マルクス経済学者の松尾匡氏の連載4回目『反ケインズ派マクロ経済学が着目したもの──フリードマンとルーカスと「予想」』が公開されていた。世間一般ではあまり省みられないノーベル賞経済学者ロバート・ルーカスのLucas Islands Modelが紹介されているのは良いのだが、政治的理由で限界や問題を示そうとするあまりに、あまり議論が深まっていない説に飛びついてしまっているようだ。また、合理的バブルに関する理論的含意についても、合理的期待形成に問題があると誤解させるように書かれている。
1. ルーカス・モデルの概略
Lucas Islands Modelについて概略を説明しておこう。人々は孤立した生活圏(=島)でそれぞれ財を生産している。毎期、需要*1と貨幣量の変化が発生するが、人々は自らが生産する財の価格変化しか分からない。予想外に貨幣量が伸びれば、財の価格が上がるので、人々は需要が増えた誤解して生産を拡大する。これにより政府は貨幣供給を増やして生産と雇用の拡大を促すことができるが、人々が通貨供給量の増加ペースを把握してしまうと政策効果は無くなる。金融緩和でインフレを起こしても、人々が慣れれば実態経済に影響が無いと言う議論だ。
2. 予想は効用最大化問題から導出される
さて、松尾氏はインフレ誘発が無効と言う結論は合理的期待と言う仮定から導き出される結論ではなく、このルーカス・モデルの予想形成の仮定がおかしいためだと主張する。ルーカスが「特定の予想形成の式を、天降り的に持ち込んでいる」と批判するのだが、大きな誤解に基づいているように思える。
Lucas(1972)では効用最大化問題を解くことから均衡価格の式を導出しており、“天降り的な予想形成の式”は仮定していない。そもそも松尾氏が批判する「貨幣の量と物価が比例する」と言う部分は予想形成では無くて、競争市場で貨幣と財を交換ことから導き出される結論となる。天下り式に仮定されているのは、完全競争と銀行部門が無い事であって、予想形成の方法ではない。
3. 初出時の欠点は既に補正されている
松尾氏は「ルーカスモデルに発見された複数均衡」でモデルの恣意性を批判していくが、後日、複数均衡が出ないように欠点は補正された。Lucas(1972)で原論文のモデル内で均衡の一意性の証明が誤っていることは確かなのだが、訂正(Lucas(1983))を見ると一つの仮定を追加することで均衡の一意性を得ることができると主張している。それは物価関数p(m, x, θ) = m・φ(x/θ)、m:通貨量、x:確率的通貨量変化率、θ:確率的生産者数の部分で、φを単調増加関数とするものだ*2。これは通貨量が増えれば価格が上がり、生産量が増えれば価格が下がると言う程度の仮定に過ぎない。
4. 似ているが違うモデルでの議論
松尾氏は松井(2012)を根拠にルーカスモデルでつじつまの合った予想形成の式が色々と存在し、それらでは貨幣の中立性が否定されると主張するが、二つの意味でおかしい。
まず、そもそもLucas(1972, 1983)に明示的な予想形成の式など無い。松井(2012)で参照されている論文も予想形成の式は仮定しておらず、上述の物価関数の形状を変更する(松井(2011)、Chiappori and Guesnerie (1990, 1992))か、貨幣供給方法に追加の仮定を行っている。
次に、松井(2012)で参照されている論文が加えた変更の妥当性が分からない。例えば松井(2011)ではπ(m) と言う関数が導入されているが、これが何を意味するのか議論されていない*2。Chiappori and Guesnerie (1990, 1992)も同様だし、Otani(1985)の議論は来期の貨幣供給量をm・xからm・x + b, b:一律給付のように置きな直したものだが、m・x + b = m・χと置きなおせばルーカス・モデルに何ら変わることが無いので、松井(2012)が明に説明していない強い仮定があることが分かる。インフレと言うより、貯蓄のある人から無貯蓄な人への実質所得移転が発生するのが問題なのでは無いであろうか。
似ているが違うモデルでの議論になっているわけで、Lucas(1972, 1983)を揺るがすような議論になっていると言えるのであろうか。少なくともこれらの論文の仮定が、Lucas(1972, 1983)のよりも妥当性があることを検証する必要があるように思える。
5. 合理的バブルへの誤解をばら撒いている
『合理的期待で予想される「バブル」』の部分は、合理的期待がバブルを引き起こすように書かれていて不適切に思える。「合理的期待や完全予見による将来予想形成を前提することは・・・それによって市場の不安定性を示すこともできる」は、誤りだ。
Brunnermeier(2008)が引用されているのだが、そこの記述はほぼ反映されていない。そこでは完全情報で合理的バブルを起こすには横断条件が満たされない(=無限に掛け金が積める)ことが必要で、不完全情報の場合でもカラ売りが出来ないなど裁定取引が制限されていたり、資産購入後も資産価値を知ることができないなどの強い情報の非対称性が条件として必要なことが示されている。
合理的期待を仮定してもミクロ的な問題があればバブルが発生すると言うのと、合理的期待がバブルを引き起こすと言うのは全く違う。マルクス経済学者らしいレトリックではあるのだが、情緒的な扇情は非建設的に思える。
17 コメント:
またさっそくお取り上げいただきまして、ありがとうございます。
今、これの原稿のために後回しにしていた仕事に追われていて、手が回りませんので、詳しくは後日議論いたします。
とりあえず、現時点で取り急ぎ言えることだけ。
ルーカスモデルの物価水準決定式について、拙論の掲載初日は勘違いして「予想形成式」と書いていたのですが、すぐに間違いに気づいて翌未明に「物価決定式」と修正しています。松井さんたちの論文についても同様です。すみませんでした。
まあ、均衡ではどっちでも同じなのですが。
詳しくは、後日ちゃんと確認して論じますが、現時点で直感的なことを言えば、この手のモデルは同次性が成り立って、現在と将来の物価比が変数になって、財市場とその裏の貨幣市場を清算させるものだと思います。
物価水準(貨幣価値)そのものは、無限の将来から順繰りに与えられて決まるので、不定になるように思います。したがって、いろいろな決まり方の式と両立するようにできているのだと思います。
それから、合理的バブルの件は、ファンダメンタルズ価格が延々続くのが合理的期待均衡であるのは当り前でみんなわかっていることだと思いますので、合理的期待が必ずバブルを引き起こすと言っているわけではありません。
合理的期待を前提したら安定的な均衡しかないわけではなくて、バブルの可能性もあるよと言っているだけです。
>>松尾匡 さん
> すぐに間違いに気づいて翌未明に「物価決定式」と修正しています。
了解です。
> 松井さんたちの論文についても同様です。
松井(2011)を取り上げると、
・マネタリーベースでもマネーストックでも解釈可能なmを、π(m)と正体不明な拡張している。
・p()がmの関数になっている事から貨幣の中立性を否定している(P.98 (15)式の下)が、Lucas(1972)ではp()と貨幣増加ペースxの関係を見ており(P.116 COROLLARYとその上)、両者の「貨幣の中立性」は異なっている。
・Lucas(1983)の2. A RESTRUCTURINGの議論を無視している。
ところが目について、レフリーが目を通さない査読論文でない点もあって、細部まで検討しないで紹介していて大丈夫なのかなと言う気がします。
また、松井(2011)は合理的期待形成理論のテクニカルな側面を見たものだと思いますが、政策論に持っていくときは適応的期待のCagan Modelが無視するのも問題でしょうね。
> 合理的期待が必ずバブルを引き起こすと言っているわけではありません。
「それによって市場の不安定性を示すこともできる」と言う表現が妥当には思えないのです。「それがあっても・・・」ですよね?
後から見直していて、気付いた所を追記しておきます。
> 物価水準(貨幣価値)そのものは、無限の将来から順繰りに与えられて決まる
細かい所ですが、Lucas(1972)は無限の将来に持ち込せる資本ストックはなく、t世代はt期の情報だけで行動決定します。結果的に物価もそうなります。OLGのモデルは短期的に決定されることが多いですよね。
> 財の売れ行きが増して失業が減るかどうかという話は、最初から想定していない
n:units of laborがあるので、労働時間はあることは注釈がいると思います。RBCもそうですが、労働時間の増減を失業率のそれと見なすので、失業を想定していないと言われるとマクロ金融の人はびっくりしますね。
> これらはすべて合理的期待による予想形成を前提して成り立っている
松井(2011)ではπ(m)と貨幣数量説を否定していますが、その場合はモデルの構造上、貨幣の過不足が残るわけで、完全競争市場では成立しなくなります。そうなったら、もはや合理的な人々とは言えないでしょうね。
> 人々がある将来価格の予想のもとで各自最適に行動したら、それが合成されて決まる将来の価格が、平均的に当初人々が予想していた価格とホントに一致する、そのような物価の決まり方の式が存在する
Lucas(1972)では、価格予想は確率的なものなので外れます。そして外れる分だけ、貨幣中立的では無くなります。しっかり This hedging behavior results in a nonneutrality of money, と書いてあります。
問題は外れっぷりで、インフレ指向型金融政策でも、物価安定的な金融政策でも、同様になります(P.116 COROLLARYとその上)。貨幣錯覚があるにしろ、それを金融政策で強めることは出来ないというのがメッセージだと思います。
とりあえずわかったことまで…。
今九州の自宅なので、手元にある資料でお話しします。
ルーカスモデルでは、ワルラス法則から、毎期の財市場均衡式と貨幣市場均衡式は同じものになります。なので、貨幣市場均衡式はこの世界の唯一の市場均衡式です。
この貨幣市場均衡式に家計の最適化条件をいれたものが、松井(2012)のルーカス紹介部分で言うと、(11)式になります。
そこに、問題の何らかの物価決定式を代入して、(12)式が得られるということになっています。
ルーカスの場合、この物価決定式として、貨幣数量説型のものを入れているということです。そうすると、(12)式は貨幣中立的になるという流れになっています。
もし、この貨幣数量説型の物価決定式が、貨幣市場の均衡を表すとすると、(11)は貨幣市場均衡式ですので、同じ式に同じものを入れることになり、不合理です。
この操作が数学的に意味があるためには、貨幣数量説型の物価決定式は、貨幣市場均衡式とは違う別の条件だと考えないといけません。
それが、私が「天降り的」と表現した理由です。松井さんは「先験的」と表現されています。
だから、松井さんの価格決定式を使っても、(11)式が成り立っている以上は貨幣市場は均衡していて、貨幣の過不足が残ることはありません。
彼の式の経済的意味は私もわかりませんが、本人なら、物価が貨幣に厳密に正比例しなくてもいいようにもっと一般化したものだと言うかもしれません。
私は、ルーカスの式自体がモデルの解を発見するための数学的便宜だと思っていますので、松井さんのも数学的に解が存在するならばそれで十分だと思っています。
ともかく、所与の貨幣供給の流列のもとで、(11)式にしたがって決まる価格の流列が整合的なものであれば、市場均衡も合理的期待も何も破れておらず、モデルの解として通用すると思います。それを否定するためには、モデル外的な根拠を追加する必要があると思います。
>>松尾匡 さん
> もし、この貨幣数量説型の物価決定式が、貨幣市場の均衡を表すとすると、(11)は貨幣市場均衡式ですので、同じ式に同じものを入れることになり、不合理です。
市場均衡の条件式を、効用最大化の条件式(松井(2012)の(11)式 or Lucas(1972)の(4.1)式)に代入しているので、不合理ではないですよ。なお、どちらも均衡条件です。
> この操作が数学的に意味があるためには、貨幣数量説型の物価決定式は、貨幣市場均衡式とは違う別の条件だと考えないといけません。
当然、市場均衡の観点から、貨幣数量説型の関数p(m, x, θ) = m φ(x/θ)でないといけない意味があります。
1. ルーカス・モデルは世代重複モデルになっている。各期の最後に現金を持つ老人たちは全額を財に費やすので、貨幣供給曲線は垂直になる。
2. 各期の若者は、老人になったときのお金の価値で貨幣需要を決定する。ここで競争均衡である事を思い出すと、絶対量ではなく相対量が問題になる。貨幣需要曲線はマイナス45度の直線になる。
3. (1)と(2)から、貨幣供給量がk倍されると、通貨価値は1/k倍になる。つまり、貨幣市場が競争的であることから、貨幣数量説型の価格決定式が必然となる。
モデルの前提から(1)と(2)を変更すると、人々が合理的でなくなってしまいます。すると、もはや合理的期待形成とは言えなくなりますね。
* * * * *
これで納得がいかない場合は、xとθを1に固定して、ある均衡状態のmをk倍としたときに、物価がk倍-εのケースを考えてみてください。
・市場均衡するためには、老人に渡す財を増やす必要があり、若者の余暇か消費が減る必要がある。
・均衡状態と物価がk倍-εでは若者の資源配分が変化する。若者は余暇の限界不効用>貯蓄の限界効用、消費の限界効用>貯蓄の限界効用となるため、老人に財を渡して貯蓄する意欲が無い。
・言い換えると、物価がk倍-εであれば、貯蓄もk倍-εにしておいたほうが消費・余暇・貯蓄のバランスがよくなるので、εだけ貨幣需要が不足することになる。
つまり、ミクロ理論的には当たり前の話になりますが、貨幣数量説型の価格関数でないと均衡しないのです。貨幣数量説は仮定ではなくて、導出される条件なのですよ。
いえ、松井(2012)の(11)式は、単なる効用最大化の条件式ではなくて、貨幣市場均衡式に効用最大化の条件を入れたもので、本質的にはこれ自体が貨幣市場均衡式です。
mがk倍になって物価がk倍に至らなかったときの、おっしゃる推論は、次期の物価が所与の話か、物価の定常状態のシフトの話かであると思います。
(11)式そのものでは、mがk倍になって、現在物価がk倍に至らなくても、次期の物価が変化して均衡式が成立できます。
今ゆっくり考える余裕がないのですが、決定論モデルで考えて直感すると、ルーカスの方法というのは、(11)式に示される物価の運動の定常値を求めるための操作であるという気がします。
昼の書き込みはちょっと間違えたようです。
モデルの因果関係はt+1からtに進むので、松井(2012)の(11)式がp(t+1)が内生変数として決まるようにもうしたのは、間違いのように思いました。
しかし、これ自体が貨幣市場の均衡式ですので、p(t+1)が所与のもとでは、mとp(t)が比例していない関係で貨幣市場は清算されるように思います。
やはり、決定論モデルに簡単化して見当をつける限りでは、貨幣数量説的説明は物価の運動の定常解で妥当しているもののように思います。
>>松尾匡 さん
> やはり、決定論モデルに簡単化して見当をつける限りでは、貨幣数量説的説明は物価の運動の定常解で妥当しているもののように思います。
以上の部分で御理解いただけたと思うのですが、最初にコメントを誤読して書いてしまったので、一応、補足しますね。
> (11)式そのものでは、mがk倍になって、現在物価がk倍に至らなくても、次期の物価が変化して均衡式が成立できます。
(11)式だけでは、競争均衡であるための説明が不足しているのですよ。Lucas(1972)の脚注9で、ちょっと考えたら分かるよねー?(意訳)と意地悪な事を言っているのですが、ミクロ経済学の教科書的な話です。
まず、mがk倍になって物価がk倍に至らない状態で財市場が均衡している場合は、生産物の量Yが増えている事に注意してください。動学モデルなので、各期の財市場は均衡しないといけません。OLGの仮定から貨幣供給曲線が垂直なので、(kp-ε)Y = kmは成立するからです。
Yは労働量nの関数です。n = Y(n); n:労働量 or 生産物と言う定式化になっています。nが増えていると言う事です。即ち、余暇が減っているわけです。ここで競争均衡を仮定すると、抜け駆けするインセンティブが無い事が絶対条件になります。
労働を周囲よりさぼれば、獲得できる貨幣量は減ります。しかし、老後に獲得した貨幣で買える財の量は、物価kp-εになって下がっているので十分だったりします。すると、t期とt+1期の労働と消費の配分は、効用ではかるとさぼった方が得になります。
さぼる方が得なのであれば、生産者はさぼりだします。生産者がさぼり出すという事は、供給不足になります。つまり、価格がkp-εだと競争均衡しなくなるのです。よって貨幣量mをk倍したときの競争均衡の条件は、価格kpになります。
ミクロ経済学の教科書的に言えば、財と貨幣の交換レートは財と貨幣の限界効用の比でないと均衡しないわけで、p=m/Yが均衡であったら、kp=km/Yも均衡であるものの、それ以外は競争均衡にはならないのです。
昨日(おっと、もうおとといか)大学からLucas(1972)を持って帰ってきたのですが、いろいろ立て込んで書き込みが遅れました。
松井(2012)の(11)式にあたるものは、(4.1)ですね。
これは、効用最大化条件式(3.13)に、貨幣市場均衡式λ=mx/θを代入したものですので、やはり本質的に貨幣市場均衡式です。
もちろんここでは、将来価格p'が与えられたもとで、貨幣供給mが増えても、現在価格pが比例的に増えるわけではありません。貨幣市場の均衡が成り立つ条件のもとでです。
ルーカスさんがしていることは、ここに、さらに条件を加えて限定したものを「均衡」として求めているわけで、やはりそれは決定論モデルで言うと、定常解にあたるものですね。
(4.1)を決定論モデルにしたものは、pの運動方程式になりますが、これは、実質貨幣の運動方程式にきれいに書き換えることができます。
したがって、この運動方程式の定常解では、実質貨幣は一定となりますので、それは、mとpが比例するということにほかならないわけです。
貴兄が上でなされているご説明も、定常解での話と理解すれば納得できます。
(4.1)を決定論にしたときのpの運動は、これは、二期間の最適化しか解かないモデルなので、横断性条件などはないですから、あらゆる軌道が全部解です。
ルーカスはその中から、定常解にあたる特定の解を「均衡」として選び出したということだと思います。
決定論の運動方程式ならば定常解の導出は簡単ですが、確率が入るととても難しいようで、ルーカスのやっていることは、解の形にあたりをつけて代入してみて、あとからそれが、パラメータを同定した上で整合的に成り立つことを証明するという手順になっているようです。
決定論の定常解で成り立つ形なら、ここでも成り立つだろうということで、入れてみたら実際成り立ったということなのだと思います。
松井さんたちがしていることは、しかし同じ手順でいろんな関数を入れてみたら、やっぱり同様に整合的に成り立つものがあるよということを証明したということだと思います。恥ずかしながら数学的証明のフォローはできていないのですが、とりあえず信用しているというところです。
>> 松尾匡 さん
> 貴兄が上でなされているご説明も、定常解での話と理解すれば納得できます。
(略)
> 横断性条件などはないですから、あらゆる軌道が全部解です。
Lucas(1972)には資本ストックが無いのでいつでも定常な気もしますが、各期の財市場がクリアされないと定常へ向かう途中の均衡解でもないですよね?
> ルーカスのやっていることは、解の形にあたりをつけて代入してみて
均衡価格関数で限定されていることは通貨量mと価格が比例すると言う事だけで、これはミクロ的基礎を置いているので均衡に必要なはずです。
> 松井さんたちがしていることは、しかし同じ手順でいろんな関数を入れてみたら、やっぱり同様に整合的に成り立つものがあるよということを証明したということだと思います。
問題はLucas(1972)はミクロ的基礎から均衡価格関数の形状を限定しているように理解できますが、松井(2011)は説明無くmをπ(m)と拡張しているので信じていいのかが分からないのです。
「定常解での話と理解すれば納得」と言う事ですが、そうであればπ(m)=mのときしか定常状態が存在しないと言う事になります。
またLucas(1983)でされた仮定の追加については、松井(2011, 2012)では言及がありません。その存在に言及しているのにです。
>> 松尾匡 さん
モデルが無い所で議論していても伝わらない気がしてきたので、一つ、若年期の消費を省略したOLGモデルで、構造的に貨幣数量説型の均衡価格関数が必要とされることを示しておきます。
http://uncorrelated.servehttp.com/olg20140131.pdf
ああ今気づきました。わざわざありがとうございます。
読みました。主張されていることは、決定論的には、物価の運動の定常解においては貨幣数量説関係が成り立つので、名目貨幣が変わると、定常解に至る物価の流列全体が、軌道ごと全部貨幣数量説的にシフトするということと理解しました。
これはわかりましたが、二期間重複モデルでは横断性条件はないので、定常解に至らない軌道も全部解で、その場合、やはり物価の自由度は残ると思います。やはり、貨幣数量説的でない将来の貨幣と物価の関係が、現在価格の適当な変化で調整されて、市場が清算されることはあると思います。
お示しのモデルの将来消費効用関数を二次方程式に特定化してx=1としますと、
U = 1-S/p(t)+β{ (1/2)(S/p(t+1))^2-a(S/p(t+1)) }
となり、これをSで微分してゼロと置くと、
S/p(t+1) = (1/β)p(t+1)/p(t) + a
となると思います。この左辺は、実質貨幣需要で、これは実質貨幣需要関数です。
一定の名目貨幣供給をMとしますと、貨幣市場均衡式は、M=Sとなります。このとき、ワルラス法則から財市場も均衡しています。
すると、上の式から、
M/p(t+1) = (1/β)p(t+1)/p(t) + a
というpの運動方程式が得られますが、これは本質的に貨幣市場均衡式(財市場均衡式)であるわけです。
これはMとp(t+1)の関係が貨幣数量説的でない変化をしても、p(t)が適当に動いて式を成立させることができます。式が成立する以上は市場はクリアしているのです。
上の式は、実質貨幣m(t) := M/p(t)とおくと、
m(t) = β(m(t+1) - a)m(t+1)
と実質貨幣の運動方程式としてかけるのですが、これは、45度図にすると、山形二次関数グラフを横倒しにしたものになって、周期解とかカオスとかがいろいろでてきます。(全部効用関数右上がり部分で定義できているはずです。)
カオスを完全予見するなど現実にはあり得ませんけど、このモデルではあるということです。二期間しか計画しない人たちですが、10世代先に貨幣価値がゼロになるなら、9世代目の人は受け取らないから貨幣価値ゼロ…と推論して、今貨幣価値がゼロになるのは合理的ですから、計画は二期間でも無限の将来を予見すると考えるべきです。
このような定常解に至らない軌道の場合、遠い将来に、貨幣供給と物価が貨幣数量説的でない関係で変化しても、やはり貨幣数量説的でない一期前の物価の変化で市場が調整され、それがずーっと後ろ向きに前倒して調整されていって、現在に至るということはあるように思います。
確率の話は不勉強で、当面考える余裕もありませんが、この意味での自由度が広がるのではないかと思っています。
>>松尾匡 さん
> これはわかりましたが、二期間重複モデルでは横断性条件はないので、定常解に至らない軌道も全部解で
私が示したPDFの中の(8)式が成立していれば均衡になるので、(8)式が満たされれば非定常でも均衡にはなりますが、そこには貨幣は含まれません。また、モデルの構造上、初期時点を除いて定常状態になります。
n_{t+1}/n_t = [∂U/∂L_t]/[∂U/∂C_{t+1}] (8)
定常状態であれば、n_{t+1}=n_tになります。(8)式は制約付効用最大化問題と各期の競争均衡から導出できる均衡条件に過ぎない点には注意してください。
松尾さんの二次方程式に特定化した議論でも、価格pを労働量 or 産出量nに展開していないので、価格が残ってしまっているだけでは無いかと思います。
p_t = m/n_t、p_{t+1}=xm/n_{t+1}に注意してM/p(t+1) = (1/β)p(t+1)/p(t) + aを展開してみてください。pもmも綺麗に消えると思います。
ただし、この二次方程式は一階条件と二階条件から強凹関数ではないので、モデルの条件に合致していません。
このモデルの均衡状態はほぼ定常状態に一意に安定で、初期時点を除いてはほぼ同じ均衡が達成されます。(8)式を以下のように書き換えます。
A_t = [∂U/∂C_{t+1}]/[∂U/∂L_t]
n_t = A_t n_{t+1}
まず、n^*を定常状態の産出量として、n_t < n_{t+1} = n^*は均衡として成立しません。
背理法で証明できます。n_t < n_{t+1} = n^*を仮定します。L_t=1-n_tに注意すると、∂U/∂L_tが定常よりも小さくなるため、A_tが1よりも大きくなります。すると(8)式から n_t > n_{t+1}が要請されるため矛盾します。n_t > n_{t+1} = n^*も同様の議論で成立しません。
次に、n^* = n_t > n_{t+1}を考察すると、C_t=n_t+1であり、分子の∂U/∂C_{t+1}がn_t = n_{t+1}より大きくなり、A_tが1より大になります。より一般に、n^* = n_t > n_{t+1} > ・・・ > n_{∞} > 0と言う系列を作ることができ、無限の未来に何か定常状態よりも少ない量が生産されることがあれば、現在は定常状態にあることを示します。
さらに、n^* = n_t < n_{t+1}を考察すると、分子の∂U/∂C_{t+1}がn_t = n_{t+1}より小さくなり、A_tが1より小になります。n^* = n_t < n_{t+1} < ・・・ < n_{∞} < ∞と言う系列を作ることができ、無限の未来に何か定常状態よりも少ない量が生産されることがあれば、現在は定常状態にあることを示します。
よってt>0と置いたとき、t世代は常に自分たちが定常状態にあると考えます。つまりt時点の均衡は、常に定常状態にあることになります。
OLGの毎期市場がクリアされる言う定式から、p_t=m_t/n_t、p_{t+1}=xm_t/n_{t+1}が導かれ、それが均衡条件から価格と貨幣量を消し去ることを示すのが目的だったので割愛していたのですが、均衡状態もほぼ一意に安定です。
> 二期間重複モデルでは横断性条件はないので、定常解に至らない軌道も全部解
前のレスで、初期時点を除けば定常解しか均衡があり得ないことは証明しましたが、このような御主張をされるようになった理由が分からないです。
世代重複モデルの元祖Diamond(1965)では、初期時点の資本ストックがゼロより大であれば、必ず均衡経路を辿って定常状態に達します。
もう一つの元祖OLGモデル、Samuelson(1958)は複数均衡の可能性を排除していませんが、貨幣の価値が無い均衡と、貨幣に価値がある均衡の二つに絞られます。資本ストックなどは無いので、どちらも定常状態になります。
横断条件は、資本ストックを無限に積み上げていくような事を排除するための議論で、この条件が無いと発散しますが、大半の世代重複モデルでは人々は遺産を残さず死ぬので結果的に満たされています。
マクロ理論の歴史から考えれば、OLGモデルで一般に「定常解に至らない軌道も全部解」と主張することが出来るのであれば、Lucas(1972)は勿論のこと、Bernanke and Gertler(1989)など数多くの著名論文を否定するEconometricaに掲載できそうな大発見になると思います。
お忙しいので単に筆が滑ったのだと考えていますが、もし御主張に根拠があるのであれば教えてください。
>>松尾匡 さん
n^* = n_t > n_{t+1} > ・・・ > n_{∞} > 0と言う系列を作ることができ・・・の部分の説明が稚拙だったと思ったものの、数式を書いて極限をとってもイメージが沸かないと思うので、コブ・ダグラス型の効用関数を仮定してですけど、図を書いておきました。
http://www.flickr.com/photos/uncorrelated/12389809613/
さっき、新エントリーに気づいたついでに、はじめて気づきました。業務続きなので、また検討しておきます。
今九州の自宅なので手元に何もないのですが、たいていのOLSモデルは定常解に収束するか、収束するようにパラメータを設定しているので問題はないのだと思います。
定常解に収束しない軌道については、例えば、OLSとchaosで検索すると、カオス軌道を描くモデルがたくさん出てくるように見えます。OLGモデルで鞍点軌道だけを選ぶことは、初学者が犯す典型的なミスとして、学会などでよく指摘されるもののように思います。
>>松尾匡 さん
お忙しいところどうもです。
コメント欄では数式が読みづらいと思う(かつミスがある)ので、PDFの3.3節に議論を追加しておきました。
http://uncorrelated.servehttp.com/olg20140211.pdf
> たいていのOLSモデルは定常解に収束するか、収束するようにパラメータを設定しているので問題はない
Lucas(1972)も、少なくとも1983年の訂正後は、定常解に収束するように作ってあると言う事です。
> OLGモデルで鞍点軌道だけを選ぶことは、初学者が犯す典型的なミス
初学者にはあると思いますが、それなりの雑誌のレフリーが明らかなそれを見逃してくれるとは思い難いです。
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