2018年1月23日火曜日

人工知能は哲学をできるかを言い合う前に

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早稲田大学の森岡正博氏の「AIは哲学できるか」と言う寄稿に対して、国立情報学研究所の新井紀子氏が、『感想は、ただ2文字「残念」に尽きる』「大学入試の前に文理分けるのがいけないんじゃない?」と罵っている。説明が全く無いので森岡氏の寄稿を、なぜ新井氏が否定したのか分からないが、まずは「哲学」とは何かで意見を一致させないといけない。

新井紀子氏は『哲学とは「考えるとは何かを考える」学問である』と断言しているが、考えるが定義されないと哲学が何か定義できないし、考えるが定義されていれば哲学でする事がなくなるので、良い定義とは言えない。また、哲学者の大半は違う事を議論している。なので、新井氏のこの定義は受け入れられない。

森岡正博氏は哲学の問いを内発的に発することを要求しているが、こちらも「哲学の問い」とは何か、「内発的」とは何かについての議論が残るので扱いづらいし、現実の哲学者の行為にあわない。応用倫理の議論を見ていると、問いは伝統的なものであるか、社会的に要請されているものであって、哲学者は自分の外に問いを見つけている。

人工知能が哲学できるかの議論の前に「哲学」とは何かで見解を一致させるべきだが、噛み合わない上に、(特に森岡氏は哲学者なので大変失礼な言い方だが)どちらの定義もイマイチに思える。なので、科学哲学者の戸田山和久氏の『哲学入門』にあった哲学の定義を勧めたい。「哲学とは○○とは何かを定義する学問」だと定義しよう。これが人工知能に出来たら、(少なくとも戸田山の意味で)哲学は可能と言う事になる。

例を挙げよう。人工知能界隈の古い議論、チューリングテストをパスしたら「知能」として認めると定義してよいのかと言う問い*1が、正に戸田山流の哲学の問いの一つだ。知能とは何かを定義すればよく、ジョン・サールと言う哲学者が論争に加わっていた。これを実際に決着してしまえば(戸田山の意味で)人工知能は哲学ができると言うことを手っ取り早く示せる。

結局、人工知能は工学なので、動いたら正義と言うことだ。言葉の意味をあわせて論争しても、大した意味が無かった(´・ω・`)ショボーン

*1人間が人間と判別できない応答をする存在を知能として見なすテスト(人工知能の話題: チューリングテストと中国語の部屋

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