経済評論家の池田信夫氏が二つのエントリー「独裁の合理性」と「神話の構造とマスキン単調性」で、例外的状況はあるものの理論的に独裁が合理的だと主張している。合理的な独裁者が意思決定を行えば、それは一貫性があるので合理的になると言う出落ちな話なのはともかく、参照されている定理への理解がおかしいことになっている。以前の氏のエントリーよりはアローの不可能性定理への理解が進んだようだ*1が細部に問題があるし、ギバードの一般可能性定理は教科書的な説明にも目を通していないようだ。
候補者3名を選ぶのに「多数決で決めると、勝者が決まらない」は、直感的におかしい事が分かるであろう。候補者3名を三つを同時に投票にかければ、得票数が同じでない限りは勝者は定まる。アローの不可能性定理の解釈に失敗したようだ。
アローの不可能性定理は3つ以上の選択肢があるときに、そのうち2つの選択肢だけの多数決を繰り返すと、その結果は推移性が無くなり一貫性が守られないことを示しているが、単純多数決以外の方法(e.g. ボルダ・ルール)をとれば問題は生じない。
ギバードの一般可能性定理(Gibbard-Satterthwaite theorem)は、あらゆる投票システムにおいて絶対には戦略的投票行動を排除できないと言う定理だ。戦略的投票行動とは、自分の選好を偽って申告することで、自分に有利な社会的決定を導き出そうとする行為だ。単純多数決では起きないが、ボルダ・ルールのような重み付きの投票では、重みを偽って申告することで戦略的投票行動が機能する*3。
戦略的投票行動が必ず起きるとは限らないが、投票システムを工夫しても完全に排除することはできない。ただし戦略的投票行動を実行するには、戦略投票者の選好が他人に知られておらず、戦略投票者が他人の投票行動を予測する事が可能でないといけない*2。有権者数が数千万のときに、可能か否かは議論の余地が多いにあるように思える。
何はともあれ議論している内容が異なるので、池田信夫氏が言うようにギバードの一般可能性定理はアローの不可能性定理をゲーム理論を使って書き直したものでは無く、そもそもギバードの一般可能性定理は証明を見れば分かるがゲーム理論を用いていない。田中(2005)「社会的選択理論の諸相」に証明が二種類紹介されているので、興味がある人は確認されると良いであろう。
マイナーな所も問題を指摘しておきたい。池田氏は「3人以上の投票者について、人々が投票で合理的に選択するルールは独裁しかないという定理が成り立つ」と主張しているが、候補者が3名以上の間違いであろうし、「人々が投票で合理的に選択するルールは独裁しかない」のではなく、投票結果が推移的なルールは独裁しかないのであって、「合理的」と言う言葉が不適切に用いられている。
*1関連記事:アローの不可能性定理と民主主義の限界
*2奥野・鈴村(1988)の36.6節(P.384)に詳細な議論がある。
*3例えばボルダ・ルールで選択肢aが100票で1位、bが99票で2位、cが98票で3位、dが80票で4位のときに、A氏が自己の選好に忠実にbに4票、aに3票、dに2票、cに1票を入れていたとしよう。このとき、もしA氏が自己の選好を偽ってbに4票、cに3票、dに2票、aに1票を入れていれば、選択肢aは98票で2位、bは99票で1位、cは98票で3位、dは82票で4位になり、A氏は投票結果の1位を入れ替えることができた。
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