2014年9月30日火曜日

在日韓国・朝鮮人はなぜ帰化をしないのか?

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在日はなぜ帰化しないのか」と言う当初は事実誤認が多かった*1池田信夫氏のエントリーをもとに、なぜか終戦直後の朝鮮人の地位を巡る話が続いたようだ(togetter)。しかし、池田氏のエントリーからそうなのだが、今でも帰化しない人々が多くいることの説明になっていない。また池田氏もその批判者も、当時の複雑な状況は無かった事にしている。

1. 終戦後、全ての在日朝鮮人に日本国籍が与えられなかった経緯

1945年8月の終戦によって朝鮮*2の喪失は予定されたことになった*3が、具体的な処理が確定していなかったので、朝鮮人の日本国籍は保持されていた。政府は処理が確定するまで従来通りの扱いを行なおうとしたが、帝国議会で清瀬衆院議員が少数民族の集団が政治力を持つ事を強く懸念し*4、非日本人になる事を前提とした取り扱いとなっていく。1945年12月の選挙法改正、1947年5月の外国人登録令にはこういう背景がある。この懸念は的中することになる。

渡航は制限されていたのにも関わらず、朝鮮半島から経済難民、政治難民が多く日本に流入した。1948年の済州島四・三事件と麗水・順天事件などで朝鮮半島情勢が悪化すると、その数は大きくなる。1949年に吉田茂がGHQに宛てた文書で、在日朝鮮人の半数は不法入国だとしている*5。戦前・戦中から日本にいた朝鮮人と、戦後に密入国した朝鮮人の見分けが困難になっていた。

当時の在日朝鮮人は騒々しく暴動を頻繁に起こしていた集団であり、危険因子として見られていた。1945年8月から1951年9月まで新聞などに記録されている事件だけでも相当数ある。多人数で公権力に公然と歯向かうことも多々あった。1945年12月の生田警察署襲撃事件、1946年5月の長崎警察署襲撃事件、1948年4月の阪神教育事件などが良く知られている。ハーバード大学でコリア学を講じたエドワード・ワグナーは以下のように記述している。

戦後の日本においては、朝鮮人少数民族は、いつも刺戟的な勢力であった。数においては大いに減ったものの、朝鮮人は、依然として実に口喧しい、感情的・徒党的集団である。かれらは絶対に敗戦者の日本人には加担しようとせず、かえって戦勝国民の仲間入りをしようとした。朝鮮人は、一般に、日本の法律はかれらに適用され得ないものとし、アメリカ占領軍の指令も同じようにほとんど意に介しなかった。そのため、国内に非常な混乱をおこした。

このような状況で、1951年9月のサンフランシスコ平和条約を受けて、1951年10月に韓国政府は在日朝鮮人に日本国籍を与えることとし、1952年に日本政府は日本国籍を剥奪した。日韓の政府レベルでは合意形成があったようだ。日本政府は在日朝鮮人を朝鮮半島に帰って欲しかったし、韓国は在日朝鮮人の韓国籍の取得を望んだようだ。なお、植民地が独立した場合は二重国籍にするのが国際政治の通例と言う話があるが、1947年のインドの独立直後であり、1960年のアフリカ独立の年の前であったことを考えると、見習うべき規範だとは認識されていなかったと思われる。

かなり殺伐とした状況で下された決断であり、安易な政府批判は不適当であろう。疲弊した国力の下で、暴動を繰り返す集団をどう処遇するかの決断であった。歴史にもしもは無いと言うものの、在日朝鮮人の大多数が合法在住者で、かつ日本社会に馴染んでいたのであれば、日本政府の対応も異なったものになっていた可能性はある。しかし、終戦後の状況は混沌としたものであって、清瀬衆院議員のように在日朝鮮人を排除したい人々の主張に説得力を持たせるものであった。

2. 在日韓国・朝鮮人が日本国籍を取得しなかった理由

1951年までの歴史的経緯は、あくまで終戦後、全ての在日朝鮮人に日本国籍が与えられなかった理由を説明するに過ぎない。その後、在日朝鮮人の少なく無い数が日本国籍を取得しなかった理由は何であろうか。在日韓国・朝鮮人それぞれに事情があるのだと思うが、推測してみたい。

在日一世の多くは、日本に永住する気は無かったようだ。何かと問題になる朝鮮学校は、帰国に備えたものであったように思える。日本の教育カリキュラムに沿っていない事は、日本での生活を続けるには不利だが、一条校にはならなかった。1950年6月から1953年7月までの朝鮮戦争で、予定が狂った人は少なく無いであろう。

二世、三世になると、在日韓国・朝鮮人であることにアイデンティティを見出すケースもあるようだ*6。親や親戚、朝鮮学校の教育から、それを強く刷り込まれることもあるようだ。差別に対する反発でこのような姿勢を持つように至った人もいるようだし、逆に被差別意識の克服のためにこのような姿勢を推奨して来た同化に反対する人々もいる*7

帰化条件を満たすのが困難なケースもある。定職についていなかったり、犯罪歴がある場合は帰化するのは難しい。また、朝鮮半島に動乱があったので、本籍などが不明になっている人は少なく無いようだ。二世、三世になると、言葉の問題で自力調査するのも難しく、それなりの経費がかかると聞く。ただし実際にどの程度困難かは、在日韓国・朝鮮人の識者の間でも意見が異なる*8

なお現実を見ると、毎年一定数の帰化が行なわれており、単に帰化する必要性に駆られていない人も多いのでは無いかと思われる。以前ほど、差別なども無いのであろう*9。実際、人間は惰性と先送りの生き物であるので、これが最も大きな理由なのかも知れない。

*1明らかな問題箇所は訂正されたようだ。初出では「彼らは韓国籍か日本国籍を選ぶことができたが、どちらも選ばなかった在日は不法滞在という形になった」などと言うような記述があった。

*2台湾は中華民国に、樺太はソ連に、既に占領されていた。

*3カイロ宣言(ポツダム宣言)で植民地の放棄が求められており、日本はそれを受け入れた。

*4在日朝鮮人台湾人参政権「停止」条項の成立』を参照。

*5GHQが査証は不要としたことから密入国でも合法と主張している人がいるが、これは全員の入国を許可しろと命令した事にならない。吉田茂も「不法入国」と書簡に明記している。

*6例えば在日韓国人のフリーライターの李信恵氏は、帰化するとルーツが失われると明言している。

*7講座・差別の社会学2 日本社会の差別構造』に収録された論文「在日韓国・朝鮮人のアイデンティティと差別構造」を参照。

*8関連記事:在日朝鮮人の帰化申請は難しい?

*9現在では差別の実態を見出すことが難しいが、1970年に在日韓国人である事を理由に採用取り消しを行い裁判になった日立就職差別事件があったことを考えると、普遍的に行なわれていたと想像できる。なお、2005年の康由美弁護士入居差別裁判など、入居差別などは最近でも問題になっており、現在でも全てにおいて完全に差別が無くなったわけでもないようだ。

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