かなりの数のマンガや小説の映像化、特に実写化作品が、原作とかけ離れた作品になっていて、愛読者を幻滅させるだけではなく、原作者も商売と割り切れない人々をうんざりさせることになっている*1*2。原作では複雑な結び目を器用にほどくような解決策が、映像化では考えなしに結び目を切るようなことになっていたりと、原作の世界観をブチ壊しているものが少なくない。
『セクシー田中さん』の実写化をめぐる軋轢が顕在化したことにより注目されることになったこの劣化映像化問題は、一義的には製作者の責任である。映画やドラマの制作をとりまく環境がそうさせている面もあるのだが、原作ファンにも高く評価される作品と、強く非難される作品があるわけで、製作者の情熱や力量の問題は大きい。つまらない原作を面白くしていると豪語するなど、非難されている映像化作品の脚本家が傲慢さを隠さない面もあり、自省もなさそうだ。しかし、原作者には法的に強い監修権があるわけで、原作者にも一定の原因がある。
原作者が持つ法的権利はとても強い*3。映像化に関して著作人格権を行使しない取り決めを結んでいなければ、制作過程でも映像化を拒絶することができるし、映像化後に脚本を公開することを禁じることもできる。出版社が原作者に圧力をかけて監修権の行使をさせないようにしていると言う話もあるが、それは優越的地位の濫用になりうるし、映像化を拒絶している原作者もいる。
原作者が二次作品を統制するのは困難だという声もあるが、問題を難しく考えすぎている。原作者が脚本を読んでからその脚本を条件に翻案を許可すればよい*4。原作どおりには映像化できないという指摘があるが、脚本を先に固めさせれば原作を変える部分の確認ができる。原作者が制作に介入するのは労力が大きいという話があるが、制作には介入しない。原作者の意図を言葉にして契約書に書くのは困難*5で、原作者の要望は軽視される傾向がある*6という話があるが、少なくともプロットに関して原作者の意に反する改編が行われることはない。
先に脚本を用意しないといけないので、制作者の負担は大きくなる。しかし、脚本はどちらにしろつくる必要があるので、制作費に大差はない。脚本制作費が無駄になる可能性はあるが、原作者が脚本を了承してから映像化を許諾する慣習ができれば、原作者の代理人の出版社も原作者が拒絶しそうな脚本は弾くようになるし、原作をよく読まない脚本家*7はマンガや小説の映像化から排除される。だいたい同じ脚本家が問題になっているからだ。乱造が抑制されるので、ドラマ化される作品が減るかもしれないが、原作者に自殺するほどの不満が残るよりはよい。原作に縛られることを嫌った脚本家がシェイクスピアのように独自作品を書き上げるようになるかも知れない*8。
テレビ局や出版社への非難が集まっているが、原作者には強い権利が付与されているわけで、やはり原作者にその翻案権をうまく使って頂く必要はある。
*1「『海猿』はクソ映画でした」原作漫画作者がドラマ・映画が再放送されなくなった理由を衝撃告発! | 女性自身
*2「MARS」原作者 過去日テレでドラマ化も「原作とは別物」 芦原さん急逝に「漫画家一人の命よりも…」― スポニチ Sponichi Annex 芸能
*3辻村深月『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』のドラマ制作がある程度進行している状況で、原作者が脚本を承認しなかった事例で、ドラマ制作者が原作者を訴えたことがあるが、原作者の不承諾が適法と見なされた(東京地裁ワ17815)。裁判官は、小説と脚本で人間関係の描写が異なること、小説で重要な場面を軽く扱ったことなどを理由に脚本を承認しなかったのは、同一性保持権の範疇としている。
*4元テレビ東京社員、桜美林大学芸術文化学群ビジュアル・アーツ専修教授の田淵俊彦氏も、ドラマ制作に携わった経験から翻案の許諾をもらう前に脚本をつくれと主張している(だから日テレは「セクシー田中さん」を改変した…なぜか原作通りにはならない「テレビドラマのジレンマ」 テレビが越えられなかった「4項目」とは (6ページ目) | PRESIDENT Online(プレジデントオンライン))。
*5「セクシー田中さん」問題で...森川ジョージ、原作者と契約書の関係に疑問 「フワッとしたお気持ちをどう書面化するのか」: J-CAST ニュース
*6「セクシー田中さん」問題で小学館「要望伝えた」、脚本家「初めて聞いた」 残るは日テレ - 産経ニュース
*7原作を読まずにドラマの脚本を書いたことを白状した脚本家がいたと、ある人気小説家の作品の後書きに書いてあった。
*8スコットランド年代記はモチーフと言うことで。
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