2021年7月19日月曜日

パターナリズムにすっかり傾斜しているジェンダー法学者

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立憲民主党が性犯罪刑法改正に関するワーキングチームにおける本多平直衆院議員のジェンダー法学者の島岡まな氏らへの発言に関する調査報告書を公開していたので拝読したのだが、現在のジェンダー法学の思想が色濃く出ている文書になっていて興味深かった。

委員長は労働ジャーナリストの金子雅臣氏だが、ハラスメントの有無よりもラディカルな思想の正当性を訴える内容、一般的とは言えない用語、やたらとつける鍵括弧、文脈に関係なく嫌っていそうなモノへの言及が散りばめられた文*1、唐突で無根拠な日本批判*2から、ジェンダー法学者が大部分を書いている蓋然性が高い。

1. 本題のハラスメントへの言及が薄い

「言われている一連の発言が厳密な意味でパワーハラスメントに該当するかどうかはさておき」と、ハラスメント防止対策委員会なのにハラスメントについての検証が雑である。なお、パワーハラスメントの著作がある金子雅臣委員長の意見なのか、本多議員の言動は、威圧的ではあったがパワーハラスメントとは断定できないと書いてある(p.6)*3

2. パターナリスティックな女性保護を主張

さて、ジェンダー法学節についてだが、「家父長的強姦神話」や「家父長的男性中心主義」と家父長制を非難している一方で、パターナリスティックな女性保護を強く訴えている。

未成年者に限らない話*4の「「リベラル」をめぐる問題」と言う節に、「行為者の「自由」の観点からの慎重論をもって異議を唱えることは、前記の流れに抵抗する家父長的男性中心主義と(ジェンダー法学者に)みなされる危険にも留意する必要がある。」とある*5。古典的なリベラリズムに対して懐疑的と言うか、男女が自己決定した行為を尊重しようという主張に、旧体制の擁護者のようにレッテルを貼っている。括弧と中の注釈は私がつけたが、家父長制と言える法制度が無くなった現在、それでもやたらと家父長制云々と言うのはジェンダー学者ぐらいしかいないから、これはジェンダー法学者からの警告だと解釈できる。

続けて以下のようにある。

第3に、以上と同様に、性行為は女性が妊娠・出産の身体機能を宿命づけられ、一回の性行為が一生涯の人生の選択を決定づける行為であることに対し、男性には一回の性的満足で、完結する行為であって、そうした観点からすれば性行為自体がそもそも対等ではない。法政策としては、妊娠・出産を理由とする差別を許さない法制度は、いまや常識であることに鑑みれば、「真撃な恋愛」と「性行為」とを区別して規制の対象とすることは、法的にもまったく矛盾とはいえず、「真塾な恋愛」という内心の自由と、それが行動に出る形態となる「性行為」とは区別する必要がある。こうした「峻別」の観点にも、大きな違いがあった。

どう読んでも、性暴力被害者は一生トラウマを負うと言う話ではない。結婚前に処女を喪失した女性は、傷物として不遇な人生を送るので、真撃な恋愛はまだしも、婚前交渉は禁止しなければならないと言われているかのようだ。避妊や感染症予防が容易になり、中絶も事実上自由な現在、女性が一回の性交渉で負うリスクは大きなものではないし、(これは昔からだと思うが)処女で無くなったら良い男性に恵まれないとか、結婚しても離婚率が高くなるなんて事は無いと思うのだが。

何はともあれ、「報告書」の執筆者は女性の自己決定権をあからさまに疑い、娘の結婚相手を父親が決めるような、パターナリスティックな女性保護を主張している。女性の意思が尊重されない事を心配するのではなく、女性の意思への配慮は必要ないと言っているのだから。

3. パターナリズムにすっかり傾斜

リベラリズムを自認しているが、パターナリズムにすっかり傾斜していて、むしろ家父長制に近いところなっている。フェミニズムとしても異端ではないであろうか。ラディカル・フェミニズムは性差マキシマリズムなので、女性が肉体的な理由などで不利になる状況では女性の不利を埋め合わせるような制度をつくるべきと主張してきたし、ポルノの弊害などを無根拠かつ過剰に主張したりする事もあるが、女性の性的自己決定権を抑制しようとまでは行かない。

執筆者は自分が何を書いているのか分かっていないのであろう。「(性行為を積極的に断ったのにも関わらず犯されても強姦と見なさないと言う意味になる)「No means Yes」は、家父長的強姦神話の典型」とあるのだが、家父長制とは関係ない。家父長制だと、家父長が男女問わず家族の結婚相手を家父長が決めるわけだし、結婚後の性交渉も家父長(多くは夫)が決める*6。「司法判断の主流を占めているかのように見える「強姦神話」に基づく判断(典型的には No means Yes)」とあるので、(性行為を積極的に断らない限りは、不本意であっても強姦と見なさないと言う意味の)No means Noを揶揄しているのかも知れないが、女性が男性と同等に自己主張できるとするリベラル・フェミニズムのバニラジェンダー仮説からすれば、「No means No」で何ら問題はない。最近は、ラディカル・フェミニズムになると思うが、女性は判断能力はあるが意思表明が苦手と言うことを認めて、Yes means Yesを模索する方向になっている*7。しかし、「報告書」の執筆者のように、女性の判断能力自体を疑っているわけではない。

家父長制は、女性の判断能力に懐疑的。リベラル・フェミニズムでは、女性の判断能力と、意思表明能力の双方を信頼。ラディカル・フェミニズムでは、女性の判断能力は信頼するが、意思表明能力に懐疑的。日本のジェンダー法学者は、女性の判断能力に懐疑的。女性の保護者が家父長から政府になるのかも知れないが、一周回ってパターナリズムに戻っている。古典的リベラリズムとしてはもちろん、ソーシャル・リベラリズムとしても極端で、とてもリベラルとは言い難い。

*1「新自由主義はこれを志向するとしながら格差を拡大して多様性の尊重とは異なる道を進んだが」(p.10)「1970 年代以降は、グローパル化とともに、新自由主義とマネタリズムに基づくリベラル・コンセンサスへの異議申し立てとともに」(p.10)

*2「国際社会はNo means NoからYes means Yesに向かっている。日本は、いまだNo means Noさえ実現しておらず、「No means Yes」が支配的である」とある。法曹の皆さんは激怒していい。

*3衆院選挙が近いことを念頭に置いたと処分だと思うが、これで党員資格停止は重すぎると感じる。

*4性的同意年齢の議論では、未成年者の判断能力が低いことがその根拠にされて来たはずだが、「報告書」全体でそれへの言及がない。

*5この箇所は「第2に、刑法の性犯罪規定による保護法益の主体とされる側からの「同意」に基づかない性行為の規制への転換を求める流れは、法の他者とされてきたものからの「自由」と「同意の原則」を求めるものである。これに対し、」に続いているのだが、錯乱しているので無視した。「「同意」に基づかない性行為の規制」を、同意の有無に基づかない規制への転換と解釈すると、「「同意の原則」を求めるものである」と言う説明がおかしくなる。同意に基づかない性行為への規制と解釈すると、従来の法律と変わらなくなる。

なお、この文で使われている「法の他者」の意味が適切に説明されているか分からない。この文の前で「法の支配の主体でなく「対象」としての地位」と説明されているのだが、司法が主体で加害者や被害者が対象であれば、「法の他者とされてきたもの」は、今後も「法の他者」であり続ける。

*6関連記事:ジェンダー社会学者の皆さん、ミソジニーを家父長制から定義しようとすると、意味不明になるからね!

*7Yes means Yesを導入したとされる国でも、司法が何をもってYesと判断するか曖昧だ。

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