イスラム研究者の池内恵氏が勧めていた『イスラム教の論理』を拝読したのだが、なかなかざっくばらんに書いてあって面白い。テロを起こすのは真のムスリムではないと言った希望的イスラム教観を、コーランを引きつつ否定してくる。
神以外にコーランの正しい解釈を知るものはなく、ムスリムそれぞれが解釈を行なえるので、過激派解釈も誤りと言えないし、むしろ穏健解釈の方が法典からすると危ういところがある。また、イスラム法は西洋的な立法に優越することになっているので、究極的/教条的には非ムスリムはムスリムと共存できないそうだ。
著者の飯山陽氏はイスラム法の文献研究をしてきた人で、コーランをしっかり読んでいる人だし、池内恵氏が推奨するぐらいだから、思想研究の観点から粗は無いのだと思うが、幾つか素人*1の疑問と難癖をつけていきたい。
1. 解釈自由な戒律は、ムスリムの行動を説明しうるのか?
最も大きな疑問は、何かの社会現象の原因の説明にイスラム教を使えないように読めることだ。イスラム教自体にはイスラム法を解釈し人々に強制する権威がなく、個々のイスラム教徒が自由にコーランを解釈できることが説明されている。よく知られた戒律違反である飲酒や豚食や女性がヒジャブ等を被らないことが、「宗教に強制なし(コーラン第2章256節)」から正当化されたりするそうだ。これはこれで興味深いのだが、ムスリムが宗教的理由で行動を決定しているのか、他の理由で決定した行動を宗教的に正当化しているのか判別できない。
宗教的情熱で爆弾テロを起こす過激派ムスリムもいるであろう。しかし、幸せな人々が妬ましかったのでテロをした人でも、ムスリムであればジハードだったと言い出しかねないように思える。実際、脱宗教・汎アラブ主義のバース党のフセイン大統領(副業・小説家)も、湾岸戦争のあたりはジハードと言っていたはず。宗教的な後ろめたさを感じずテロ活動ができると説明されれば、そうなのかなと思わなくも無いが。
2. イスラム国は本当に人気なのか?
イスラム国(ISIS)がムスリムに受け入れられる必然性があるような記述も気になった。一見、非イスラム圏から見て残虐非道に見えるISISの所業が、コーランから正当化できると言う説明は理解できる。彼らも真のムスリムと言えるのであろう。ところが実際問題、ムスリムにISISが人気かと言うと、そうでもないように思える。
Pew Research Centerの2015年の世論調査*2ではISISを好ましくないとする人々が圧倒的で、レバノンやヨルダンといったその勢力圏に近い国の方がその傾向はさらに近い。本書でも指摘されるように、好ましいとする人々も数%から十数%いるが、ISIS自体ではなくイラクとシリアの混乱が望ましいと思っている人々も入ることに注意する必要がある。ISISの思想に共感したとは限らない。ISISが域外からの外国人戦闘員に頼っていた現実も、域内での不人気を表している。兵力2万~5万の中、1万~3万ぐらいが外国人戦闘員と言う計算なのだと思うが、かつてのイラク軍の総兵力から考えれば、10万人を超えるイラク人が参加したって不思議は無いのだが。
ところでマイナーなところなのだが、ニュースチャンネルの公式サイトとは言え、ネットのアンケートを参照する(p.37)のはやめて欲しい*3。
3. インターネットと過激派イスラム思想の広まり
体制派イスラム法学者が、本当は過激なイスラム教の教えを穏健にして来たのだが、識字率の向上とインターネットの普及によりコーランとハディースへのアクセスできる人が多くなり、アルカイダやISISのような過激派が出てきたと言うのが著者の主張だと思うのだが、インターネットの普及はそんなに鍵となるのであろうか。歴史をみれば、非体制派は度々生じている。
イスラム教ではハワーリジュ派やシーア派が非体制派として生じているし、イラン革命のように原理主義者が支配的地位を獲得することもある。カトリックに対するプロテスタントがそうであるし、その前にも(十字軍に殲滅されたが)カタリ派と言うのもいた。インターネットがなくても、そんなに過激派主張に説得力があるのであれば、体制派イスラム法学者が過激派を封殺できるとは思えない。キリスト教におけるルターやカルヴァンのような、過激派イスラム法学者が出て来ても良かったはずだ。
現象としてイスラム女性の服装が保守化して、ニカーブの着用地域が広がっているような話を聞いた事はあるのだが。
4. カリフ制がそんなに大事なものなのかが分からない
浅学なので、ムハンマドは自身の後の統治形態について遺言を残さず、カリフ制はコーランに書かれていないもので、正統カリフ時代が中国の三皇五帝的に扱われている程度の話だと思っていたのだが、カリフ制にあらずんばイスラムにあらずぐらいの説明がされている。経典に書かれていない部分も含めて宗教ではあるが、他のところではコーランを引いているわけで、ここの正当化が門外漢には弱く感じる。
カリフ制の方がムスリムには正しく感じるような説明も、歴史的には良く分からない。1924年まではカリフが存在しイスラム法で社会が運用されたいたかのように書いてあるのだが、正統カリフ時代より後は(カリフを名乗ってもアラブ主義的な)王朝があるのでイスラム法が厳密に適用されていないわけだし、オスマン朝は1517年にカリフを廃止したあと18世紀後半まで復活させていない。ずっと皆さん、不正義と思っていたのであろうか。
5. 本筋とは関係が無いが気になったところ
エルサレムのイスラム指導者ムハンマド・アイヤードが、欧州でムスリム移民が子どもをたくさん産むことによりヨーロッパの征服を呼びかけており、実際に移民の出生率が高いことから「ヨーロッパにおける「ベイビー・ジハード」は着実に遂行されつつあるといえます」(p.116)とある。どのような手段を使ってもイスラム教の支配地域拡大が教是と言いたいだけだと思うが、フランスではムスリムの2世・3世の子どもの数は少なく、さらに世俗化する傾向があるそうで*4、話があわない。
「イスラム教を敵視しているからでも、治安上の理由からでもなく、ヨーロッパの普遍的価値に反するがゆえにニカーブは禁じられてしかるべきなのだ、というのがヨーロッパの論理です」(p.230)とあるのだが、治安上の理由が排除されているわけではない。少なくともフランス政府は、世俗的な価値観を侵害するだけではなく、潜在的な治安リスクも理由としてあげている*5。
イスラム教が民主主義とは絶対に両立しない価値体系である事が指摘されているのだが、民主主義が欧州型の政治や司法の意味で使われているのが気になった。民主制度を(熟議の後の)投票メカニズムによる政治と考えれば、信教や自由がないことや言論の自由が制限されること、有権者に人権概念が薄くイスラム法を好む事は問題にならない。有権者全員が熱心なムスリムであれば、イスラム法に合致した社会ルールが出来上がるからだ。
「Titter社がアノニマスのようなハッカー集団や民間情報会社、クラウドシーシング機関などの協力を仰いで「イスラム国」アカウントへの締め付けを強化した」(p.75)とあるのだが、アノニマスは非合法活動を行なってきた集団なので民間企業が協力を仰ぐ事は考えづらいし、そのような報道も見つけられなかった。アノニマスが、ISISの活動の邪魔をしたのは確かであるが*6。
6. まとめ
思想を研究している人からみると、イスラム教はこう見えるのだなと言うのがわかって興味深いのだが、一読して気になったところを列挙してみた。中東やイスラム教のことはほとんど知らないので、物凄く勘違いしている事もありそうだが、そのときは南倍南のように「ちっ!このど素人が…!」と思いつつ、いつかどこかで補足して欲しい(;´Д`)ハァハァ
ところで本書を素直に読むと、世界16億人がアナーキズムの使徒のように思えてくる。いつかムスリムと非ムスリムで、己の存続をかけた最終決戦をする事になりそうだ。旧約聖書にも「あなたの神、主が彼らをあなたに渡して、これを撃たせられる時は、あなたは彼らを全く滅ぼさなければならない・・・彼らに何のあわれみをも示してはならない(申命記7章2節)」とあるし、血で血を洗う激しい戦いになるのであろう。
やはり、あまり信じたくない(´・ω・`)ショボーン
追記(2021/10/01 22:55):同分野の他の研究者からの書評(松山 (2018))によると、イスラム法に関する説明に問題があるそうだ。
*1『イスラームから見た「世界史」』とイスラム金融の本を読んだことしかない(キリリ
*2Muslims and Islam: Key findings in the U.S. and around the world | Pew Research Center
*3関連記事:ネット世論調査は回答者数が多くても、標本の偏りが激しい
*4Les calculs foireux de «Causeur» pour tenter de démontrer le «grand remplacement» - Œil sur le front
*5European Court upholds French full veil ban - BBC News
The French government argues that the ban has wide public support. The authorities see the full-face veil not only as an affront to French secular values but also as a potential security risk, as it conceals a person's identity.
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