリス帝国の歴史」の書評と見せかけつつ「資本主義の本質はマルクスの描いたように暴力と搾取だという見方が有力」と主張し、さらには近代経済学も「ユートピア資本主義は、その血なまぐさい実態を隠蔽するためにつくられた神話」と断罪している。マルクス経済学の信奉者である事を隠すことも止めたようだ。ところで、池田信夫氏には勘違いが幾つかある。

1. 奴隷貿易は資本蓄積をもたらさない

同書には「奴隷貿易が大きな役割を果たした可能性」は指摘されているが、「大規模な虐殺と掠奪によって、グローバルな本源的蓄積が行なわれた」とは主張されていない。

P.84~P.86に「アジアの物産の輸入代替工業化としての産業革命」と言う節があって、17世紀後半からインドから綿織物が西アフリカに輸出され、西アフリカからアフリカ人奴隷が南北アメリカ大陸に輸出されたこと、それが環大西洋経済圏の形成に大きな貢献を果たしたこと、産業革命でインド産綿織物が英国産に代替されたことは指摘されているが、資本蓄積に貢献したとは書いていない。

著者は奴隷貿易の資本蓄積に対する貢献に言及していないのだが、小林(2009)の「(4)奴隷貿易研究の現在」を見ると資本蓄積と言う観点からは、奴隷貿易は産業革命に貢献していなかった事が分かる。

『オックスフォード・イギリス帝国史叢書』(全5巻)に収録されたリチャードソンの論文によると、1760~1807年の間におけるイギリスの奴隷貿易の年平均利潤を8~10%として、この数値が当時ではかなりの収益であったと評価している。しかし、それが国内投資に向けられた割合は1%にも満たなかったため、奴隷貿易と産業革命との関係性について彼は一貫して否定的

奴隷貿易が産業革命に貢献したとすると、貿易相手と言う販路を開拓したと言う事になるはずだ*1

2. 近代経済学に関する誤解

池田信夫氏は「合理的な消費者の効用最大化のために企業が完全競争市場で競争する」と新古典派経済学が主張していると言うのだが、新古典派経済学の仮定では、企業は利潤最大化を目指すのであって、消費者の効用最大化などに関心は持っていない。そして、どんなときでも完全競争状態に必ずなるとは主張していない。マルクス経済学しか知らないのかも知れないが、藁人形論法になっている。

*1必然性は良く分からない。経済的理由によって奴隷制が維持されなくなった事を考えるに、奴隷貿易が絶対に米国のプランテーション事業と貿易相手国の生育に必要であったかは疑問が残る。奴隷貿易がされていた当時の英国にはニートっぽい若者が大量にいて、彼らも年季奉公人としてアメリカ大陸に渡っており、労働力として絶対に奴隷が必要であったとも言い切れないはずだ。

0 コメント:

コメントを投稿