2018年10月27日土曜日

ポストモダン思想の流れを汲むジェンダー社会学者の弁は詭弁だらけ

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社会学者の小宮友根氏は朝日新聞記者の丹治吉順氏に延々と、過去にジェンダー・ステレオタイプだと問題にされた広告と、NHK NEWS WEB上のページ「まるわかりノーベル賞2018」におけるキズナアイの利用の類似性を主張し、最後は面倒になったらしい丹治氏がそういう事は論文を書いて学会で報告しろと言い出して終わりになる言い合いがあった*1。よくあるSNSの光景なのだが、小宮友根氏の主張は詭弁なので指摘しておきたい。

過去に問題にされた広告と似ているからといって、キズナアイの利用を問題にすべきとは限らない。過去に問題にした人々、つまり、ジェンダー論を学んでジェンダー・ステレオタイプにうるさい人々の理屈が正しいとは限らないからだ。さらに、小宮友根氏が挙げた過去の広告は、本当に問題があったか社会的な合意が取れていない。

2017年のムーニーのユニ・チャームのおむつの広告に対しての抗議は無視された*2し、2012年の味の素のCM「日本のお母さん」も苦言は上がっていた*3が撤回などはされていない。1975年に放送されたハウス食品工業のインスタントラーメンのCM「私作る人、ボク食べる人」のときも「消費者などからの反応は、あのままでいい、という声が圧倒的に多かった」そうだ*4

小宮氏の丹治氏への質問は、過去にCMのジェンダー・ステレオタイプな表現が問題であることを前提とした議論になっており、それらとNHKの特設サイトの類似性を認めるにしろ、認めないにしろ、過去にCMにおける女性の表象が問題だと認めさせてしまう誘導尋問(Loaded Question)と言う詭弁になっているのだが、議論を眺めていた人は気づかれたであろうか?

社会の大多数の人が認めたとは言っていない、誰かが問題にした事だけを主張していると解釈しても良いのだが、誰かが問題にしたから是正すべきと言う理屈が通るのであれば、誰かが東北学院大学に小宮氏がジェンダー論を学んで来たから問題だと訴えたら、小宮氏は教職を去るべきと言う理屈が通ってしまうので、やはりおかしい事になる。

ハウス食品工業の広告は会社側が撤回をしたので、問題にした人々以外にも理解できる問題があったと言えるかも知れない。しかし、女性が食事を用意する一方で男性はしない事を当然のように宣言する広告と、女性と認識されてしまうキャラクターのキズナアイが生徒役を演じている事が、同じように社会に影響を与えていると言えるであろうか。

世間の大半が無問題とするから無問題と言ってしまうと誤謬推理ではあるが、登場人物がジェンダー・ロールに沿う創作物を作ってはいけないと言う社会規範が無いことは分かる。大衆を説得するためには、(1)ジェンダー・ステレオタイプな性的役割分担がなぜ問題だと言えるのか、(2)映像作品など創作物における性的役割分担がなぜジェンダー・ステレオタイプを強化すると言えるのかを説明しないといけない。

ジェンダー論の過去の研究に実証的・規範的な根拠となるものがあれば、そう難しい作業ではないはずだ。他の学問分野であれば、定説がどのように確かめられてきたのかを説明する事ができる。真空中の光の速度が一定だと言える理由を聞かれて、マイケルソン=モーリーの実験に言及できない物理学徒はいない。しかし、小宮友根氏らジェンダー論をやっている社会学者はこの作業を怠る。

結局、ジェンダー社会学は規範を押し付けて来るわけには学問としては空っぽで、人々に語れる中身が無いのであろう*5。倫理学者のヌスバウムは、ジェンダー論の大家ジュディス・バトラーをモゴモゴ規範と批判している。身近な他の例では、小松原織香氏(@font-da)は「無いとは言えない。多くの人は直観的にありそうだと思う」と、衆人に訴える詭弁(Bandwagon fallacy)と無知に訴える詭弁(Appeal to Ignorance)を同時に駆使して正当化していた。

新奇性の無い研究は論文にもならず学会報告もできない事を理解していなさそうで、ジェンダー社会学に関係の無い情報処理学会で報告しろと無理なことを言っている丹治吉順氏に非難の声が散見されたが、詭弁を弄するしか能の無いない「学者」には悪くない煽りだったと思う。小宮氏には、既にかれこれと言う論文や研究で示されているので自分が実証すべき問題は残っていないと理由をつけて拒絶して、もっと建設的な議論を展開する事もできた。そういう学問的蓄積がジェンダー論にあればだが。

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