2012年8月31日金曜日

厚生労働白書が隠している経済学の知見

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平成24年版厚生労働白書は、社会保障の教科書的内容になっているが、(最近の)経済学の知見が反映されていないと感想がある。それに対して、ケインズ、ポランニー、アダム・スミス、セン、フリードマンなどの大御所経済学者の名前が散見されるのに、反映されていない「経済学の知見」とは何かと言う疑問があがっている(EU労働法政策雑記帳の後半部分)。

確かに大御所の名前はあるのだが、恐らく意識的に、理論モデルや実証研究の知見が紹介されていない。つまり社会保障の必要性を訴える一方で、社会保障の適正水準を巡る議論は極力排除している。厚生労働白書で経済学の知見をどこまで紹介すべきかは議論があると思うが、陰謀論的に分析してみよう。

1. 効率と公正の細部に踏み込まない

第2章で社会保障の理念や哲学を紹介していて、効率と公正と言う評価基準を紹介している。しかし、なぜ効率が改善するのか、なぜ公正になるのかの議論が薄い。効率に関しては、逆選択(P.23)やモラルハザード(P.42)の説明があるのだが、年金制度に関してサミュエルソンやダイヤモンドの世代重複モデルなどを紹介すべきでは無いであろうか。公正に関しては、社会的選択論からの世代間の衡平基準の議論があってしかるべき*1であろう。

2. 世代重複モデルによる効率性の分析を無視

世代重複モデルによる研究は、新古典派マクロ経済学の視点から社会保障、つまり年金制度の必要性を正当化するものであり、さらに社会保障の適正水準に関しても議論の手がかりを与えてくれる(井本(2003))。

厚生労働白書は『私的な扶養から年金制度を通じた社会的な扶養への移行』(P.220)を議論しているが、私的扶養と社会的扶養の効率性の比較を回避している。『少子高齢化の急速な進展に伴い高齢人口が年々増加するため、社会保障支出も急速に拡大』(P.37)と言及しているが、少子高齢化のマクロ経済に与える影響、年金制度の維持可能性*2や、効率的な給付水準の変化の研究を紹介していない。

3. 現行の公的年金制度において公正性の考察は放棄する

少子高齢化の影響で、若者世代の社会保障費の負担が高まっていて、世代間の公平性が問題になっている。しかし、厚生労働白書は、現行の公的年金制度が公正性の考察は放棄している。

『公的年金の世代間における給付と負担の関係をどう考えるか』(P.58)、『世代間の公平について考える』(P.238)とコラムがあるが、「前の世代が計算上負担が少ないからといって、当時の生活状況や社会インフラも含めて、前の世代になりたいと思っている若者世代は、少ないのではないだろうか」と世代間格差の緩和は意地でも検討しない。

第2章の議論からすれば、ロールズ型社会的厚生関数で公正性を評価しても良いはずだ。現役世代と年金世代のどちらが社会的弱者なのか可処分所得などで評価すべきだと思うのだが、唐突に根拠なく若者世代の思考が代弁される。

4. 社会保障の必要性を訴えるが、適正水準は議論しない

効率や公正の観点から、社会保障の適正な給付水準を決める議論があるわけだが、それは平成24年版厚生労働白書は回避しているわけだ。これらは経済学的に多く議論されているので、経済学の知見が反映されていないと感想が出てくるのは仕方が無い。また主要な議論かは分からないが、雇用保険が労働供給量を減らして産出量を減らす事や、公的年金が出生率を低下させる*3事などの議論も触れられていない。これらも社会保障の適正水準の議論に関連する。

5. 全ては現行制度の維持・拡大のため?

厚生労働省は、社会保障の給付適正水準の議論を避けるために、経済学の知見を反映するのを避けたように思える。現状の社会保障制度は無理がある。だから消費税率引き上げをする一方で、年金・医療・介護の水準引き下げも検討されている。このままだと若年世代の打撃が大きいと考えられるためだ。しかし、以前から厚生労働省は若年世代の負担を否定しようと躍起で、内閣府と意見対立が表面化している*4。現行制度を維持することが正義になっているわけだが、なぜ厚生労働省がそのように考えるように至ったのかに、興味深い問題が隠されているような気がする。

*1ロールズやセンの議論が紹介されているが、数ある社会的厚生関数の一つと言う観点で議論されていない。経済学の知見を反映するのであれば、ベンサム型、ナッシュ型の社会的厚生関数を無視しているのは妥当とは言えないであろう。

*2Arai and Ueda(2012)は世代重複モデルを用いたカリブレーションで維持可能な基礎的財政収支の赤字と経済成長率を分析している。Imrohoroglu and Nao Sudo(2011)はOLGでは無いが実質3%成長、消費税15%でも破綻するとしている。

*390年代のイタリアで年金給付額の削減を行ったら、出生率が上昇したと言う研究がある(Billari and Galasso(2009))。もちろん出生率の決定要因は多様であり、出生率を向上させるような社会保障制度もある。

*4厚労省の公的年金負担の世代間格差に関する主張のバカさ加減について

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