欧米の人権団体が2018年から強化された中国のウイグル政策をジェノサイドだと言い出し、米国政府も同調して非難している昨今なのだが、雑なレッテル貼りである事を認識しておきたい。中国のウイグル政策が人道的に問題なのはそうであろうが、同化政策や出生抑制政策をジェノサイドと認定すると、かなりの事がジェノサイドになってしまう。
1. ジェノサイドは民族撲滅を目的とした行為
ジェノサイドと言えば、ユダヤ人を国外に追放していき、追放先が無くなったら組織的に虐殺をはじめたナチス・ドイツの行為を想像する人が多いと思うが、genos(民族)とcide(殺人)の造語であるジェノサイドは、その訳語である民族虐殺を意味しない。ジェノサイドと言う言葉を考案したラファエル・レムキンの説明では、ジェノサイドは民族撲滅を目的とした行為となっている*1。手段は虐殺でなくてもよく、集団殺害罪の防止及び処罰に関する条約(ジェノサイド条約) の定義では、かなりの広範な行為をジェノサイドと認定している。しかし、民族撲滅を目的としていると言えないと、何でもジェノサイドになってしまうので注意がいる。
2. 中国の出生抑制政策は民族撲滅を目的とした施策か?
ジェノサイド条約の第2条では、「国民的、人種的、民族的又は宗教的集団を全部又は一部破壊する意図をもつて…(d)集団内における出生を防止することを意図する措置を課すること」をジェノサイドとしているので、2018年からのウイグル族の出生抑制政策もジェノサイドな気がしてくるが、この理屈を踏襲すると漢民族はセルフ・ジェノサイドをしてきた事になる。しかし、1979年からの一人っ子政策、現在も続く罰則を持った出生直接規制はジェノサイドと認定されてこなかった。
確認できている限りにおいて、今まで漢民族に設けられてきた一人っ子政策はもっと厳しいものであったし、ウイグル族に儲けられている規制は2021年からの漢民族に対する規制と同程度のものでしかない。ウイグル族の出生制限が、漢民族の出生制限よりも厳しいとは言えない。出生抑制政策が「不妊手術を強制」と非難し、ゆえにジェノサイドだとしている記事*2を見ても、(1)都市部で3人、農村部で4人以上の子どもがいる家庭に対して、産児制限違反で夫を連行し、残った妻に子宮内避妊用具(IUD)の装着を勧める、(2)子どもが少ない家庭が自発的にIUDを装着する場合は報奨金を出しているだけだ。残った妻に手術を「強制」していると主張しているが、具体的な強制方法は明らかにされていない*3。
漢民族よりも、ウイグル族の人口あたりIUDの装着手術数が多くなっている事から強制があると主張する人々もいるが、子沢山のムスリムで2人もしくは3人以上の子供がいることが多いウイグル族の方が、上述の出生抑制政策による収容とIUD装着症例を受けやすいことにも注意する必要がある。子沢山が嫌な漢民族の女性には多種多様な避妊方法/出生抑制策があるが、宗教的な制約や、夫の支配力の強いムスリムのウイグル族の女性にとっては、政府が勧めるIUD装着手術にかなり利があることにも注意しよう。IUD装着手術数の多寡の数字は、ウイグル族の女性に何かの強制があるのかを示しているわけではない。他に有力な情報が出てくれば、それと突き合わせて解釈しなおすことになるが、現段階では多様な理由が考えられる。
不妊手術を強制していれば人道上の大きな問題ではあるが強制している明確な証拠はないし、強制していても継続的な人口減を招いたり、新疆地区における相対人口の減少を招く施策でもないので、レムキンの説明に戻ってジェノサイドであるか判定したら、ウイグル族の出生抑制政策はジェノサイドではない。
3. 同化による民族消滅を狙っているか?
歴史的には虐殺や人口抑制策による民族撲滅が成功したことはほとんど無く、他の民族に同化されることで民族は消滅する。血統だけではなく、宗教や文化や風習などで形作られるエスニシティは、それらが継承されなくなると消失してしまう。ドイツ人の入植後のキリスト教化で、古プロシア人は同化されて消滅した。倭人の北海道入植、とくに明治政府の近代化政策でアイヌ人は従来の生活や宗教を維持できなくなり、ほぼ倭人に吸収されている。
中国共産党が、ウイグル族を漢民族に同化させることで、ウイグル族の消滅を狙っている可能性はある。ウイグル族に対する中国語教育などが、ウイグル族を消し去る可能性があるのは確かだ。アイヌ人に対する日本語教育が、アイヌ人のエスニシティを弱めるのに寄与したのは間違いない。しかし、同化政策を安易にジェノサイドと認定すると、ジェノサイドだらけになってしまう。1930年代後半からの朝鮮植民地における学校教育の変化、皇民化政策も、何十年と続いていけば朝鮮語の衰退をもたらし、朝鮮人としてのエスニシティを弱め、朝鮮民族を消滅させる結果になったかも知れない。しかし、意図的であったと言えるであろうか。シンガポールあたりは、華人、マレー人、インド人の同化政策を積極的に行っているが、ジェノサイドとは認定されていない。
4. 人道に対する罪を、すべてジェノサイドと呼ぶ必要はない
取材制限がされていて現地の情報は十分ではなく、後で驚くような話が出てくる可能性もあるのだが、中国はウイグル族に対して積極的な同化政策を行っている一方で、ウイグル族が消滅するような可能性はなく、ジェノサイドと呼べる状況ではない。ジェノサイドのような人道に対する重大な罪を連想させる強い用語を好み、脆弱な根拠でそれに該当すると声高に主張する左派の人権団体や活動家にうんざりしているはずの人々が、中国のウイグル政策をジェノサイドと呼ぶことを無批判に受け入れているのが興味深いが、嫌いなモノに貼るレッテルであっても慎重であるべきだ。
テロとの戦いとして*4、潜在テロリスト認定した人々を片っ端から新疆ウイグル再教育収容所に放り込み、礼拝や食事でムスリムとしての戒律を守らせない*5、ウイグル語を話させないなどの悪質な人権侵害が行われている可能性は高いわけだが*6、ウイグル族の撲滅を狙っているものとは言えない。強制労働の話もあるが、それが事実であってもジェノサイドに該当する可能性は低い*7。中国のウイグル政策は非難に値するが、ジェノサイドには(少なくとも今のところは)該当しない。中国共産党も雑に誰かを罵る癖があるので、取材をさせるまでジェノサイドとレッテルを貼って煽るのも悪くないのかも知れないが、それは誠実な議論ではない。
*1Lemkin (1944) "Axis Rule in Occupied Europe"のp.19に、
Generally speaking, genocide does not necessarily mean the immediate destruction of a nation, except when accomplished by mass killings of all members of a nation. It is intended rather to signify a coordinated plan of different actions aimed at the destruction of essential foundations of the life of national groups, with the aim of annihilating the groups themselves. (拙訳:一般的に、民族の全ての構成員を大量殺害することによって成し遂げられた場合を除き、ジェノサイドは民族の即時破壊を必ずしも意味しない。どちらかと言うと、民族集団自身の壊滅を目的として、民族集団の基本的な生活基盤の破壊を目的とした様々な行動を統合した計画を意味することを目的とする。)
とある。
*2ウイグル女性に避妊器具や不妊手術を強制──中国政府の「断種」ジェノサイド|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
*3病院に連行されて、問答無用で手術を受けさせられているわけでは無さそうだ。夫の収容期間が短くなったりするのかも知れないが、罰金回避のため当局の意向に同意したものの、避妊に熱心でない夫に怒られるのが嫌で強制されたかのように言っている可能性もかなり残る。ムスリムとしては不道徳な話になるからだ。
*4ウイグル族の騒乱やテロは実際に起きて来た。
*5イスラム教を迫害しているのは確かなようだ。
中国、イスラム教指導者を標的に 新疆のウイグル族弾圧 - BBCニュース
中国、新疆で1万6000のモスクを破壊 豪シンクタンク 写真6枚 国際ニュース:AFPBB News
*6中国国歌斉唱に豚のみの食事、イスラム教徒が語るウイグル強制収容所 写真6枚 国際ニュース:AFPBB News
中国のウイグル族弾圧は「地獄のような光景」=アムネスティ報告書 - BBCニュース
*7欧米メディアは単なる出稼ぎも強制労働と認定しているきらいがあり、ここでも報道に混乱が見られる(新疆の綿花畑では本当に「強制労働」が行われているのか?|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト)。
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