そもそも通貨とは~と語っている人々の我田引水や牽強付会*1を指摘するために、『撰銭とビタ一文の戦国史』を拝読した。本書の著者の高木久史氏はずっと中世から近世の貨幣を研究している人で、2018年と比較的新しい本書はこういう用途に最適。悪銭やビタといった単語が示す意味がそう自明でもないところに歴史研究の難しさがわかって興味深い一冊で、記述の端々から貨幣研究も史料と発掘で進められていることも分かる。
日本における貨幣の歴史については、日銀が日本貨幣史のページで概説とPDF化された参考文献を紹介しているのだが*2、本書は銭貨の種類や状態で受け取りを拒否したり、価値を割り引く撰銭を中心に取り上げていて興味深い。どの種類の銭貨を流通させるか公権力が定めなかった時代、民衆の損得勘定でそれが決まっているからだ。
日本では中世から近世、とくに江戸時代に入るまで*3、為政者が民衆の決済のために継続的に十分な量の銭貨を供給してこなかったため、銭貨は中国から勘合貿易や倭寇などによって輸入されていた。しかし自由貿易が当然ではなかった時代、輸入するといっても限度があるし、そもそも中国など国外でも銭貨が不足している状況もあり*4、私鋳銭がつくられた。中国の王朝の勃興もあって、多くの種類の銭貨が同時に流通していた。物納を銭で代替するようになった代銭納もそうなのだが、中世から近世においては租税通貨論(tax-driven-money)の当てはまりは悪い。種類によって、銭貨の価値が変わってくるのは不思議は無い。基準になる銭に対して、ある種類の銭貨は半分の価値、ある種類の銭貨は無価値と言う風に変わってくる。(著者はこんな事は言っていないが)撰銭とは、要するに複数の銭貨で価値が変わる現象である。
銭貨間の相対価値がどう定まるのかが気になってくるのだが、民衆は経験的に流通する貨幣を受容していた。為政者は撰銭令で(価値に差をつけたり、受け取り比率などを定めて)銭貨間の相対価値を定めようとしているのだが、積極的にある種の貨幣の利用を推進していると言うよりは、受動的に現状追認で慣習を統一しようとするか、為政者の政治的・財政的都合にあわせて政令を定めていた。民衆は撰銭令を厳密に守っていなかったようで、強引なことはできなかった。本書もそうはっきり書いてあるが、歴史学者より、歴史上の偉人が行った施策が制度をつくったという英雄史観を戒められ、当時の制度や慣習が歴史上の偉人の政策を大きく制約していたことが指摘されることが多いこの頃で、中世から近世の通貨制度もこの事例の一つとなる。
民衆は経験的にとは言え、合理的に銭貨間の相対価値を計算していた。取引で受け取った貨幣が、将来、自分が利用するときに取引相手に受け取ってもらえるかが問題なのだが、新しい貨幣は流通するか謎だから、古びた方が価値があると判断していたところなどは、磨り減りから情報生産しているわけで興味深い。しかし、金融論の教科書にあるSamuelson OLGモデル*5のような、未来から現在価値を計算するような完全予見性はない。東西と言うか地域ごとに貨幣の種類によってそれらの相対価値が異なり、また計量に使う基軸がまちまちであった。日本を横断する裁定者たちが競争的であれば、遠い未来で地域ごとに通貨間の相対価値が大きく異なる事は無く、そこから計算した割引現在価値も同じ値になるが、地域間の慣行の差は大きかった*6。完全予見に近い合理的な人々のモデルを組めないわけではないであろうが、サヴェッジの意味での合理的な主観主義ベイジアンがたくさんいたと考える方が簡素だ。
様々な銭の種類があるわけだが、それぞれどの程度の交換価値で受け取ってもらえるかを先験分布(事前確率)の形式で予想し、実際に受け取ってもらえた貨幣価値の情報をもってそれを更新して、事後分布を出している。そして事後分布を元に経済活動を行い、また銭のやり取りをしてデータを得て、また貨幣価値の分布を更新する。個々の取引データで更新していく*7ので、遠隔地の貨幣価値の分布が分からないから*8(堺には裁定者はいたそうだが)裁定行動は行われないし、先験分布は村落と言う生活共同体で共有されるので、貨幣間の相対価値は東西でグラデーションが生じることになる。そして長い時間をかけて銭の需給の影響を受けて、基準となる種類の銭も交替していくことになる。本書は、当初、撰銭で嫌われていた劣悪な銭貨であるビタが、長い時間をかけて西から東へと浸透していき、寛永通宝が出てくる前には基準銭の地位を獲得したことが描かれているが、何百年と続く真の分布の無い世界のベイズ更新。
主観的事前分布を用いたベイズ統計学が意思決定理論の一部であることが話題にあがっていた*9のでこういう連想をしてみたが、京都基準の撰銭が用いられていた割符(定額手形)が全国の銭貨間の相対価値を統一しなかった理由が謎になってくるので、あまり真面目に捉えないで欲しい。この説は素人の牽強付会。割符は戦国時代に入った16世紀初頭には利用が廃れるそうなので、そこから地域ごとの銭貨間の相対価値の違いが大きくなっていった気がするのだが、そういう話は本書には多分無かった*10。何はともあれ、全国ではなく特定地域で撰銭によって貨幣が不足すると、取引コストが物価に上乗せになって、貨幣の価値が下がると言う謎現象があった(pp.100–101)など、興味深い小噺が詰まっていて金融研究者もwell-to-readな一冊だ。発生論の誤謬になるきらいはあるが、実際に何が起きて今の金融システムができたかは振り返る価値は大きい。銭貨の種類が多くあり過ぎて、読んでいてくらくらっと来るのが難点があるが。
*1関連記事:上念司さん、田中秀臣さん、日本の中世はサプライ・サイド経済学の世界ですよ
*3徳川幕府が発行した寛永通宝が庶民の決済手段として使われるようになるのだが、もともとは参勤交代で大名行列が決済に不自由しないように企画されたものだったそうだ。
*4むしろ私鋳銭を含めて、日本から流出している時期もあった。
*6織田信長の旗にある永楽通宝は、当時、西国では嫌われていたそうだ。
*7織田信長の命令よりも慣習の方が強かったようなので、個々の取引履歴が決定的に重要であった蓋然性は高い。
*8取引相手の先験分布が分かれば、なるべく東から悪銭を、西から永楽通宝を受け取る裁定行動が可能であったが、生活圏の範囲だと認識できる差異はなかったと思われる。
*9関連記事:ベイズ統計学が意思決定理論(の一部)でないとすると、事前分布が不要になる
*10後日、確認したい。
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