2019年3月31日日曜日

上念司さん、田中秀臣さん、日本の中世はサプライ・サイド経済学の世界ですよ

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「室町時代の経済が基本的にデフレ不況にはまりやすくなっていた」と評論家の上念司氏の主張を要約して紹介している経済史家の田中秀臣氏の『信長が戦った最大の敵は、戦国時代の「デフレ経済」だった!』と言う書評が流れてきたのだが、呉座勇一氏の評論家の八幡和郎氏へ向けた「社会の仕組みがまるで異なる古代や中世、近世の政治を、現代政治の視点から考察することは極めて危険」と言う警告を思い出さざるをえないリフレ派の我田引水ぶりだったので指摘したい。

日本の中世に関する歴史家の記述を見るに、どう考えても日本の中世社会は労働力不足に悩まされていた。中世ではなく古代になるが『武士の起源を解きあかす』には、王臣家が勝手に民を徴用して開墾させたり、勢子に使ったりすることで、口分田の生産力が落ちて収穫物が減ることが書かれている。『百姓から見た戦国大名』でも、何らかの事情で出身地から逃げざるをえなくなっても、周辺地域の村に行くと漏れなく田畑を割り当ててもらえた。飢饉や疫病、そして逃散などで労働力が減少しやすく、耕作放棄地や開墾可能な土地と言う資本ストックには余りがあった一方、村と言う武力紛争の最小単位でもあるコミュニティーの維持には規模が大事だった。食べるものが無くなった付近の村の村人が襲ってくる世界だ。能力と意欲のある失業者が街にあふれるような大恐慌的な不況は無い。

商品経済の発展と銭貨需要の増大があった一方で、中国は明の貿易政策の変更で渡来銭が減少したこともあって、貨幣不足は貨幣不足で問題になっていたそうなのだが*1、代銭納ができなくなるような取引費用の増大や、信用取引がしづらい遠隔地との取引が困難になることで交易が不活発になる効果や、貯蓄が困難になって飢饉で食料を遠隔地から調達できず餓死する効果などの方がありそうである。もちろん、これらの効果があったとしてもどの程度の影響であったかは定かではない。貨幣不足を社会状況に応じて信用取引*2と商品貨幣(金・銀・穀物・絹布)で補っていたようだ。

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