米国弁護士の城所岩生氏が、テレビ番組の録画代行を行っていた「まねきTV」と「ロクラクII」、携帯電話への音楽転送サービスを行っていた「MYUTA」の判例から、日本の法令がクラウド・サービスを不可能にしている可能性があると指摘している(「まねきTV事件」最高裁判決でクラウドも国内勢全滅の検索エンジンの二の舞か?)。判決文を読む限りは、飛躍しすぎではないであろうか。
1. 複製を“およそ可能にする”かがポイント
一連の判例でポイントになるのは、著作物の複製者が誰になるのかと言う事だ。ユーザーならば問題ないが、サービス提供者(e.g. まねきTV、ロクラクII、MYUTA)であれば著作権侵害行為となる。ロクラクIIとまねきTVの場合は、TVアンテナ等を設置しないと放送番組等の複製をすることはおよそ不可能だと判断され、MYUTAの場合はエンコード/アップロードする専用ソフトウェアが提供されないと音楽転送がおよそ不可能だと判断されたため、サービス提供者が複製者だと認定された。
まねきTVの場合は、契約したユーザー以外を排除する機能があっても契約できるユーザーが不特定多数になるので、自動公衆送信と見なせるとの解釈も出されている。しかし、サービス提供者が複製をおよそ可能にしないとこの解釈も意味が無いであろうから、技術的制約を大きく改善できるかが重要なポイントになっている事が分かる。
2. ユーザーが権利保持しない著作物のコピーの可否がクラウドにとって致命的か?
さて、これらの判決でクラウド・サービスが不可能になるのかと言うと、そうとは言い切れない。
まねきTVとロクラクIIのケースでは、テレビ番組と言う公衆放送されている著作物を中継した事が問題になっている。しかし“公衆放送されている著作物”をクラウド・サービス事業者が積極的に利用する事は大抵のケースでは無い。
MYUTAの地裁判決は、サービス提供者が存在しなければ私的複製がおよそ不可能なので、ユーザーが積極的に複製に関与したと言えず、複製行為の主体はサービス提供者であると判断している。これはDropBox等のストレージ・サービスには打撃になる判決だ。しかしソフトウェアの関与が無いとユーザーが何も出来ないのは家庭内の私的コピーも同様で、さらに他のソフトウェアを使えばサービス提供者と同等の行為が可能だと判決文で触れられており、判決の論理に疑問が残る。複製を“およそ可能にする”と言えるのであろうか。裁判長裁判官を見ると、高部眞規子氏だ。氏は知財に明るいとされるものの、松下電器とジャストシステムの特許紛争で後に覆された一審判決を担当していた。
まとめると、ロクラクIIとまねきTVの判例は、他のサービスに重要な意味を持たない。MYUTAの事例が最高裁判例であれば、ストレージ・サービスは今後は不可能になる可能性があるが、地裁判決に過ぎないので今の所は大きな影響は無い。
3. 情報通信サービスにおける歴史認識
本題とそれるが、フェアユース規定が無いために、検索サーバー市場で日本勢が全滅したという歴史認識は妥当とは言えない。現時点で残っている検索サーバーは、GoogleとBeingだ。実際はYahoo!も、Yahoo!が買収したInktomi、Overture、AltaVistaも既に利用されていないサービスとなっている(米Yahoo!はBeing、Yahoo!JapanはGoogleを利用している)。市場の寡占化は急激だった。
日本にも、goo、Infoseek、NTT DIRCECTORY、CSJインデックス、ODIN、千里眼などの検索サービスは大量に発生しており、著作権法など誰も気にしていなかった。老舗SNSのmixiでユーザーの日記データなどをバックアップを取るのに必要とされる著作権法上の承諾をとるために規約改正を行ったのが2008年だ。ニコニコ動画は今でも著作権上の問題を抱えている。要するに多くのインターネット・サービスのスタートアップは、厳密な法解釈は気にしていない。
ではなぜGoogleが独占事業者になって、日本のサービスがそうでないか? ─ Googleが1998年に登場したときに圧倒的に検索速度が速く、検索精度が高かったからだ。スタンフォードで真面目に研究をしていたラリー・ページらの技術がベンチャー・キャピタルの資本力に乗っかったわけで、同業他社が追随しようとしたときにはGoogleは遥か先を行っていた。Googleも当初は赤字であり、機械的な検索サービスが儲かるなんて誰も思っていなかった。
証券アナリストが“ポータル”と言う単語を愛用し、米Yahoo!の株を勧めていた時代だ。その時代にフェアユースの重要性を説いている人はほとんどいなかったように思うのだが、私の記憶違いであろうか。
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