2016年8月12日金曜日

雑誌記事によって誤解されていくピーター・シンガー

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いつもは経済学関係の海外ブログ記事などの紹介をしているhimaginary氏が、生命倫理の世界で物議を醸しつつ、贅沢をするよりは寄付をした方が良いと言って回っているピーター・シンガーに関する、ニューヨーカー誌の記事を紹介している。himaginary氏曰く、「同業の専門家の見解を聞くというのは当該の主張を知る一つの手段」だそうだが、書いているのは一般誌の記者であって同業の専門家でもないし、経済学では同業の専門家の寸評を聞いたところで事前知識が無いと何も分からないわけで、哲学でも記事で引用されている短い発言から何か理解するのは無理であろう。実際、「シンガーの矛盾を突いた箇所」とピックアップしているところは、特に矛盾をついていないし、シンガーの主張を理解するのに役立たない。

エントリーを三つ挙げているので、順番に見ていこう。最初の「危険な哲学者」では、二つの話が挙げられていた。その中で、気になった所を挙げる。

  1. ホームレスの物乞いにではなく、金が有意義に使われると自分が納得できるところに寄付すると言う言説だが、功利計算の結果を最大化するように振舞うと言うのであるから、完全にシンガーの議論に合致している。シンガーの議論は共感に基づいてはいないから、何も矛盾していない。直観主義者であれば、矛盾なのであろうが。
  2. シンガーが認知症の老母の介護費用を負担したと言うところだが、これもシンガーの倫理と合致していないかは分からない。シンガーは他に考慮すべき問題が無ければ、パーソンでは無い者の命を苦痛無く奪う事が正義に反さないと言っているだけであって、パーソンでは無い者を殺せとは言っていないからだ。シンガーは「進化の過程で得られた私たちの人間本性」に適合、もしくは妥協して道徳律を提唱している。また、既存のルールの変更を求めていても、既存のルールを無視しろとは言っていない。シンガーの老母に対する扱い関しては姉の要請があったそうで、介護費用の負担は正当化できないわけでもない。

危険な哲学者・続き」では、二つの箇所が挙げられていた。

  1. 「シンガーの哲学は、他人よりも家族のことを気に掛けるとして人々を非難している」と指摘があるのだが、これはシンガーの妥協的な側面を完全に無視している。繰り返すが、シンガーは「進化の過程で得られた私たちの人間本性」に適合、もしくは妥協して道徳律を提唱している。例えば、平等と言う観点ではイスラエルの生産共同体キブツのような子供の養育が望ましいとしても、人々が親子の情からそれを受け入れられないのであれば、辞めた方が良いと言っている。「彼が我々にそうさせたいと思っているように、人々が全財産をアフリカの貧しい人々に与えたらどうなるでしょうか?」と書いてあるが、「あなたが救える命」を読むと全財産を寄付しろなんて書いていない。
  2. 「障害を持つ子供は場合によっては殺されなければならない、と論じることによって、シンガーは、どちらかと言うと彼らの苦痛を気に掛け過ぎているように思われる」は、シンガーのエッセイを読む限りはそう読解しそうなので多少は意味のある批判だが、正確に議論するならば、シンガーが障害を持つ子供(正確には嬰児)の将来を気にかけていないことを指摘するべきであろう。つまり、自分の将来に関する欲求を持つことができるパーソンでは無い存在から、将来を奪う事は問題にならないのだ。保護者などの介護者の負担と、子供が現在感じている苦痛の方が問題になる。
  3. 「今日取る行動によって3000年後に多くの人々が裨益するならば、シンガーは我々に対し、その行動を取るべきだ、と言うだろう」は、シンガーは既に存在しているパーソンの利益を考慮する存在先行説を採用しているから間違いである。3000年後の人々の利益に配慮することが現在存在する人々の幸せだと言えれば、そうするべきだと主張するであろうが。

危険な哲学者・その3」でも、二つの話が挙げられていた。

  1. グリーリー氏のシンガー評は、シンガーの主張が一般に受容できない事を主張しているが、それが何かを説明していない。国内の同国民と国外の難民を同じように扱うべきだと言う話などがそれになると思うのだが、ともかく取り上げられている所に具体性は無い。
  2. 「シンガーの著作はあまりにも要求が高い」は、記者の主観的判断も大いに入っている。「実践の倫理」は、そう具体的な行動規範にはなっていない。確かに現代人は肉を食べ過ぎとは書いてあるが、肉を絶対に食べてはいけないとは書いていない。「とりわけ、動物の肉が必需品ではなく贅沢品である場合には」と状況が絞ってある。「あなたが救える命」でも、全財産を寄付しろとは書いていない。パーソンの利益に対する平等な配慮を原理として採用している割には、生ぬるい行動規範に思えるぐらいだ。

新聞記者は、シンガーの主張を原理主義と読者に思わせた上で、原理主義者として生活していないと非難したかったのであろう。しかし、シンガーが実際に示している行動規範は、まだまだ世俗的である。多種多様な要素が入る功利計算が土台になるので、世俗に妥協する事になるのであろう。この記者のモチベーションは分からないが、彼の倫理感と折り合いが悪かったのかも知れない。

倫理なので、他よりもシンガーの方が正しいと言う話にはならない*1が、その議論に目だった矛盾があるかと言うとそうでは無い。むしろ単純な少数の原則から具体的な規範を演繹しようとしているわけで、直観主義や義務倫理と比較すると矛盾した事は言いづらいであろう。素人目にも問題点はあるのだが、それは主に事実認識に関わる部分であって、規範的な矛盾ではない*2

*1私が生命倫理に関してピーター・シンガーに良く言及しているのは、自明な倫理に基づいて主張しているように見せかけて、実際のところは個人的な直観にだけ頼っている人々に、それが自明な倫理ではない事を示すためである。

*2シンガーは畜産業を否定しているのだが、人類の大半は健康的な生活を送るために必要な動物たんぱく質を取る事ができない。必需品として肉を食べる事を許容しているわけだが、それは畜産業の否定と両立しない。食肉を控えて畜産業の規模を小さくすべきと言う話と捉えれば良いわけだが。

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