2013年10月28日月曜日

代表的個人を仮定しないと、均衡が無いわけではない

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経済評論家の池田信夫氏が「代表的家計と民主政治」と言うエントリーで、一般均衡理論についてソーカル事件を引き起こしている。「代表的家計について」でも同様の事を言っているので、ずっと誤解をしているようだ。

Sonnenschein-Mantel-Debreu定理に言及しつつ「社会に多くの異質な個人や市場があると、均衡は存在しない」と言っているのだが、これは定理の主張と異なる。定理は、均衡は存在するが一意とは限らないと主張している。また、ワルラス調整過程の前提に加えて、生産関数や需要関数に仮定を追加する事で、一意な均衡を得ることができる*1

例えば、財に「粗代替性」(ある財の値段が上がったら他の財の需要が増す)を仮定すれば良い。個人の異質性を取り入れた一般均衡モデルとしては世代重複モデル*2がすぐ思いつくが、一意な競争均衡を計算することができている。Sonnenschein-Mantel-Debreu定理の議論は、必ずしもマクロ経済モデルに大きな影響を与えない。

テクニカルに消費者や生産者に異質性があると計算が難しくなる事は確かなのだが、これは均衡の非存在を示すことにはならない。頑張って異質性を取り込んだモデルもある*3。物理学でも三体問題が解析的に解けない*4からと言って、解が存在しないとは考えないわけだが、そういう事をしてしまっている。

なお、他の箇所でも問題が多いように思える。

  1. 『「合理的」かどうかは本質的ではなく、むしろこの合理性の条件をゆるめていろいろな「摩擦」を導入することが、ここ30年ぐらいのマクロ経済学の飯のタネだった』とあるが、独占や寡占、不完備契約、外部不経済、情報の非対称性、取引摩擦などは合理的個人を仮定しても成立するし、限定合理性を仮定していない議論の方がまだ主流であろう。
  2. 『人々の意思を「国民主権」のような形で民主的に集計できないというGibbard-Satterthwaite定理』と言うが、この定理が主張しているのは、本当の選好を表明する事が強制されない限り、戦略的に集計結果を操作して政治的に有利な状況を作り出す事ができるかも知れないと言うだけ*5で、膨大な投票者がいる選挙で戦略的投票行動がどこまで有効かは議論が必要であろう。

何はともあれ、経済学における個々の定理は凸選好やら局所非飽和やら色々と仮定を要求しているし、結論も必ずしも普遍的に適応できるものではないから、取り扱いに注意は必要だ。一つ一つ定理の証明過程を追いかける事が望ましいが、少なくとも定理の主張を拡大解釈する事に慎重であるべきであろう。

*1Mas-Colell et al.(1995) P.598の"17.E Anything Goes: The Sonnenschein-Mantel-Debreu Theorem"や奥野・鈴村(1988) P.48の「19.2 ワルラス的模索過程の性能:粗代替経済」を参照。

*2関連記事:世代重複モデルで見る少子高齢化と利子率

*3Heterogeneousなマクロ経済モデルは近年に急速に一般化している(Krusell and Smith(2006)Mukoyama(2008)Guvenen(2012))。

*4関連記事:Rで多体問題を数値解析

*5田中(2005)『社会的選択理論の諸相

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