ゼロ金利制約下での量的緩和には効果が無いと言う話をリフレ派にすると、俗に言う“バーナンキの背理法”を持ち出して反論してくる事が良くある。「中央銀行が幾ら国債を購入してもインフレにならないのであれば、無税国家が実現される。しかし、実際にはそうではない。ゆえに、中央銀行はインフレを起こすことができる」と言うものだ*1。中央銀行の政府債務の引き受けと、政府の財政赤字の拡大を混同させている子ども騙しなのだが、本当に信じているリフレ派も多い。これの元ネタとされる後にFRB議長バーナンキ・プリンストン大学教授の講演を確認してみたのだが、やはり違う事が書いてあった。むしろ、量的緩和を否定している。
2000年1月9日の講演はASSAのもので、Japanese Monetary Policy: A Case of Self-Induced Paralysis?と言うタイトルのものだ。現在のWikipediaのベン・バーナンキの項目にも、関連している箇所が引用されているのだが、The monetary authorities can issue as much money as they like(訳:通貨当局は貨幣を好きなだけ発行することができる)と言うところに注目して欲しい。通貨当局は、債券や証券など資産を買うか、金融機関への融資の形で資金供給を行うので、かなり非常識な話になる。例えば国債を買い尽くしたら、もはや量的緩和はできない。バーナンキさん、大丈夫か。困惑するのだが、P.21のMoney-financed transfersの節を読むと、その意図が分かってくる。財政政策を組み合わせたヘリコプター・マネー(the "helicopter drop" of newly printed money; money-financed tax cut)を行えば、インフレに出来るそうだ。
この節、リフレ派は読んだことがあるのであろうか。もはや純粋な金融政策ではなく、財政政策との組み合わせだと書いてあるのだが、つまり、純粋な金融政策である量的緩和の効果は主張していない。むしろ、現在の財政赤字は将来の増税をもたらす事を予想する家計は、財政赤字の拡大によって消費を増やさないとするリカードの中立命題に言及しつつ、将来の増税を予想させない現金のばら撒きには効果があって、将来の増税を予想させる国債のばら撒き(helicopter drop of government bonds)には必ずしも効果が無いとしている。
この議論を踏襲すると、量的緩和の拡大は、それが財政赤字を伴うものでも、リカード家計に将来の増税を予想させてしまうので、効果を発揮しない。量的緩和とは、結局は国債を使った貨幣供給である。財政赤字すら伴わない、現在のピュアな量的緩和ならば、なおさら効果を発揮しない事になる。リフレ派が量的緩和の効果を主張するのに使って来た“バーナンキの背理法”の元ネタは、量的緩和を否定していた*2。
*1Wikipediaのベン・バーナンキの項目の2012年2月28日 (火) 23:13のバージョンまでには、以下のように記されていた。
「もし、日銀が国債をいくら購入したとしてもインフレにはならない」と仮定する。そうすると、市中の国債や政府発行の新規発行国債をすべて日銀がすべて買い漁ったとしてもインフレが起きないことになる。そうなれば、政府は物価・金利の上昇を全く気にすることなく無限に国債発行を続けることが可能となり、財政支出をすべて国債発行でまかなうことができるようになる。つまり、これは無税国家の誕生である。しかし、現実にはそのような無税国家の存在はありえない。ということは、背理法により最初の仮定が間違っていたことになり、日銀が国債を購入し続ければいつかは必ずインフレを招来できるはずである。
今のバージョンとは大きく異なる。結論の前に「政府が財政赤字を拡大し続ける一方で、」を入れてくれれば、非リカード家計を前提にすれば成立するので、もう少しミスリーディングが減ったのだと思うが。
勘違いにしては良く出来た話ではあるので、意図的にデマをばら撒いていた人々がいる可能性は高い。2006年6月3日 (土) 03:08にトホホ川氏が記述しているのだが、どこから持ってきた話なのであろうか。
追記(2016/07/14 17:31):2003年12月6日に個人運営の掲示板に、2006年6月3日~2012年2月28日までのバージョンと同様の「バーナンキの背理法」が紹介されていた。見合い資産の出来る中銀の買いオペは、無制限の貨幣発行とは違うのだが、同じに見えるものなのかも知れない。
*2インフレ目標政策は否定していない。またバーナンキFRB議長は、リーマン・ショック後に量的緩和に踏み切っているので、何らかの効果は認めているのだとは思うが、リフレ派が主張するような規模に比例した効果は考えていないのであろう。
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