2021年7月1日木曜日

「ナチスは良いこともした」を否定するのは困難なので

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それでホロコーストの贖罪にはならないとか、そこは過剰評価されているとか言い返す方が建設的。

歴史社会学者の田野大輔氏が未曾有の災禍の元凶であるナチスは絶対悪であるのは常識で、「ナチスは良いことした」と言うのは不勉強で、ナチスの政策で肯定できるところなど無いと主張している*1。手ごろな新書があるのでそれで勉強しろと言うのは良い提案だと思うのだが、ナチスの実行した政策のすべてが悪いと言うのは論理的に困難で無理がある。

「ナチスは良いことした」と言うにはちょっとした一つの良い事で十分で、また、それに先進性、独自性は要求されない。その数少ない良いことが過剰評価されていると言う指摘は可能であろうが、評価を下方修正したとしても良い効果をもたらしていると言えるのであれば、「ナチスは良いことした」と言う主張は維持される。アウトバーン建設が例示されていたが、社会民主党政権も実行したであろうとも、雇用創出効果が宣伝されたほどでなくても、雇用促進効果を否定するのは難しい。また、経済政策は評価が割れるところで、資本投資の控えることによる実質賃金の抑制や、女性の労働参加の抑制による失業率の低下であったとしても、本格的な失業率低下の前に労働市場の混雑緩和が重要と言う人から見ると、良い政策になる。

追記(2021/07/03 08:59):コメントに補足があったのだが、養老年金(≒国民年金)、源泉徴収、有給休暇はナチスが導入した政策である(川瀬 (1993))。

「ナチスは良いことした」と言う話に、ひっかかることが無いわけではない。ナチスの良い面を強調することで、ナチスの悪い面を有耶無耶にしてしまう誇大広告論法と言う誤謬推理につながりがちだ。仮に素晴らしい経済政策を実行していたとしても、ホロコーストの贖罪にならないことには留意したい。ナチスが政権をとって維持できたのはその経済政策が良かったからだと言うような言説が、日銀審議委員から出てきて頭が痛くなときもある*2。過剰評価が過ぎてナチスに見習えになっている。ナチス政権による価格統制の結果、都市部の栄養価が下がって死亡率が上がったと言う研究があったりする(Baten and Wagner (2002))わけで…といいたくなるが、ナチスがやったからと言う理由である種の政策を否定*3するのと誤謬の方向性は実は変わらないので、しがちな間違いなのであろう。何はともあれ、政策評価はナチスが行ったか否かに関係なく行うべき。

もちろん手ごろな新書があるのでそれで勉強しろと言うのは悪くなくて、リチャード・ベッセル『ナチスの戦争1918-1949 - 民族と人種の戦い』では、ナチスのあらゆる政策は戦争準備の一環でしかなかった事を指摘していて、全体的にダメだと言う話になっている。誇大広告論法によるナチス擁護にはまらないと言う目的では、ナチスは絶対悪とかナチスの実行した政策のすべてが悪いと言う認識を持つ必要はなくて、これぐらいで良いのではないであろうか。そう言えば石田勇治『ヒトラーとナチ・ドイツ』も拝読したのだが、ナチスやヒトラーよりも、ドイツ国軍の怪しい工作活動が全ての元凶だったのではないかと思うようになるかもなので、ナチスやヒトラーは絶対悪と思うようにはならないかも知れない。

*1新書の役割――「ナチスは良いこともした」と主張したがる人たち(田野 大輔) | 現代新書 | 講談社(1/5)

*2関連記事:原田泰日銀審議委員のナチスの経済政策の政治効果の認識でおかしいところ

*3ナチスがやった優生政策は悪だから、あらゆる優生政策は悪、優生政策的な政策は悪と言うような短絡的な議論を展開している人々は少なくない。ナチスの優生政策はかなり異例で優生学者は支持していなかったし、結婚相手の遺伝的選別による遺伝病の抑制のように人々の賛成が得られやすい優生政策もあるのだが(関連記事:「優生学と人間社会」を読んで左派のレッテル貼りを検証したら)。

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