日本軍の慰安所に21歳未満の朝鮮人女子がいた事を理由に、婦人及児童ノ売買禁止ニ関スル国際条約(以下、醜業条約)違反だったという主張をネット界隈で見かける事がある。醜業条約では通告した地域のみが条約の適用範囲で植民地と占領地は通告しなかったわけで適用外になりそうだが、日本軍が設営した慰安所には内地の法律が適用されるので条約に従わなければならなかったと言う主張なのだが、そのような法的解釈が出来るかは分からない。
元慰安婦の宋神道氏が起こした裁判では、占領地の慰安所で醜業条約が有効なのかも争われたのだが、高裁判決では醜業条約は日本政府に立法を促すものであって、直接適用されるものではないと言うことで棄却している。21歳未満女子の醜業従事を禁止する立法義務があったのか、つまり、日本軍が設営した慰安所には内地の法律が適用されるのかについての判断は、争点にならなかったせいか、どちらとも取れる書き方となっていて良くわからない。
「当時の朝鮮については、適用がないと解すべきであるが…右条約が禁止する醜業に就いたのは中国大陸であり…」とあるので、占領地も醜業条約の適用地域と解釈しているように、一見、読める。しかし、「控訴人が従事した従軍慰安婦の労働は、醜業条約の適用対象となる「醜業」であったと認めることができる」と言う結びの句は、醜業であることを認定していて、条約の適用地域であると考えているかが明確ではない。「右条約が禁止する醜業」と書いているときには適用地域かは考慮していないし、「適用対象」は「(醜業条約第1条の)適用対象」と解釈できるし、どこで従事していても醜業は醜業。
一般論として占領地に内地の法律が自動適用される事はない。占領地の法律は、ハーグ陸戦条約の付属文章(ハーグ陸戦規則)第43条「国ノ権力カ事実上占領者ノ手ニ移リタル上ハ占領者ハ絶対的ノ支障ナキ限占領地ノ現行法律ヲ尊重シテ成ルヘク公共ノ秩序及生活ヲ回復確保スル為施シ得ヘキ一切ノ手段ヲ尽スヘシ」によって定まる。つまり、占領政策に支障が無い限りは現地法が優先されるので、日本が結んだ醜業条約が占領地を自動的に適用地域とすることはない。逆に、交戦国の政府が結んだ条約に日本政府が拘束される事はないので、交戦国が醜業条約を結んでいたとしても*1日本政府がそれに従う必要は無い。現地法を尊重する必要はあるが、醜業条約が求める立法義務は交戦国が負うものだ。ハーグ陸戦規則第43条の条文を素朴に読む限りでは、占領地において醜業条約が適用されていたとは言えない。
こういうわけで、日本軍慰安所が醜業条約違反かは自明ではない。今後、何かの裁判で司法判断が示されれば明確になるかも知れないが、少なくとも今は何とも言えない。現場猫よろしく部隊と業者が曖昧に運営していて深いことはまったく考えていなかった気がかなりする*2のだが、法律をふりまわして非難してもおかしい事になる。「売春が合法であれば、誘拐だけでなく人身取引を取り締まる責任が近代国家にはある。」と言う方がずっとマシ。これも大日本帝国は近代国家に足らなかった感があるので、色々と考え出すとおかしくなるのかもだが。
*1太平洋戦争時の日本軍の占領地は中国、米国の植民地、イギリスの植民地、フランスの植民地となるが、中華民国以外は醜業条約の適用対象ではない。
*2醜業条約違反でないとしても、当時の日本政府の立法や通達によって内地の法律が施行されていたのであれば違法行為になることには注意されたい。直接適用されるものなので、条約違反よりも罪は重い。当時の日本政府は占領地の日本人には日本の民法・刑法を適用すると通達を出しているが、日本と植民地で法律が異なる場合、植民地出身者(i.e. 朝鮮人)にどちらを適用するかはどうもはっきり定めていない。娼妓取締規則(内地)を適用するのか、貸座敷娼妓取締規則(朝鮮)を適用するのか。宋神道氏の裁判では内地と朝鮮の規制のどちらかが適用されるという判断は下されていないので、どちらも適用されないのかも知れない。そして、これらの規則に準じて慰安所は運用されていたようだが、そもそもこれらの規則が有効であったのかも分からない。内地や朝鮮など地域が限定された取締法規と解釈する事もできるからだ。
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