2017年8月26日土曜日

そんなデータで男女間の統計的差異を認めてしまっていいと思う?

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男女の身体能力の差は激しい。見た目の筋肉のつき方から自明なところもあるが、女性のトップアスリートでも平均的な男性の筋力に達しているわけでもないし、実際に競技をさせても如実に差が出る。これと同様に、様々な職業における就業能力においても男女の差があると認めてしまう人も少なく無い。実際、慎重にデータを見ても男女の就業能力に差異があるように見えるときもあるのだが、実は経路依存性のある問題かも知れない。

例えばプログラマになる女性が極端に少ないのは、男女の趣向や能力の分布差だと言う説を唱えて解雇されたGoogle社員のことがネット界隈で話題になっていたが*1、本当にそうであろうか。統計的な根拠がついているが、それらは単に女性はプログラマに向かないと言う雇用主の“偏見”を女性が予想することにより、女性がプログラマになるための自己投資を行なわなかっただけの可能性がある。雇用主が合理的かつ公正に男女の違いを見極めようとしても、歴史的に男女の役割分担がある社会であれば、やはり“偏見”が統計的差別から生じてしまうこともある。グラスゴー大学の林貴志氏が、これを示す簡素なモデルを構築している*2ので、なるべく大雑把に紹介したい。

就業前の努力で、学歴・職歴と就業能力、つまり労働生産性が定まるとしよう。同じ努力でも運によって、学歴・職歴に差が出てくる。雇用主は個々の労働者に関して、真の就業能力は賃金を定める前に観察ができない。観察できるのは、学歴・職歴と偶然によって左右される労働成果物だけだ。雇用主は学歴・職歴に応じて賃金を割り増して払うのだが、学歴・職歴に応じた割増賃金係数β*3は正確に定める事ができず、統計的に、例えば回帰分析をして決定する事になる。

これだけ聞くと、雇用主の対応は合理的で公正に思える。何ら、恣意性は入っていない。偏見による差別(Taste Discrimination)では無い。しかし、適切な統計処理を行なってβを定めても、社会的に非効率な状況が安定的に生じる可能性がある。しかも過渡的にではなく、安定的にだ。

この世界では雇用主がβを推定すると同時に、労働者が経営者の推定するβを先読みして学歴・職歴のための努力水準を決定する。労働者のβの予測値をH(β)としよう。推定されたH(β)がβよりも大きければ、労働者は雇用主がβを引き上げると予想して、どんどん学歴・職歴を高めていき、そのうちβでβ=H(β)となって安定する。逆にもし、βがH(β)よりも小さければ、労働者は学歴・職歴を積むのを諦めていき、そのうちβでβ=H(β)となって安定する。つまり、最初の学歴・職歴の分布によって、安定する均衡点が変化する複数均衡となる。なお、白丸の点はβ=H(β)だが、少しでもずれると戻らない不安定な点になるので、ここではβもしくはβが均衡となる。

男女に能力差が無い場合でも、賃金格差は生じうることになる。前近代的な偏見による差別(Taste Discrimination)が存在した社会で、今はそれが取り払われたと考えよう。初期時点の男性の学歴・職歴は高く、女性のそれらは低くなる。何らかのアファーマティブ・アクションが十分に行なわれない限り、この差異は解消されない。女性の学歴・職歴をちょっと上げてやっても、下図の白丸より左側の領域に留まっている限りは、元のところに戻るからだ。この世界では統計的差異及び統計差別は、自己実現的なものとなっている。

もし、上図のような均衡になっている場合、積極的なアファーマティブ・アクションが肯定される。例えば、男女の賃金格差を禁止してやれば、さらには高賃金の職に女性が就く事を支援してやれば、女性は自発的に学歴・職歴を高めることにより高水準均衡に移動し、さらには雇用主や男性の所得を低めることなく女性の賃金を高めることができる。つまり、パレート改善になる。

もちろん、このようなモデルが作れることは、実際の統計差別が必ずこのようなメカニズムで生じていることは意味しない。女性には妊娠・出産の問題が付きまとうので、ベッカーの言うように家庭内分業しやすい職業を合理的に選んでいるのかも知れない。情報の非対称性も大して無いかも知れない*4。しかし、プログラマーになる女性の比率が小さいと言った単なる統計が、男女の差から必ず生じるものなのか、歴史的経緯による自己実現的な結果なのか判別がつかないことを、このモデルは示している。

モデルの詳しい特性は、原論文を参照のこと。なお論文の前文でアピールしているが、このモデル以前の先行研究では、男女の就業能力が同じでも、男女の就業能力のスクリーニングの難易度が異なるとするような仮定が入っているが、この論文では男女の差異が全くない状態でも統計差別が生じうることを示しているので、より参照しやすいモデルになっていると思う。

*1Google社員の「反多様性メモ」の内容は間違っていたのか?』にニュースへのリンクと、応用倫理学者のピーター・シンガーのコメントが紹介されている。

*2Hayashi, Takashi "Self-fulfilling regression and statistical discrimination," International Journal of Economic Theory, Forthcoming Paper; Discussion Paper

*3雇用主(買い手)に完全競争を仮定することで、観測された就業能力の向上係数と賃金上昇係数は一致するようになっている。ただし、完全競争の仮定を緩めても、ほぼ同様の結果が得られるであろう。

*4情報の非対称性の程度が低い、つまり誤差の分散が小さい場合は均衡が一意になる。

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