性染色体はXYで、精巣があり、子宮はないが、外生器は女性である完全型アンドロゲン不応症 (CAIS)5α-還元酵素欠損症(5-ARD)の人を、女子の競技会に参加させてよいか否かで議論されている。フランス・オリンピックで、5-ARDと思われるイマネ・ケリフ選手の最初の対戦相手が開始46秒で棄権したからだ。
ケリフ選手の競技資格については、以前から議論になっていた。国際ボクシング協会(IBA)はケリフ選手は女子の競技会の参加資格を満たさないとし、国際オリンピック委員会(IOC)は満たすとしていた*1。IBAが資格を認めない明確な理由は明らかにされていないが、ドーピングとはされておらず、性別鑑定の結果の可能性が高い。IBAは他に林郁婷選手の資格が無いとし、IOCは彼女の競技資格も認めた。
5-ARDの人々はテストステロン値は高めだし、リオ・オリンピックの800m走でセメンヤ選手らがメダル独占した事例もあるので、生物学的女性よりも身体能力は高いと思われている。生物学的には男性なので*2、男子として競技しろと主張する人々もいる。だが、5-ARD選手の排除の是非を決める十分な情報が無い。
1. 5-ARDの運動能力の把握が重要
どれぐらい身体能力が高いのかが問題になる。生物学的女子選手が5-ARD選手に押しのけられたら問題だが、出生時から女性として社会が扱ってきた5-ARD選手を女子の競技会から安易に排除するのも、5-ARD選手の利益を無視することになるからだ。
女子の競技会は、女子の競技機会を増やし、女性がスポーツに取り組む意欲や機会を増すのが目的だ。生物学的女子と大差ないのであれば、5-ARD選手を女子扱いにしても問題は生じない。差があっても、例えば血中のテステステロン濃度に制限をかけることで、女子が競争できるレベルまで運動能力を落とせるのであれば、限定的な規制で間に合う。逆に5-ARD選手が男子選手と競合できるほど身体能力が高いのであれば、女子スポーツから排斥しても、5-ARD選手の競技機会は失われない。
公正か否かと言う観点から考えようとする人は多いが、そもそも才能は平等ではなくスポーツは不公平というようなジェンダー学者節が出てくるのでやめよう。5-ARD選手は主催者が定めたルールに従っているし、出生時に与えられた社会的な性別で女子の競技会に参加しているのだから、競技機会を得る抜け道として性別を選んだ可能性もない。女子選手の利益、5-ARD選手の利益のそれぞれを比較衡量すべきで、そのために5-ARDの運動能力の把握が必要になる。
2. これまでの5-ARD選手のパフォーマンス
生得的な運動能力において、男子選手=5-ARD選手と言う前提に基づき、女子スポーツからの5-ARD排除を訴える人々が多く見られるのだが、経験的には男子選手>5-ARD選手≥女子選手だ。生物学的には男性とは言っても、「アンドロゲン不応のため、外性器は完全に女性型であり、体型、性格も女性的」と説明されている*3ので5-ARDで生成されない男性ホルモンの一種であるジヒドロテストステロンの影響は外性器の形成だけではないので意外ではないが、男子選手が女子選手に混じったとしては成績が悪い。
話題のイマネ・ヘリフ選手は42勝9敗、林郁婷選手が19勝5敗となっている。平均的な男子選手でも、女子選手と戦って負けることはまずない。女子のトップ選手であったとしてもだ。9敗も5敗もしていると言うことは、5-ARDの人の運動能力は、男性に及ばない可能性を示唆している。
金メダルをとったリオ・オリンピックでのセメンヤ選手の800mのタイムは1分55秒28で、男子金メダルの1分42秒15から13秒ほど遅れている。セメンヤ選手のベストレコードは1分54秒25で、ドーピング規制が緩かった時代の記録と、2008年のパメラ・ジェリモ選手の1分54秒01に負けている。自己最高記録は1分54秒25で、女子の記録として4番目で、男子の記録としては8479番目の1分45秒99からも8秒遅れている*4。2023年の日本の男子高校生だと、73番目あたりとなる*5。女子としてはトップ層の5-ARDの選手は、男子としてはプロのアスリートに届かない水準だ。
5-ARDは数が少なすぎて、才能あふれるアスリートがまだ出ていないと思うかも知れない。では、どれぐらい数がいれば、男子選手に迫る5-ARD選手は出てくると考えられるか。5-ARDの選手が表彰台を独占したリオ・オリンピックの800m走の3名の5-ARD選手の記録からそれぞれの秒速を計算し、秒速がベキ分布に従うと仮定して*6、何名ぐらいの5-ARD選手がいれば男子800mの金メダルに1人届くか(ちょっと怪しい)を計算してみた。最頻値Xₘはもっとも悪い6.844041で、平均値Xₘa/(a - 1)は6.882733になるとして、パラメーターaを177.885とし、男子優勝タイムの時速から∞まで確率密度関数を積分する。結果は0.00000002739496で、期待値では3650万人ぐらいいれば、男子でもトップアスリートになる5-ARD選手が出ることになる。これはオリンピックに出場してきた男女の陸上選手の合計よりもずっと多い。
陸上女子800mなどでは血中テストステロン濃度に制限をかけ、それを不服としたセメンヤ選手は引退することになった。血中テストステロン濃度を一般女子なみに落とすと、パフォーマンスが大きく低下した可能性が高い。男女は思春期の身体の発達の差が大きく、男子選手の血中テストステロン濃度を落としてもパフォーマンスは女子を凌駕してしまうと言う話があったが、5-ARD選手は同じではないようだ。
3. 5-ARD選手の試合を見よう
5-ARD選手が女子選手を大きく凌駕していれば、女子の競技会から5-ARD選手を締め出す理由や、女子選手のホルモン量規制などをかける理由になるが、現在まで差異ははっきりしない。DSDはプライバシーに関わる部分であり、定量的な研究もないようだ。結局、5-ARD選手の競技会でもパフォーマンスを見ていかないと、どれぐらいの規制をかけるべきかはっきりしない。発表がないので本当に5-ARDかははっきりしないが、そうと目されるイマネ・ケリフ選手と林郁婷選手はまだ試合を残している。彼女たちが金メダルを取ることができるのか、取ったとしてどれぐらいの圧勝になるのかを確認してから考えよう。
追記(2024/08/06 11:42):CAISと5-ARDを混同していたので、置換した。
*1【パリ五輪】ボクシング女子と適性資格、今起きている議論を解説 - BBCニュース
*2生物学では、異型配偶子の有性生殖を行う生物において、大きい配偶子をつくる個体がメス、小さい配偶子をつくる個体がオスと定義されている。よって精巣を持っている5-ARDは、オスと分類される。
Goymann et al. (2022) "Biological sex is binary, even though there is a rainbow of sex roles, " BioEssays, Vol.45(2)[邦訳]
*3アンドロゲン不応症 概要 - 小児慢性特定疾病情報センター
*4Men's 800m — Track and Field all-time Performances Homepage
*5男子800mランキング - 2023 全国高等学校リモート陸上競技大会
*6この3名が5-ARDの中で運動能力に優れたサブサンプルだという仮定になる。
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