2016年10月に刊行されてから、歴史の本としては異例のセールスを記録している呉座勇一『応仁の乱』をいまさら読んでみた。これだけ売れていると、中で書かれていることがネット界隈の思想に影響力を持ち出しうるので、読まねばなるまい*1。
呉座氏、テレビ番組では応仁の乱は畠山義就の視点で見ると分かりやすいと言っていた*2が、本書では興福寺のトップ(別当)の経覚と尋尊の日記(経覚私要鈔、尋尊大僧正記)を中心に紐解かれている。お寺と言っても、武士を従えて荘園経営を行なう弱小大名風の立ち位置にあり、藤原氏と関係が深いことから京都との繋がりが強くある存在。
日本史の事象の説明は色々と書き換えられているようだが、応仁の乱の原因も研究を積み重ねることによって、通俗的に言われる日野富子黒幕説では上手く説明できない事が明らかになったようだ。明快な主因があるわけではなく、複合的な理由で発生し、複合的な理由で長引いた。政治的理由の他にも、塹壕や井楼などの防御側が有利になる戦術的理由があったし、全国の戦闘で生じた流民が足軽になって兵力が供給され続けた。本書が主張したいことは要約するとこういう事だと思う。
ところで、室町時代についての事前知識が不足しているせいか、釈然としない事がある。将軍が畠山家や斯波氏などの家督について沙汰をするのだが、任官でもないしどういう権限で行なっているのかが謎である。そして、文正の政変での沙汰の取り消しを見るに、有力大名の家督を決めてしまう将軍家の足利氏よりも、有力大名の方が軍事力がありそうなのも謎である。御領所が小さかったので奉公衆と言う直参兵力に限りがあったのかなと思うのだが、その割には他家に介入しすぎである。
*1創作物の司馬遼太郎の小説や「銀河英雄伝説」で政治観を構成している人々が少なく無い。
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