歴史学の通説は、文書や遺物など史料から得られた知見を積み上げて構築されて来たと素朴に思い勝ちだが、残念なことにそうでは無い。日本の左翼の歴史家はマルクス史観に沿うようになっていたはずだと言う思い込みから近現代史であれこれ断罪してきたし、韓国の民族主義的傾向の強い歴史家*1も日本の朝鮮半島統治が否定的な結論が維持されるように論を組み立てている。
中公新書の『日本統治下の朝鮮 - 統計と実証研究は何を語るか』は、イデオロギーありきの歴史見解に疑問を感じて来た朝鮮半島を専門とする開発経済学者の著者が、それを批判するこれまでの研究を一般向けに整理したもので、実証的に何が言えるのかを示したものだ。岩波新書に同名の絶版本があるが、それに対する批判となっており、数字を挙げて左翼思想に基づく通説を検証し否定していっている。
日本の朝鮮半島統治は農業に限らず工業においても経済的発展をもたらした一方、日本が朝鮮半島から上げた利益は微々たるものであったと言うのが、著者の大まかな結論だ。
教育水準と公衆衛生の改善は大きい。よく主張される貧困化の論拠である産米増殖計画で米の摂取量が大きく減ったと言う説は、問題のある統計からの推計で、補正すると減少量は小さくなり、肉や魚などを含めた総摂取カロリーに現象はなく、実際に年齢別身長データから栄養事情が悪化したとは言えない。産業発展は比較経済史の観点から見ると欧米植民地にない特異なもので、大企業は日本資本ではあるものの、朝鮮人資本の企業も中小企業で特に多く設立されており*2、植民地隷属論は否定される。末期の戦時経済によって日本への従属性が高まったと言う説も、域内の工業化が進展し自給度が高まったので否定される。
朝鮮半島からの米輸入で日本の労働者が利益を受けた一方、生産物出荷先としても、投資先としても朝鮮半島依存率は低く、日本から朝鮮半島への移民も大規模にはならなかった。財政負担は1930年代後半には微々たる比率0.4%になるが、1910年代前半は3.5%、1920年代は2%あった。日本は資本不足が常態であり、資本主義国が過剰資本の投下先を求めて海外植民地を獲得すると言うレーニンの帝国主義論には当てはまらない。経済的観点からは朝鮮半島領有は正当化できず、安全保障戦略が理由だと結論される。
戦後、南北で経済発展の度合いが異なることから、日本統治下で朝鮮半島が近代化したことを否定する韓国の民族主義的傾向の強い歴史家の主張は、戦後の南北の経済政策の違いを無視しているので否定される。北朝鮮は人的な面では日本の影響を排除する一方、連続的に戦時体制を継承し、日本から継承した電力・重化学工業の設備を活かして軍備を拡充し、韓国に侵攻して朝鮮戦争を引き起こした。しかし、先軍政治によって経済は非効率化する。韓国は人的には日本の影響を残す一方で、戦時体制を解体し、日本から継承した交通・通信・軽工業などを払い下げ、民需中心の経済と自由主義に移行しつつ非軍事化を行なった。様々な政治勢力が出現してクーデターによる軍事政権の樹立などの揺り戻しも含めた大きな混乱が生じるが、奇跡的な繁栄を成し遂げた。
本書は異民族からの統制が朝鮮民族の尊厳を傷つけた可能性なども指摘されており、日本政府の朝鮮半島経営を全面肯定しているわけではないが、全体としてマルクス史観や民族主義に沿うような歴史解釈について統計をもとに切り捨てており、詭弁を弄するタイプの左派には邪魔な情報が充実している一方、実証主義者には重宝するものとなっている。日本統治下の朝鮮半島の評価については今なお揉めており、2002年からの2010年の日韓歴史共同研究でも見解が一致する事は無かったのだが、いつかは本書のように実証的な観点を重視するようになるのであろうか。
なお、経済史家の文書は事例と数字が豊富すぎな上に、控えめに結論を書いていて論点を見失いそうになるときがあるのだが、本書は各章の最後にまとめ的な記述があったので、読みやすい部類のものとなっていた。野口遵や小林采男といった企業家の生涯も紹介されており、娯楽性もたぶん高い。
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