2022年5月9日月曜日

露呈したネット論客の偽旗作戦

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SNSの表現規制派フェミニストを非難してきたネット論客の青識亜論氏のTwitterアカウントが永久停止された。今までも不明瞭な理由でアカウント停止された人々がいるし、青識亜論氏に誹謗中傷あたるような発言は無かったようなので、凍結自体はお気の毒で終了する話だ。

ところが事態はこれで終わらなかった。青識亜論氏は、即座に今まで隠していたサブアカウントを名称改変し、青識亜論氏として利用を開始したのだが、名称改変前のサブアカウントの過去の言動が特定されることになった*1。この過去の言動が、青識亜論氏の主張と真っ向から対立するものなので、非難を浴びている。

そのサブアカウントは表現規制派フェミニストとして振る舞っており、表現規制派フェミニストたちに賛意を寄せつつ表現物を非難し、さらに表現規制派フェミニストを非難している他の表現の自由戦士たちに反論を行っていた。表現規制派フェミニストを観察するためであればフォローすれば済むだけなので、表現規制派フェミニストと表現の自由戦士の諍いを煽動していたと非難されている。

外形的にはマッチポンプ、偽旗作戦。言論の自由が、正しい意見を模索し、正当化し、説得的なものにするためにある事を顧みれば、言い争いを促進するだけの偽旗作戦は擁護できない。表現物/ツイフェミを非難するのは不徳ではないが、他者が表現物/ツイフェミを非難するように、(サブアカで他の表現の自由戦士を挑発して)煽動するのは不徳になる。

青識亜論氏は以前から真摯に議論をしていると言うより詭弁や煽りに頼る傾向があったので*2、こういう工作をしていた事が発覚しても意外ではないのだが、萌え絵表現の自由の擁護者として知られつつあったので、表現規制派の皆さんに勢いがつきそうで心配だ。理屈では主唱者と主張は別とは言え、世間は主唱者の振る舞いで主張の是非を判断するときもある。表現規制派の渡辺真由子氏のマンガ・アニメ・ゲーム内の性的描写規制論が目立たなくなったのは、渡辺真由子氏の剽窃騒動が一つの理由である。

追記(2022/05/25 07:11):本心を偽った主張でも、議論を重ねれば誤りだと気付くので害はなく、議論を深める利益があると言うような弁解がされているのだが、

  1. 本心を偽った主張では新たな観点が持ち込まれて情報が増えることは期待できない
  2. 議論する労力と時間が余計にかかることで議論の参加者の負荷を高めることになる
  3. 属性を偽ることで、その属性に対する誤解や不信を招くことになる

ので、有害な行為だ。「その主張の仕方において公平を欠き、悪意、偏執、または不寛容の感情があらわれているような人を、すべて非とせねばならない。」(塩尻・木村訳J.S.ミル『自由論』;p.111)。

本心から発せられた主張は、それが厳密には不当なものであっても有益なものになりうる。京都市営地下鉄の広告キャンペーン「地下鉄に乗るっ」の女子高生の絵のスカート丈が短すぎるという、村上さとこ北九州市議会議員の非難を思い出そう。一見、難癖に思えるが、村上氏の非難には意義がある。なぜならば、村上氏は真にそのように考えたわけで、その主張には何かの根拠、情報があるからだ。恐らく、村上氏の周囲の女子高生よりもポスターの絵のスカート丈が短かったから、村上氏は絵を批判した。議論を通じて村上氏の考えの根拠が明らかになれば、女子高生のスカート丈は時代や地域による違いがあると説明することができたし、他の人も他の作品を同様の観点から見ることができるようになる。このように、本心からの議論は何らかの真理に辿り着く可能性が高い。

「彼は、それらの議論を実際に信じ、それらの議論を真面目に弁護し、またそれらの議論のためには最大の努力を惜しまないところの、当の人々の口から直接にそれらの議論を聞くことができなくてはならない。」(塩尻・木村訳J.S.ミル『自由論』;p.76)。

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