2020年2月10日月曜日

ジェンダー社会学者の皆さん、ミソジニーを家父長制から定義しようとすると、意味不明になるからね!

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ジェンダー社会学者の江原由美子氏が、ケイト・マン氏の家父長制秩序を支える機能をもつ人を支配するためのシステムの一形態としてミソジニーと言う概念を理解しようとする議論を紹介するエッセイ*1が話題になっているのだが、家父長制への理解が怪しい意味不明な議論になっている。フェミニストが振り回しているからと言ってミソジニーと言う単語に独自定義を与える必要はないわけで、話が混乱するだけの有害無益な議論だから止めて欲しい。

このエッセイでは家父長制の説明が、女性が男性に付き従う社会となっている*2のだが、まったくもっておかしい。家父長が他の家族に対して指揮命令をし、家計の財産の処分権を持つような社会制度が家父長制であり、家父長制の社会の女性は家父長に従う義務はあるが、他の男性に従う義務は無い。江原氏のエッセイでは、「女の子の誰一人として僕に振り向いてくれなかったから、大学の女子学生を無差別に殺した」犯人が「男性に付き従うべき女性が、男性である自分になびかなかった」と考えていた場合、犯行を家父長制秩序に従わなかった制裁だと解釈できると主張しているが、「ミソジニーは、家父長制秩序を維持する機能を持つ制裁行為」だとしても、そんな理屈は成り立たない。女子学生無差別殺人が、ミソジニーでは無くなってしまう。

恐らく元ネタのマン氏の議論が錯乱しているわけだが、欧米と言うか米国の場合はフェミニスト勢は当地のキリスト教保守派と言い争っているので、キリスト教保守派の道徳規範(i.e. 「妻たる者よ。主に仕えるように自分の夫に仕えなさい。」エペソ人への手紙 5:22)と言う意味で家父長制と女性の男性への隷属をごっちゃにしがちなのだと思う。しかし、日本、特に現代においては家父長的な要素は皆無に近い。戦前は、戸主が婚姻や住居などを定め、家族の財産を管理する権限があり、長子相続であったが、戦後、この制度は無くなった。離婚時に親権は母親に認められることがほとんどになっている。1984年の国籍法改正で、父系優先血統主義でも無くなった。父親が娘にうるさく指図したがる家庭はあるであろうが、それだけでは家父長制とは言い難い。

江原氏は「女性に嫌悪以外の何の関心も持たない人、あるいはすべての女性を同じように憎むという人が、一体どこにいるだろうか・・・著者は・・・稀有であろうと推測する」から、「私は、フェミニストであると自認しているにもかかわらず、これまでこの言葉(ミソジニー)を使ってはこなかった」そうだが、無理にミソジニーなどと言う単語を使う必要もないし、当たり構わずミソジニーと言って回っているフェミニストを肯定する必要も無いわけで、今後も使わないでよい。それに、すべてとは言わなくても、かなりの女性を毛嫌いする男性、そこそこいるかも知れない。配偶者の月経前症候群(PMS)/月経前不快気分障害(PMDD)に悩まされている男性、少なくないはずだ。

*1「ミソジニー」って最近よく聞くけど、結局どういう意味ですか?(江原 由美子) | 現代ビジネス | 講談社(1/6)

*2「家父長制とは、社会や時代によってさまざまに異なった制度であるものの、「女性という女性、またはほとんどの女性を、その内部の特定の男性あるいは男性たちとの関係において隷属的な立場に置く」ような制度」と説明されている。女性が、家父長や家族の男性ではなく、男性一般の命令/要望を聞く義務のある社会を、どこか例示できるのであろうか。また、男尊女卑社会としても女性が男性一般の命令/要望を聞く義務は負わないので、非モテ男性に女性が誰もなびかないことは秩序に反する行為にはならない。

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