批評家のクリッツァー氏のエッセイにある一節に、文筆家の白饅頭こと御田寺圭氏がクリッツァー氏の議論の方が非生産的だと非難している。
クリッツァー氏の文で非難されている一節は以下だ。白饅頭氏を念頭に置いている気もするが、白饅頭氏だとは言及していないので、そんなに気にしなければ良いと思うのはさておき、ネット界隈で人気の反リベラルでアンフェのアカウントの皆さんが、往々にして非難や揶揄に留まった議論をしているのは確かだ*1。藁人形論法などの誤謬推理になっていることも多々ある*2。
日本におけるポリティカル・コレクトネス批判やキャンセル・カルチャー批判は、批判の軸となる理念もなければ問題を改善するための代替案も提示されない、「リベラル」や「社会正義」を非難したり揶揄したりするだけの後ろ向きで非生産的なものであることが大半だ。
白饅頭氏は「草津MeToo事件の発生当時に(貴殿が掲載する現代ビジネスで)それをはっきりとリスクをおそれず批判をした」ことが自慢のようで、それは非難や揶揄に留まらないと考えているようだ。該当するエッセイを拝読すると、草津町議へのリコール成立に抗議する人々のツイート、掛け声、プラカードのメッセージの中の極端なものを批判し、リコール請求は適法なので正当化されると主張する一方で*3、フェミ議連の声明文の骨幹である「告発に踏み切った者の権利や立場は守られるべき」については批判していない*4し、2020年の12月のリコール成立前の8月に、草津町議会の町議の除名処分を、群馬県が違法行為だとして取り消していたことへの言及もない*5。
確かにツイートやプラカードには「セカンドレイプの町」などと町長がセクハラを行なったと決め付ける暴言があるのだが、フェミ議連の声明文には「告発に踏み切った者の権利や立場は守られるべき」と書いてあるだけで、町長がセクハラを行なったと決め付ける部分は無い。白饅頭氏の批判は「セカンドレイプの町」などと言う調子にのった暴言に関するものに留まり、「告発に踏み切った者の権利や立場は守られるべき」に対しての批判がないため、非難しやすい部分だけを取り上げて非難しているように思える。暴言への非難も有意義だが、白饅頭氏がフェミ議連が提示した論点に取り組んでいれば、より建設的であった。
建設的な議論を行なうためには、相手が言いたいことを整理整頓して把握した上で批判を加える「思いやりの原理」(principle of charity)が必要になる。どう考えても支離滅裂で、「思いやりの原理」を働かすのは不可能だと思うかも知れないが、諦めてしまうと「思いやりの原理」を働かせず言葉の粗をポリコレ棒で叩くだけになったリベラルの行き詰まりの二の舞に。リベラルが配慮しない「思いやりの原理」に、反リベラルが配慮しないといけないのかと思うかも知れないが、自分が非難しているリベラルと同じ振る舞いをしていてよいのかは考えてみて欲しい。
*1非難や揶揄に留まることが悪いとは限らない。リベラルも反リベラルも事実誤認は多く、その指摘になる非難や揶揄で受け手が真面目であれば、議論の精緻化につながる。
*2調子に乗り過ぎて訴訟になっている事例もあるようだ。
*3適法であっても、違法にすべき悪習もあったりするので、この正当化は弱い。
*4「即座に議会側もそれに反論」と言う言及はある。しかし、既に狂言だと示されているので告発者の地位は守る必要がないと言う草津町議会の主張に、白饅頭氏は明確に同意していない。
*5リコール請求が適切なものであっても、その前に超法規的に町議を追い出そうとした事は事実であり、フェミ議連がリコール請求に疑念を持つことは不自然ではない。
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