2018年12月25日火曜日

稲葉振一郎「因果因果いうようになったの割合最近」に引っかかった点と、リプライで指摘し損なったこと

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明治学院大学の稲葉振一郎氏が「因果因果いうようになったの割合最近」と言うツイートに、因果と相関の違いを気にするのは昔からでは無いかなと(やや意地悪な)リプライをつけてみたことから派生した議論なのだが、稲葉氏が途中で怒り出したために言及しそこなったポイントがあるので、リプライで指摘したことを繰り返すと同時に、言い損なったことを補足しておきたい。

1. 「因果」が統計的因果推論を意味するのであれば無問題

「因果因果いうようになったの割合最近」と言う稲葉氏のツイートを見かけて思ったことは、以下の二点だ*1

因果が統計的因果推論を意味していて、社会科学分野におけるその利用と言う話であれば、「因果因果いうようになったの割合最近」と言う主張にとくに違和感は無い。統計的因果推論といえば、ランダム化比較実験(RCT)か自然実験を利用した計量手法を指すが、経済学におけるランダム化比較実験の導入で成果を挙げてきたエスター・デュフロがジョン・ベイツ・クラーク賞をもらったのは2010年だし、自然実験を分析した例としてよく挙げられるイスラエルでのクラスの人数と成績の関係を分析した論文*2は、1990年代に書かれたものだ。最近は一周回って?、研究目的によっては厳密に識別しなくても良いのではないかと言うことで、部分識別と言う手法もある。

因果を気にして来なかったと言う意図であれば、違和感がある。欠落変数(omitted variable bias)*3や同時性/内生性*4についてあれこれ言うのは昔からだし、前後即因果の誤謬(Post hoc, ergo propter hoc)や擬似相関(Spurious correlation)と言う概念を、昔の経済学者が知らなかったと言うわけではないであろう。同時性バイアスの存在は1920年代には知られていて、1928年には操作変数法が発明されていた(Stock and Trebbi (2003))。マクロ計量では相関係数をみて満足していた時期もあるのだが、それも1960年代までである*5。グレンジャー因果性と因果は異なるという議論はあるが、改善はされた。フィリップス曲線は相関関係であって因果関係を意味しないと言うルーカス論文も、1970年代に書かれている。

追記(2019/10/07 04:42):社会学でも1979年に高根正昭氏が『創造の方法学』で計量分析で因果関係を主張するための条件を整理していた。

2. 「因果」は統計的因果推論を意味していない?

「因果」と言う言葉が統計的因果推論を意味していることを強調して欲しかっただけなので、稲葉氏とは「社会科学で統計的因果推論、統計的因果推論というようになったのはここ20年」と言う話で合意できると思っていたのだが、それで話しが収まらなかった。因果の方向を理論的に説明して前提に置くのではなく、計量的に確定するようになったと言うような説明では、稲葉氏の主張と合致しないらしい。

普遍的法則とかマクロレベルのシステムが個別事象に与える因果効果という問題の立て方をしなくなった」と言われて、困ることになった。この主張には同意はできないし、話を流して聞くてよいのかも迷う。ランダム化比較実験や自然実験を取り扱っている研究でも、普遍的法則を追求するためにやっているのでは無いであろうか。また、経済理論から推定モデルを演繹する構造推定は、むしろ最近の方が盛んだ。「マクロレベルのシステム」も、マクロ経済環境を表す変数なのか、一般均衡と言う方程式体系なのか意図するところが分からないし、分析ツールを統計的因果推論に限らなければマクロ経済分析は今でも熱心に行われている。

ツイートでのやり取りだし誤解は入り込みがちだとは思うので気にしても仕方が無いし、上の疑問のうちひとつに関してリプライを投げたところで稲葉氏が議論を打ち切ったので、見解の相違は実はなく、なんだか癪に障るので指摘に対して他の議論をもちこんで正当化しようとして失敗した…と見なしてもよいのだが*6、社会学者の間に計量分析に関して変な想像が広まっているきらいもある*7。稲葉氏のこれも何かを勘違いした話かも知れない。

実際、そのような誤解を招きそうな統計的因果推論に対するある批判もあるのだ。社会実験や自然実験で得られた知見には外的整合性がないので、普遍的な法則にたどり着かないと言うノーベル賞受賞経済学者のディートン御大の議論*8。やり方がおかしいので普遍的法則にたどり着かないと言う批判は、普遍的法則を目指していないとは言えないわけだが、外的整合性が無いと分かって統計的因果推論をすると言うことは、普遍的法則にたどり着くことを諦めた研究であると難癖つけることは可能かも知れない*9。しかし、多分に難癖なので、真に受けるのはちょっと問題だ。

3. 稲葉氏の新著ではしっかり議論されているのか?

ツイートの真意を測るかなと思って質問したのだが、そこで中断されたので稲葉氏が奇妙な信念を抱いていると言う危惧が残った。稲葉氏の新著「中級~」の方でこの辺の議論があると言う話だったが、ちょっと身構えて読んだ方が良いかも知れない。学会報告や査読論文などを経て洗練されたものであればよいのだが、前に拝読した本は色々と粗があったし*10、今日になって言われた前著に対する議論の恨み節についても少し話が荒っぽかった*11。チマチマした話が嫌いなのかも知れないが、細部を詰めないと学問とは言えないのでは無いであろうか。

*1最初は自然科学を含んだ社会科学に限らない主張に思えたが、社会科学、とくに経済学を念頭に置いているとフォローされたので、この点は無かったことにした。なお、物理学徒が研究で因果と相関を意識していないように見えるのは、(1)実験によって潜在変数の影響を制御でき、(2)かつ無生物を扱うので従属変数に応じて説明変数の振る舞いが変わらないためだと思われる。逆に言うと、(1)(2)を満たせない分野では、因果と相関の違いを気にする必要があるが、物理学はそうでは無かったと言う話である。

追記(2019/01/06 04:13):少なくとも理学部系基礎物理学分野では、因果関係と相関関係は凄く気にしている」と言う指摘もある。

*2Angrist and Lavy (1999) "Using Maimonides' Rule To Estimate the Effect of Class Size on Scholastic Achievement," Quarterly Journal of Economics, Vol.114(2), pp.533—575

*3Omitted Variable Bias,xとzが相関があるときに、真のモデルがy=α + γz + εで、誤ったモデルy=α + βx + εを推定してしまい(←γzの項が要る)、xがyを説明すると主張してしまうような話。

*4y = Xβ + εのようにXがyを説明するときに、yがXを説明してしまうCOV(X, ε)≠0の状況。

*5時系列データの相関係数がランダム・ウォークによってもあてにならない事を経済学者が知ることになったのは1970年代で、それまでは素朴に相関係数を見ていたとされる。

*6この想像が正しければ、論点すり替え論法(Ignoratio elenchi)になるから、詭弁である。

*7社会学者・筒井淳也の経済学の計量分析理解について - Togetter

*8Deaton v Banerjee ? Development Research Institute

*9個々の研究に限界はあっても、色々とやっているうちに行動経済学のプロスペクト理論のように確立されるかも知れないので、辛口ではある。

*10関連記事:リフレ派が書いた学説史「不平等との闘い」

*11「『不平等との闘い』の時(最初は完全な誤解で「そのモデルでは不平等化は理論的に起きない」と言ってこられましたな)」と言われたのだが、念頭に置かれているだろうモデルはラムゼーモデルを拡張して代表的個人の中に資産格差を作ったら格差が保存されると言う話で、平等な資産配分から格差が生じる話ではないから、ちょっと説明がおかしい。

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