計量社会学者の吉川徹氏が、日本には学歴に基づいた分断があると主張している*1。具体的には、大卒の人が日常的に仕事や私生活で会話を交わしたり連絡を取ったりするのは大卒の人で、非大卒の人は非大卒と言う社会的分断が生じているそうだ。主張が完全に間違っているとは言えないのだが、これを示す数字が上げられていないので、変な思い込みが入っていそうである。
1. 色々な学歴・経歴の人と知り合う職場も多くある
就学中は同級生や先輩後輩との社会にいるので、大学に進学した人々と専門学校や就職を選択した人々の間の接点が乏しいのはそうであろう。しかし、就業すると様々な機会で大卒の人も専卒や高卒の人と接点を持つし、その逆もある。学歴で職種や役職は定まってくるだろうが、話はしないしそもそも周囲に全く見かけないと言う職場だけでも無い。学歴が違うと知り合う機会が全く無いと言うような、コミカルで分かりやすい分断が日本にあるとは思えない。
システムの開発プロジェクトなどでは、職種が異なれども同じプロジェクトに従事していたりする。役所もキャリアとノンキャリが同じところで働いている。アパレルなど販売業でも大卒社員が店長と副店長、履歴様々なパートタイマーが他十数名で店舗を回していたりする。工場を持つ企業でも幹部として昇進していく人々は大卒で、技術系は専卒と言うケースが多いであろう。何だかんだと話をする機会はある。量販店でケータイを売っているのが、高卒の派遣の女の子と商社のおっさんと言う事例もあった。富裕層がゲーテッドコミュニティに住むような外国でも、富裕層と異なる階層の使用人がいたりするのでそこまで分断が進むことは中々ないし、多様な学歴の人が存在する職場は多々ある。
最近の大学は事務職も大半が高学歴なので、吉川氏が普段接する人々は軒並み大卒だと思うが、意外に例外的な職場かも知れないし、直ちに日本全体に一般化できるわけでは無い。
2. 吉川徹氏の言う「分断」を示すデータが示されていない
もちろん程度問題なので、大卒の人が接点を持つ人間の学歴の比率を出したら、大卒の人が圧倒的であったと言うことは十分あり得る。しかし、吉川徹氏はこの比率やこの比率を推測させる数字を上げていない。また、接点を持っている人々の学歴の比率が、日本全体の大卒・非大卒の分布と異なっていても、「集団間関係の隔絶」と言えるほど偏っているとは限らない。
大卒と非大卒の格差データを示しているが、格差と分断は異なる概念である。「壮年大卒男性と若年非大卒男性の稼得力には2倍以上の差」「壮年大卒層における非正規雇用者はわずか5.3%だが、若年非大卒男性の非正規雇用者はその2.5倍の14.0%」など、なぜか壮年と若年を比較したデータを並べているが、これらが示すのは格差であって分断ではない。
吉川徹氏が言う大卒と非大卒の分断は、話もしない、見かけないと言う強いものである。高学歴・高所得者のパワーカップルと、低学歴・低所得のウィークカップル、そして、そもそも結婚できない人々に分かれていると言うような話は聞く*2ので、結婚市場において学歴分断が生じているのは分かるが、それだけでは論拠として不足する。家族や地域の学歴構成が保存される話も、それ自体は吉川氏の言う分断や隔絶とはほど遠い。
3. 階層間移動の話に小さくまとめるべき
社会学では共生の理念が失われるような社会的分断と言う既成概念があり、そこに議論を持ち込みたいと言うのは分かるが*3、数字として示される前にそれがある事にされると戸惑わずにはいられない。
実際に行動として観察可能な学歴による分断は、結婚市場における分断や、親の学歴が子に保存されるような話に限られるであろうが、これらも徹底された話ではない。家計単位の学歴階層移動は多かれ少なかれ発生しているし、夫婦で学歴が異なる事例が皆無に近いわけでもない。親子で学歴が保存されるにしても、小中ではほとんどの人が公立に通っているので生涯で見ると、大卒と非大卒が無接点と言うこともない。
行動ではなく意識における話にすれば、多くの人は自分と近い経歴の人をロールモデルにしたがるので、アンケートなどで学歴の異なる人に関心を抱かないという事や、そういう傾向が強まっていることは示せるかも知れないし、それから共生の理念が喪失しつつあると言う事を議論する事はできそうな気はするが。
*1「田舎から東大」記事を読んだ社会学者が語る「学歴分断」の現実(吉川 徹) | 現代ビジネス | 講談社(1/3)
*2関連記事:非リア充につらい「夫婦格差社会」
*3以前に無理のある社会的分断論を見たのだが、意地でも社会的分断と言いたい気迫が伝わってきた(関連記事:ある社会学者の社会的分断の解消論について)。
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