ネット界隈で「本当の…」と言う言い回しを見かける事は多い。「本当のシシャモは北海道の太平洋沿岸でしか捕れない希少資源で、そのカラフトシシャモは紛い物だ」と言うような、広く認められている定義が“本当”なのであれば良いのだが、大半は独自定義になっており、「お前がそう思うんならそうなんだろう,お前ん中ではな」と言いたくなる。さらに、単に独自定義になっているだけではなく、詭弁・強弁として使われる誤謬も2パターンぐらい見かける。
1. それは本当の…ではない論法(No True Scotsman)
文献としては1975年が初出らしいのだが、もっと古くからあると思う。何かの集団や属性に関する主張をしたが、反例が持ち出されて否定されたときに、その場限りで集団や属性の定義を変えて反論を封じようとする詭弁である。「日本人は納豆が好き」「オレは日本人だが嫌い」「君は帰国子女だから本当の日本人ではない」と言う感じの強弁である。負けを認められない老害がよく使う。
2. 説得的定義(persuasive definition)
言葉の感じからすると、相手を説得するためだけのその場限りの独自定義と言う風に捉えてしまいそうだが、それだけではなく再定義する単語が持つ肯定的/否定的感情を何かに結び付けようと言う誤謬と言うか、レトリックである。メタ倫理学者のチャールズ・スティーブンソンが提唱した概念*1。「事ある度に空爆を主張するあの政治家は、とても平和主義者とは言えないよ」「結果的に相手国の譲歩を引き出して大きな紛争を封じ込めているのだから、真の平和主義者と言えると思うよ」と、平和主義者か否かを政治手法ではなくその結果で定め、平和主義と言う肯定的な印象を話題の政治家に結びつけるような論法。記述的意味を再定義して任意の対称に、再定義前の情動的意味を持たせるわけだ。
まとめ
上手い人は一見、それらしく使っているので、騙されないように注意しよう。ただし「本当の…」ではなく「理想の…」だろうといちいち突っ込むと、嫌な人間だと思われるので口には出さない方が良いかも知れない。ネット界隈の論説には、他にも話しているうちに多義的な単語の意味をこっそりと摩り替える語義曖昧論法や、立証が困難な主張に対する批判を、しっかり論証できる主張に摩り替えて反論するモット・アンド・ベイリー論法*2などが横行しているので、よくある詭弁の手法についてはあらかじめ知っておく方が良い*3。
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