2018年8月23日木曜日

みんな気をつけよう。社会学者・岸政彦は、騙されてるだけかもしれないのだ

このエントリーをはてなブックマークに追加
Clip to Evernote
Pocket

社会学者の岸政彦氏が朝日新聞に財政問題に関するエッセイを寄せている*1。学者が書いたとは思えないポエムなのだが、要約すると財政赤字を出せば緊縮財政をとらなくて良いのに、行政がその管理対象への支配力を強めるために、「お金がない」と国民を騙して緊縮財政をとっていると言う陰謀論を展開している。短い文だが無知と誤解と詭弁に満ち溢れているので、気づいたところを指摘したい。

1. 財政赤字はインフレを誘引し、経済厚生を悪化させうる

「国債を発行しすぎると、誰に叱られるんだろうか」「財政が赤字だからもう政府はお金を出しませんよ、という考え方によって、誰か得をするひとがいるのだろうか」と、財政赤字無問題説を唱えているのだが、経験的、理論的に財政赤字は高インフレにつながる事が示されている*2ので心配されている。なお、現在進行中のベネズエラのケースを追いかけて欲しいのだが*3、経済成長率や失業率を見ても、所得分配を見ても高インフレに良いことはほとんど無い。経済混乱で資本蓄積が阻害されたり*4、買いだめで消費が非効率になったり*5、現金性資産しか持たない貧困層の経済状態が悪化する*6

2. 最近の北欧福祉国家好きリベラルは健全財政好き

「リベラルな方々でも、緊縮財政路線を守る方が多い」事に驚いたと書いてあるのだが、北欧の福祉国家でも高インフレが問題になり、1990年代以降は健全財政が目指されるようになっているから、スウェーデン大好きな米国風リベラルが財政赤字に否定的なのは不思議ではない。暗に上野千鶴子氏が非難されているが、話題になった氏のエッセイでは「国民負担率を増やし、再分配機能を強化する」べきだと主張しているのであって、「平等に、緩やかに貧しくなっていけばいい」と言う挑発的な形容だけ取り出すのは、文脈無視の切り出し論法(Quote mining)と言う詭弁であろう。なお「もう日本は経済成長しない」もよく非難されているが、生産年齢人口の減少をもとに単純計算すると高い経済成長率は見込めない*7一方、これを覆す計算は提示されない。

3. 少子高齢化でインフレ無き財政赤字の余地が小さくなる日本

インフレ率は財政赤字の他にフローの貯蓄率や貨幣流通速度にも左右されるので、今の財政赤字が何時インフレを引き起こすかは明確では無いのだが、国民が老後の生活のために貯蓄を切り崩したら貯蓄率は大幅減になるし(政府の累積債務は国民のストックの貯蓄!)、インフレが生じると人々は貨幣保有を嫌がるようになるので貨幣流通速度は上がると考えられている*8。今の日本の状態はかなり微妙かも知れない。御用学者と揶揄される経済学者が、政府が大きな声で言えない心配を代弁しているので、もっと耳を澄ませて欲しい。

4. 誰に吹き込まれた「最近の経済学」なのか

「最近の経済学などで、財政が赤字でも緊縮しなくてもよい、あるいは、景気の悪いときはむしろ緊縮してはならない、という考え方もちゃんとある」と言うのは、かなり根拠不明な議論である。景気が悪く失業者が溢れているときは拡張的財政政策を行なえと言うのは80年以上前からある議論であるし、今の景気は決して悪いわけではなく人手不足が言われている。インフレ目標を達するまでは、増税や歳出削減は先送りにしようと言う主張はあって、こちらは最近の経済学と言えるかも知れないが、先送りであって増税や歳出削減をしなくて良いとは言っていない*9

5. 歳出削減が嫌なのであれば、増税したってよい

岸政彦氏の主張には、興味深いことに増税と言う選択肢が欠けている。歳出削減が嫌なのであれば、増税したってよいのだ。冒頭の国と国民を一体化させた議論で、税金を「ひとりの人の右手から左手にお金を移動させてるだけじゃないの」と言っているぐらいだから、国民負担なしの無税国家が可能だと思っているのかも知れないが、社会保障にしろ、研究活動にしろ、労力や費用がかかる以上、誰かがそれらを負担しなければいけない。貨幣や公債の発行は誰の負担にもならないように思えるが、インフレと言う形で国民負担を増やしうる*10。そうなった国は枚挙に尽きないわけで、日本がずっと例外で済むと考えるべき理由は少ない。

6. ネット界隈のトンデモ言説を真に受ける社会学者

どうしてこういう陰謀論にはまるのかが良く分からないが、ネット界隈のトンデモ言説に触れすぎなのかも知れない*11。ほら、「みんな気をつけよう。私たちは、騙(だま)されてるだけかもしれないのだ」と書いてある。岸政彦氏ら社会学者の言説は、信じてはいけないのかも知れない。少なくとも「私は難しいことはわからない」と言い訳をしつつ、何も調べないで好き放題言っている岸政彦氏は、日本の社会学の評判を落とす人々の仲間入りをしたように思える*12

*1(思考のプリズム)財政緊縮で得するのは 「お金がない」に騙されるな 岸政彦:朝日新聞デジタル

*2具体例を見た方が納得しやすいであろう。1990年に入るぐらいまでのブラジルは慢性的な高インフレに苦しめられていた。政策としては預金凍結をしたり、賃金統制をしたり色々な策が試されたのだが、最終的に効果があったのは増税と歳出削減であった。財政赤字はインフレの必要条件だと言える。財政緊縮によるインフレ抑制が成功した例は、ブラジルに限らずチリやペルーなど南米全般で観察できる。南米を離れても、トルコは2003年まで高インフレだったが、2004年から緊縮財政に舵を切り、インフレ率を落とす事に成功した。そして、2016年から拡張的財政政策に方針転換をして、インフレ率は再び上昇しかけている。なお、この議論はSargent and Wallace (1981)が先駆的な研究になるのだが、サージェントはノーベル経済学賞を受賞した。

*3関連記事:いまどき財政ファイナンスで高インフレに苦しむベネズエラ

*4MacKinnonの議論によると、多かれ少なかれ投資には自己資金が要求されるものだが、インフレによって貨幣保有の機会費用が増加すると、投資を諦める場合が出てくる。

*5買いだめ非効率は、Champ, Freeman and Haslag(2011)など学部の教科書に説明がある。

*6南米で「インフレの高進により、不動産や金融資産などのインフレ・ヘッジの手段を持つ層と持たない層の格差がさらに広がった」事が知られている。

*7関連記事:今後10年の経済成長は単純予想で年率0.6%

*8ハイパーインフレーションの理論」を参照。

*9関連記事:シムズ式脱デフレ策はリフレ派のそれとは随分異なる

*10消費に興味が無い個人や家計が現金性資産が増える事に満足し、国債を無尽蔵に買ってくれるのであれば成立しないが、一般のマクロ経済学の想定を超える新人類である。

*11リフレーション政策に親和的なネット界隈の論客は、経済思想史的なところからマクロ経済政策を語るので、マクロ経済学のコースワークで習うような昔の経済現象に極端に疎いときがある。見かける度に指摘はしているのだが、議論がアップデートされているかは分からない。

*12関連記事:社会学者の自己肯定バイアス

0 コメント:

コメントを投稿