先日、韓国で産経新聞に名誉毀損の疑いで捜査が入った件に関して、神戸大学の木村幹氏が『背景には、儒教的な倫理観に基づく「正しいメディアは正しい報道」をしなければならないという韓国独特の考えがある』と説明していた(毎日新聞)。異論があるわけではないのだが、よく考えると自分は儒教が何だか分からない。堅苦しいイメージはあるのだが、儒教として儒教に接する機会はほとんど無かったからだ。木村氏に騙されているとは思わないが、念のために「儒教とは何か」と言う本を手に取ってみた。
1. 祖先崇拝と言う宗教性が基本
本書は、儒教の成立から発展、そして近代までの変遷を紹介している本だ。古代農村社会にある祖先崇拝と言う宗教性の上に、道徳や礼節をまとめた礼教性、そして仏教や道教の影響を受けて存在論や宇宙観と言う哲学性が乗っていった物らしい。礼教性の部分が目立つわけだが、著者は宗教性を強調する。つまり、祖先を追慕して祭ること(招魂再生儀式)、生きている親に尽くすこと、祖先以来の生命を伝えるために子孫を残すことが核になるそうだ。このような祖先崇拝が核になるため、親を養うために死ねないと言う理由で、戦争に行っても戦わずに逃げることが美談になったりもする(P.136)。外敵と戦うよりも内憂が問題だった李氏朝鮮の末期が理解できる。
2. 実定法に頼らず、聖人を模倣するのが儒教の徳治
もっとも宗教性の面を見ると、特段、韓国の報道規制を説明できない。この点に関しては、礼教性の部分を観る必要があるようだ。儒教では法治ではなく徳治を推奨するが、これは「聖人を指導者として、人々がその聖人の言動を模倣すること」(P.102)を意味する。なるほど、「正しいメディアは正しい報道」をしなければならないと発想するわけだ。権威に提示された意見の他は、存在することが問題になる。さらに孔子は罪刑法定主義を批判し、裁量の範囲が広いことから慣習法を重視している(P.106)ので、国民情緒に合うという条件さえ満たせば司法は実定法に拘束されない判決を出せるという国民情緒法が、暗黙のうちに肯定されてしまうのであろう。
3. 歴史的に韓国は儒教を振興してきた
念のために明言しておくが、本書では朝鮮についての議論は無い。しかし、中国や日本も儒教の影響を受けているので韓国だけが儒教文化圏と言うわけではないのだが、李氏朝鮮が宋明理学(朱子学)を振興したので今でも影響が強くても不思議は無い。国旗がそもそも太極図で、これは朱子学が儒教に哲学性を持たせたときに導入されたものだそうだ。確かに儒教から文化的に韓国を理解するのも、悪いアプローチでは無いのかも知れない。
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